諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

坂上田村麻呂の夢枕に立った鬼渡神。 その5

2014年04月01日 12時26分02秒 | 神道
さて、話を鬼渡神に戻します。

田村麻呂が金の採取・発掘を地主神である鬼渡神に感謝し、祀り上げた場所が気になります。
一般の人は気に成らないでしょうが、伝説の永井平九郎を追って鬼渡神社の存在を知り、鬼渡神に浅からぬ因縁を感じている私は気になるのです。

先ず一番のデーターは、金の採取を感謝して祀り上げたのですから金の産地ですわね。当然、東北地方となる筈です。

そして金の産地と田村麻呂の伝説を重ねた結果、南から福島県、宮城県、岩手県の三県が挙げられます。

その中で地元の歴史に詳しい方ならピンと来る場所があります。宮城県涌谷町の黄金山神社です。

黄金山神社と言うと石巻市の金華山・黄金神社を思い浮かべる方が多いと思いますが、涌谷町の黄金山神社の方が本家だと言えます。なんたって日本で最初に金が採出された場所なんですから。

「そうだ、間違いない」と思い、涌谷町の黄金山神社を調査。その結果、うーん、間違ったているのかも・・・・・・。

涌谷町・黄金神社の祀り神は、金山彦神、天照大神、猿田彦命。配神で迦具土神、月読命。
金の神である金山彦神がちゃんと祀られています。これはいいんです。

でも、金が日本で最初に採出されたのは749年。時の春陸奥守・百済王敬福と言う人がこの地で日本で初めて金を採出しで朝廷に献上。その年に黄金山神社は創祀されたと伝わっています(諸説あり)。

なのに田村麻呂が産まれた年は758年。つまり田村麻呂が産まれる前から黄金山神社は建立されていた事になります。

っと言う事は、田村麻呂が地主神である鬼渡神を祀り上げる前から黄金山神社は存在していた事になります。この地で鬼渡神が田村麻呂の夢枕に立ったという証明にはなりませんね。

それでも黄金山神社と田村麻呂との関連が何かあるのではと思い調べました。そしたら何と田村麻呂は大分くたびれてきた黄金山神社の社を修理してたのです。うーん・・・・・・・・修理か。

まっ、それでも修理したと言う事は、黄金山神社に来た事の証明にはなりますね。そして黄金山神社はその名の通り金の神・金山彦神を祀っています。「金を与えてくださいまして、有難う御座います」と社を修理しながら参拝もしている筈です。あながち間違ってないかも知れません。

それと黄金山神社に十一面観音堂も寄進してます。田村麻呂は熊野権現を信仰してましたから、それで寄進したのだと思います。

十一面観音は鬼渡神でもある瀬織津姫との説があります。

718年、熊野本宮神の御神体(門外不出で見た人は少ない)を熊野から運び、唐桑半島の舞根地区に上陸。

その上陸した仮置き場には室根様、舞根神社とも呼ばれている瀬織津姫神社が鎮座してます(現在は残念ながら、3.11の大津波で流されてしまいましたが・・・・・)。

つまり蝦夷の地は瀬織津姫である十一面観音を祀る事により、抑えられているのです。一応辻褄が合います。

でも私は大それた事ではありますが、「十一面観音=瀬織津姫」との説に疑問を感じます。

熊野権現はインドのマガダ国から飛車に乗って熊野の地に遣って来た五衰殿とされています。そして五衰殿の御神体は千手十一面観音。五衰殿の息子の王子が十一面観音となります。

そうすると瀬織津姫は千手十一面観音でなければおかしい。息子の十一面観音が瀬織津姫の筈がないと思います。


つづく。











コメント (2)
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