諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「ねぶた・ねぷた祭り」を考察する。 その2

2014年04月06日 00時36分18秒 | 伝説
「ねぶた祭り」の名の由来と、祭りの内容の起源が何故違うのか。ネット等で色々調べましたが、載っていませんでした。こんな事に疑問を持つのは私位だからでしょうか。何故載っていないのか不思議です。

しょうがないので「ねぶた祭り」を考察したいと思います。私が。

先ず、私の天下の放蕩・・・じゃなかった、天下の宝刀である「アイヌ語」で「ねぶた」を訳します。結果は・・・・・、「ネブタ」では該当せず。

しかし、「ネブタアン」ってのがありました。「アン」は余計ですが、「ネブタ」の発音が入っています。「これは期待出来る」と思いその意味を見たら「これは何ですか」。

うーん、「ネブタ」の意味をアイヌ語で調べているのに、「これは何ですか」って何ですか。私が「ネブタ」が何なのか知りたいんです。寝言聞いているんじないんです。

駄目だこりゃ。それなら「ねぶた」の文字を分解しでアイヌ語で訳すしかないです。

結果は「ネブ=何、何か、何でも、何も」、「ネ=~である」、「ネ=~に」、「フ=生もの」、「ブ=~もの、者」、「ブ=倉庫」、「タ=~に、~で」、「タ=を掘る、採取する」でした。「フタ、ブタ、プタ」は該当せずです。

これらを組み合わせた「ねぶた」の意味は、「何かを掘る、何かを採取する、何でも掘る、何でも採取する」、「生ものを採取する」、「何かの倉庫を掘る、何か倉庫から採取する(取り出す?)」、「人や物を採取せよ」位でしょうか。

うーん、難しいですね。大和朝廷が蝦夷征伐の主なる目的は金の採取です。「何かを掘る、何かを採取する」の「何か」とは、金を指していると考えるのが自然だと思います。

「倉庫から取り出す」と言うのは何を意味しているのか。

寒い東北地方は、アテルイの時代でも既に大和朝廷より繊維技術が進んでいたと聞きます。オシラサマは「絹織物」の誕生を示した話ですからね。アテルイの時代に絹織物があったかどうかは未確認ですが、麻織物はあったはずですし進んだ技術故に欲したと思います。

「生ものを採取する」はどう言う意味でしょ。

東北は鮭や鱒が遡上する肥沃な土地ですから、新巻鮭が欲しかったんでしょうか。新巻鮭は干しているから生物とは言えない。じゃルイベか。そんな訳ないですよね。

生ものと言う意味は本来は生きている物。だとすると大和朝廷が欲しがったのは馬ではないでしょうか。

あの武内宿禰も日高見国に対して「土地肥沃かつ馬多し。討ってこれを取るべし」とか言ってますし、日本書紀にも718年の話で「蝦夷87人が来て、馬千匹を貢いだ。だから位禄をやった」とか書かれています。馬も欲しがっていた筈です。

そして「物、者を採取」。これ「蝦夷の人間を捕虜にして奴隷としろ」と言っているのでしょうね。

私のデカ頭ではこれ以上考えられません。取り敢えず「ねぶた」の意味は「金を掘る」、「織物を奪う」、「馬を捕まえる」、「蝦夷を収容して奴隷にせよ」と言っていると思えます。


以上の理由なら、「ねぶた祭り」の蝦夷を鬼として討伐する内容は当て嵌まると言えます。まぁー苦しいけど。

そう考えればネブタアンの「これは何ですか(何だこれ)」と言うのも、少々関連があるかも。。

「何だこれ」と言う名前にして、祭りの意味を隠す旨、子孫に伝えようとしたのかも知れません。うーん、これもかなり苦しいですけど・・・・・。。

これらの意味合いを考えで、祭りの内容に一番適合し、一言で全てを示しているのは「何でも採取する」でしよう。

つまり「蝦夷のものは何でも取れ」と言う事です。土地も金も馬も織物もそして人間も。「大和朝廷が蝦夷に勝ったのだから当然の権利だ」と言う意味合いが「ねぶた」の三文字に込められている様に思えます。


つづく。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする