諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「ねぶた・ねぷた祭り」を考察する。 その1

2014年04月05日 02時06分30秒 | 伝説
前回、神道のカゴテリーで「坂上田村麻呂の夢枕に立った鬼渡神」と題しまして記事を書きました。

多くの伝承から田村麻呂が蝦夷に勝利した理由について検討し、そして田村麻呂がアテルイ等投降してきた500人の蝦夷達の助命を嘆願したのはフックションじゃないかとも書きました。

今回はその理由を「ねぶた・ねぷた祭り」で、これまた多くの伝承を加味しまして私の考えを述べたいと思います。

っとは言ってもこの分野の話は「そうじゃないかなぁー」程度のもんです。当然、断言できる筋合いの物ではないです。その点、ご了承下さい。

特に青森県の「ねぶた・ねぷた祭り」実行委員会??の皆様方。皆様方の行動を非難するつもりは毛頭ありません。あくまでも「ねぶた・ねぷた祭り」の本来の意味を探ってみようかなぁー的な考えに基づいての記事です。その点もご了承の程、宜しくお願い申し上げ奉りまするぅー。

さて、「ねぶた・ねぷた祭り」なんですが、青森市で開催するのは「ねぶた祭り」。弘前市で開催されるのが「ねぷた祭り」なんですね。めんどくさいので弘前市民の方々には恐縮ですが、「ねぶた祭り」で統一します。

さてさて「ねぶた」の語源・由来ですが、「眠(ねぶ)たし」、「合歓木(ねむのき、ねぶたのき、ねぶた)」、「七夕(たなばた)」、「荷札(にふだ)」等々に由来すると言われています。ハッキリ言って解ってないのです。

その中でも有力な説が「眠たし」です。夏の農作業中に眠気をもよおし、仕事が捗らない。その眠気を払う為にラッセ、ラッセ、ラッセラーと叫びながら、ピョンピョン飛び跳ねて踊ったとする説です。

更にその眠気を祓う「眠り流し」と言う慣わしと土着の七夕祭りが融合し、禊祓い的な行事となった。それが「ねぶた祭り」の名の起源だと言われています。

私、それは違うのではないかと思います。だって祭りの内容が違うのですから。

ストーリーは田村麻呂が陸奥国での戦の際、大燈篭に笛太鼓でヤンヤヤンヤとはやし立てて蝦夷兵を誘き寄せ、油断しているところを奇襲。見事蝦夷兵を討ち取り大勝利した様を描いています。勿論、アテルイら蝦夷兵を鬼として描いてです。

名前と内容が違う祭りって変でしょ。他にありますかね。私は聞いた事が無いです。

しかも田村麻呂は陸奥国、つまり青森県まで進軍した話など無いのです。それなのに何故、青森で「ねぶた祭り」をするのでしょうか。

大体、何故「ねぶた」と平仮名表記なのかも判りません。

私の生まれ故郷の福島県いわき市にも「じゃんがら念仏踊り」を踊り、街を練り歩く「じゃんがら祭り」と言うものがあります。

正直、踊っている本人達も何を祝っての祭りなのか判りません。「じゃんがら」って何なのか判りません。何をやっているのか判らずに、ただ踊りまくっているのです。「ねぶた祭り」と同様に。

多分、平仮名表記なのは、祭りの内容や真意を隠しているからだと思いますが、お祭りする側も理解してお祭りするのが神様に対しての筋ってもんじゃないでしようか。

矛盾してます。全てが矛盾しています。何を隠しているのか。それが判らなければ祭りをする意味も無いと思いますね。


つづく。









コメント
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