続きます。
蛇を料理する、食べると聞いてビックリしました。
蛇を料理する所なんて見るべきではなかった。すぐさま退散すればよかったんですが、私、好奇心が強い方なんで見ちゃったんですよ、料理するところを・・・・・。ホント、あんなの見るんじゃなかった。失敗しました。
もうね、呉服屋のオバサン、包丁でシマヘビをぶつ切りです。でもシマヘビは生きている。動いている。
そのまま鍋に入れます。金色のアルミの普通の鍋です。それでも生きている、動いている。
実際は蛇の皮を剥がして、内臓や骨を外したのだと思いますが、ぶつ切りにされても煮られても生きている蛇の姿に生きていく業を感じましたわ。
まあ、それで終われば確かに食育となって良かったのかも知れません。それなのに呉服屋のオバサン、とんでもない事を言いました。
「鶏を潰してご馳走つくってやっからねっ」と。
呉服屋さんでは鶏小屋をたてています。そこから余り卵を産まなくなった茶色の雌鳥を出してきて、包丁で首を刎ねたんです。やめてぇーー、はあうぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーん。
それなのに鶏は頭が無くなっても鳴くんですよ「コケコケコケェー」と。そして暫く走り回るんです。もう駄目です。あんな恐怖はありません。あれはお化けより怖い。大変な恐怖です。私、正直、蛇も当然怖いですが、鶏も怖いです。あの恐怖はトラウマになりますよ絶対に。
あれは子供は見るべきでは無いです、絶対。何というか蛇と鶏を難なく裁いた主婦と言う生き物にに恐れを抱く様になります。もしかして私が結婚したいと余り思わないのは、その為かも知れないです。
「食べ物は粗末にしない」。確かにそう心にインプットされたのは間違いないです。皮肉な事にそれが糖尿病の一因になっちゃいましたけど。でもあの光景は見るべきでは無かったです。未だに後悔しています。食育も人それぞれの感情を考えなければ駄目だと思います。それがマイナスに作用する者は確実に居ますからね。
それは兎も角、御馳走が出来上がりました。「シマヘビの煮物」、「鶏のソテー」、「イナゴの佃煮」、「竹の子の煮物」、そしてご飯と味噌汁です。うーん、全部現地調達の御馳走です。見事なもんです。流石、いわき市です。
しかし、私に食べられるのは「竹の子の煮物」位です。あの光景を見て直ぐですからね。シマヘビはおろか、鶏も食べられませんよ。それにイナゴって何なんですか。虫じゃないですか。あれは子供には無理です。文化が違いすぎると思いましたわ。
呉服屋のオバサンは「どんどん食べな。あっそうだ。生卵食べるか」と言い出しました。
私は鶏を解体した時に取り分けた産まれる直前の卵を出すのだと直感しまして、「いいです、いいです」と丁重にご辞退申し上げました。多分、私が生卵を余り食べなくなったのも、この時が原因だと思います。
それでも子供心に「竹の子以外も食べないとオバサンに申し訳が立たん」と思いました。子供の頃から「和の心」を大切にしている私です。何か食べないとマズイと思いました。
メインデッシュのシマヘビに目をやりました。鶏よりはシマヘビの方が恐怖が少ないと思いましたので。形も蛇の原型を留めてないので、何とか成るかと思いました。そして意を決して一口だけ食べました。
この頃には蛇は鶏に似いてる味がすると聞いていましたが、実際に食べてみると魚に近いです。っと言うか、殆どニシンと同じ味です。多分、シマヘビと教えなければ、殆どの人がニシンだと思う筈です。これにはチョット驚きました。それ以来、ニシンも食べられなくなりましたけど・・・・・・。
時は過ぎて約20年後、東京の出版社に勤務していた時、この話を私より20歳前後年上のフリーライターに話しました。
そのフリーライターの実家は鳥取県で養鶏業を営んでいます。鶏を潰すのなんか当たり前だといいます。何の感情も沸かないそうです。現に半生と言うかレア状態の焼き鳥が大好物だとのたまいます。職業病なのかも知れませんが、人それぞれなんだと思いましたね。
そしてシマヘビの味がニシンとそっくり。殆ど同じとの話もしました。彼も「蛇は鶏肉よりも魚に近い味だ」と断言。そして実家にはシマヘビは居ないがマムシはウヨウヨ居た。勿論っ捕まえて食べた。味はサンマとそっくりだったと言いました。
私、この話を聞いてサンマも食べられない事は無いですが、あんまり好きじゃなくなりました。
鶏はかなり駄目。ニシンも全然駄目。サンマもチョット駄目。やっぱり駄目なものは駄目だと思います。
それ故、まぁートラウマになる事はしないに越した事は無いと思う所存です。
ではでは。