諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

狩野英孝の実家、櫻田山神社。【武烈天皇編】 その1

2014年04月09日 04時55分31秒 | 神道
以前、今回と同じタイトルで書き込みましたが、結構読んでいらっしゃる方、思ったより多いようですね。

もしかしたらと思い「櫻田山神社」で検索したら、wikipediaに次いで二番目に出てました。これは狩野英孝氏の人気からなのでしょう。

地元・宮城県の人間でも狩野英孝氏が出てくる前は、櫻田山神社を知る人なんて殆ど居なかったと思います。テレビの力って凄いものがありますわね。

まっ、神社の名が知られないよりは広まった方がそりゃいいです。神社側も嬉しい筈です。狩野英孝氏が有名になってからは正月の参拝客も10倍になったとか言ってますし、大変喜ばしい事です。

神社だって存続するにはお金が必要です。神社は廃れてはいけません。また、祀られている神様への信仰が集まれば、神の御霊の慰めにもなります。それは大変素晴らしい事だと思いますね。

しかし櫻田山神社を参拝している方で、主祭神の武烈天皇に付いて知っている方はどれだけいらっしゃるでしょうか。

以前、テレビの番組の企画で狩野英孝氏が作詞作曲した歌で、同神社に4000人のファンを集めてコンサートを開いてたのを見ましたが、これってどうなのかなぁー。

神社は祭られている神々の鎮魂の場です。霊場なのです。そんな場所に4000人を集めでのコンサートです。多くの人は祭られている武烈天皇についてあまり気にも留めていないように思えました。

神社の主役は神です。そして神の使いである眷属です。それが狩野英孝氏が主役となり、「いとしさと切なさを兼ね備えてる"男子"、あどけなさと可愛らしさを兼ね備えている"女子"・・・・」とか何とか、少々おふざけが入った歌を歌うのってどうなのでしょう。

祭神の武烈天皇が大目に見てくれればいいなとは思いながらも、少々複雑な思いでがしてました。

特に狩野英孝氏の作詞作曲者名が引っかかります。その名も「桜田山神邪」です。「桜田山神邪」の「邪」は邪悪の「邪」。「心が捻じ曲がっている」、もしくは「不正」と言う意味です。これは流石にどうなのかなぁーと思うんです。

狩野英孝氏の心が捻じ曲がっているからその名を付けたと言うのなら、それはそれでいいです。でも邪の前に桜田山神は付けるべきではないと思いますね。

「桜田山神邪」って、桜田山神社での主祭神・武烈天皇が邪であると言っている様に思えます。どうしてこんな酷い名前にしたんでしょ。

何の意味があるのか全然判りません。これは洒落にならんです。どうしてそんな名前にしたのか、狩野英孝氏に聞いてみたいです。

そうじゃなくても「イケメン神社」なんて呼ばれているのです。狩野英孝氏が前面に出ているような感じがします。神あっての神社なのに・・・・・。

これは何か良からぬ事が起こるのではと、ずっーと危惧しておりました。祭神が武烈天皇であるが故に・・・・。


つづく。










コメント
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