諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「ねぶた・ねぷた祭り」を考察する。 その3

2014年04月07日 06時00分27秒 | 伝説
続きます。

えーシドロモドロになって書いて参りましたが、今一説得力がないですね。「チョットだけニュアンスが判るかなぁー」と言う感じでしょうか。

しょうがない。「ねぶた祭り」での掛け声「ラッセラー、ラッセラー、ラッセ、ラッセ、ラッセラー」に付いても調べました。

その結果、一般的な定説は「灯篭には昔は貴重なロウソクが使われてて、ねぶた祭りで使うためにロウソク代出せ、ついに菓子代・酒代も出せ、出せ、出せ、出せー」が訛って「ラッセ、ラッセ、ラッセラー」になったと言うのが最有力な説です。

この話、正しいか正しくないかは別にして、なんだかんだ言って「金(カネ)を出せ」って言っています。これ、元々は蝦夷に対して「金(キン)を出せ」と言っているのではないですかね。つまり蝦夷討伐の本来の目的を簡潔に述べていることとなります。

そう考えられば、私の説、辻褄が合うと思うんですけど、考えすぎでしょうか。

今度もまたアイヌ語で「ラッセラー」を訳してみます。

「ラ=肝、鱈の油、鱈の肝臓」、「ラッ=粘液、たん」、「セ=背負う」、「セッ=寝床、部屋」、「セッ=檻」。この程度でしょうかねぇー。

「たんを背負う?」、「粘液の部屋は鱈の油?」、「肝を檻でたん?」・・・・うーん、全然意味が通じない。

しからば似た発音で「ライ=死ぬ」、「ラン=下る」で考えると「ライセラン=死ぬ・背負う・下る=死を背負い下る」、「ライセッラン=死ぬ・寝床(部屋)・下る=死の寝床(部屋)に下る」となります。

これは意味が通じます。それに飛び跳ねるステップを加えると、一つの言い伝えが浮かんできました。アテルイ等投降して処刑された500人の蝦夷兵の家族達のその後です。

500人の蝦夷兵の家族、つまり非戦闘員の妻、子供、兄弟、年老いた親全員を大和朝廷は生き埋めにして処刑。埋められた蝦夷の家族の上を大和兵が踏み固めたと伝わっています。多分、その家族たちは数千人に上ると思います。

この話が真実かは証明出来ません。もし事実だとしたら、あの「ねぶた祭り」の踊りのステップは、足で土の下に埋められた蝦夷の家族達の遺体を踏み固めた動作と言えるのではないでしょうか。

「ラッセラー=ライセラン」だとしたら「死人を落とす」と言う意味合いになります。

「ラッセラー=ライセッラン」なら「死の国に落とす」とも取れます。どちらも意味は通じます。

だとしたら「ねぶた」の意味は、アイヌ語訳の「何でも取る」ではなく「根の国に落とし蓋する」。略して「根蓋(ねぶた)」とも取れます。

もしそうだとしたら前言を撤回します。「ねぶた祭り」は実施すべきでないです。勿論、私の説が当たっていたらですが・・・・・。

そしてアテルイ等が投降し、アテルイ等の命を嘆願したと言う田村麻呂の話はどう考えても嘘だと思います。家族全員を殺したのでしたら・・・・・・。

最後に何故「ねぶた祭り」が陸奥国・青森県の祭りなったのか。

それは津軽藩の藩主・津軽為信が京都に逗留していた時、田舎侍と言われるのがしゃくになって、「津軽の灯篭は日本一」と言いつつ大灯篭を掲げ京の都を練り歩いたのが切欠だとか言われてます。まっ、大見得切ったのが発祥と言う事になります。

その後、津軽家はお家騒動が起きて衰退。そして現在の青森県は沖縄県に次いで二番目に県民所得が低く、平均寿命もワースト1となっています。

縄文時代は日本で一番の文化を誇り(世界一かも)、一番栄えた土地なのに今は見る影も無いです。

これはもしかしたら蝦夷の御霊を愚弄している「ねぶた祭り」のせいかも知れませんね。
勿論、確かな根拠がある訳ではありませし、私の妄想が間違っていれば良いのですが・・・・・。


ではでは。




















コメント (6)
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