諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鬼渡神社と呼ばれていた永井神社。【訂正編】 その5

2014年06月01日 12時47分15秒 | 神道
続きです。

さて、住吉三神と祓戸の神である瀬織津姫には関連があります。神功皇后関連です。

神功皇后は住吉大神のグループです。住吉神社に祀られているケースも多いのです。

神功皇后が三韓征伐に向かったとき住吉三神が神功皇后に神憑りしたとされますので、住吉大神に数えられています。

そして三韓征伐での神憑りは住吉三神だけではなく、数柱の神が憑依しています。その中には天疎向津姫命こと瀬織津姫も存在します。

神功皇后に憑依し、夫である仲哀天皇を祟殺し(戦死したとも言われているが・・・)、日高見国を取るべしと語ったのは住吉三神、もしくはマガツ神こと瀬織津姫だと言われてます。これは何を意味しているんでしょう。

住吉三神も瀬織津姫も払い清めの神です。住吉三神は男神、瀬織津姫は勿論姫神。神々は性別を超えた存在ですので、同神の可能性も無きにしも非ずですが、流石に断言は出来ません。この点は大いに疑問です。

また、住吉三神とくれば宗像三神も絡んできます。

青森県に宗像三神を祀る三島神社がありますが、宗像三神だから三島。、だから宗像三神は島神と言えます。

古事記では発現順に、

沖ノ島の沖津宮ー多紀理姫

大島の中津宮ー市杵嶋姫

田島の辺津宮ー多岐都姫

っとなってます。

でもこの順序、日本書紀や宗像大社の社伝とは違います。祀られている宮と神がバラバラなんです。特に日本書紀なんか4通りも書いてます。訳が分かりません。

もしかしたら日本書紀の作者がいい加減で適当に書いてしまったとはとも思いましたが、古事記とは何故か被っていないし、宗像大社の社伝もいい加減に書いてあるとは思えません。

だとするとこの三女神は同神なのではないでしょうか。

三女神だから一霊四魂でも考えきれないから違うかなぁー。うーん、分かりません。

話を戻します。

沖津宮、中津宮、辺津宮という事は、陸地から離れている島の距離に対しての名前と言えます。つまり横の繋がりです。

住吉三神・綿津見神は底・中・上の縦の繋がり。祓戸四神・宗像三神は横の繋がり。これは何をいみしているのでしょう。

一つだけ言えるのは「男神グループは縦」、「女神グループは横」と言う事だけですかね。これも何を意味しているのでしょう。何が何だかさっぱり分かりませんわ。

あっ、言い忘れていました。住吉三神と宗像三神との関連ですが、どちらのグループも海神で航海の神である事です。そして双方、オリオンの三ツ星に関連してます。

昔の航海士はオリオンの三星でその位置を確かめていたそうです。だから航海にはオリオンの三ツ星が欠かせないのです。

オリオン三ツ星は航海していると縦に三列となって現れるそうです。そしてオリオン三ツ星を昔の航海士達は「住吉様」と読んでいます。

住吉三神の名には「筒」の字が付きますが、「筒=星」の意味合いも有る様です。そうなると住吉三神は星神とも言えます。つまり住吉三神はオリオン三ツ星の神様になると思います。

そして宗像三神ですが、三女神が位置する沖津宮・中津宮・辺津宮はオリオンラインと言うそうですが、オリオン三ツ星に模して配置していると言われてます。

そしてそして水平線からは、オリオン三ツ星は横一列になって現れるそうです。つまり横一列で現れるオリオン三ツ星は宗像三神となるのでしょうか。

だとしたら綿津見三神は斜めで現れるオリオン三星では・・・・・っと言いませんが、これらの海神3グループは全てオリオン三星に関連している可能性は高いと思います。

オリオン三ツ星だからこそ、三つの星に合わせての三神に纏められているのではないでしょうか。

因みに私、2級船舶免許を保有してますが、ペーハー航海士なものでオリオン三ツ星が縦で現れたり、横で現れたりする仕組みは分かりません。

機会があれば立派な航海士に聞いてみたいと思います。


続く。







コメント (4)
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