諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鬼渡神社と呼ばれていた永井神社。【訂正編】 その7

2014年06月06日 00時07分30秒 | 神道
さて続きます。

住吉三神と須佐之男命との関連。それが鬼渡神にどう繋がるのか。あー難しそう。

先ずは須佐之男は本来、イザナギ命に「海を治めろ」と言われているんです。だけど須佐之男命は大泣きして「お母さん(イザナミ命)のいる根の国に行きたい」とオオタダを捏ねる訳です。これは何を意味するんでしょ。

須佐之男命は「元々は海神だったが、海神にはならず黄泉の国を治めた」、「海神でもあり黄泉の国の神でもある」、「イザナギ命に怒られ、海神にも黄泉の国の神にも成れなかった」。この三つの説のどれかでしょうかね。

まぁ大変苦しいですけど、須佐之男命は海神に成る筈だったのは確かです。ここが住吉三神との接点ではあります。

そして忘れてならないことは住吉三神の次に三貴子、つまり天照大神・月読命・須佐之男命が産まれている事です。

つまり住吉三神と須佐之男命は兄弟です。でも同じイザナギ命の禊ぎで産まれたのに、三貴子は祓戸大神から除外されている。これはどう言う事でしょ。

天照大神と月読命はイザナギ命の左右の目から産まれています。そして須佐之男命は鼻から。

禊ぎは「身削ぎ」、「身殺ぎ」。そして「巳削ぎ」。つまり蛇の脱皮がルーツだと私は考えます。何故なら蛇の脱皮は顔の皮が剥がれるのが一番後になりますし、一番困難だからです。つまり三貴子は一番困難な禊から産まれたと言えます。

これから更に凄いことが展開できるのですが、流石に小さな小さな永井神社から広がり過ぎてしまうので、今回、この件はこの辺にしときます。またお題を「本来の三貴子(仮題)」と改めて書きたいと思います。

とりあえず住吉三神と須佐之男命は繋がりました。説明は不十分でしょうけど。暫しの宿題とさせてください。

そして次は須佐之男命と鬼渡神との関連です。

でもいい加減今回のお題、長くなりすぎてますね。この説明も大変長くなりそうなんて、これもお題を替えて詳しく書くつもりですが、一言で言うと鬼渡神も須佐之男命も疱瘡神であります。これは間違いないです。これも詳しくは宿題と言う事で。

次に鬼渡神社と呼ばれていた永井神社を建立したのが、坂上田村麻呂である件です。これは以前「坂上田村麻呂の夢枕に立った鬼渡神」で書きましたね。

蝦夷討伐の主なる目的は金の採取であり、その金を軍事費に回して蝦夷を討伐した。そして金の採取を地主神に感謝し、採取地で祀ったら鬼渡神が田村麻呂の夢枕に立ったという話です。

鬼渡神社だった永井神社を建立した訳だから、田村麻呂は鬼渡神を信仰していた。それは祟を防ぐ裏返しの信仰と言えますが、それが本来の神道です。自然な形だと思います。

それにしても「いわき市三和町永井」で金が採取されていたのでしょうか。いわき市と言えば炭鉱の町です。石炭は多くですのですが、金鉱山があった話は聞きません。どうなってるんでしょ。この点も分からず。

でも福島県には坂上田村麻呂から名を取った田村郡が存在します。田村麻呂と縁が深いのです。故に鬼渡系の神社が集中していると言えます。

この秘密は全国でも香川県と並んで何故か福島県に集中する塩竈神社が鍵を握っていると考えているのですが、この件も宿題でお願いします。

長くなりすぎましたので・・・・・。


続く。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする