諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫にからむ利権。 その2

2014年06月13日 04時10分27秒 | 瀬織津姫
何時もながら前置きが長くなりました。ここからが本題・・・っと言いたいところですが、私が瀬織津姫を知った経緯も書いておきましょうかね。

実はそんなに古くはないんです。7年ほど前でしようか。実際は30年近く前に読んだ本で瀬織津姫が出ていたんですが、瀬織津姫の名前は記憶には残りませんでした。

当時の私は、私の姓にも「ナガ」がつきますし、「本来の日ノ本の神はナガスネ彦。地元の奥州一宮・塩竈神社の真の祭神もナガスネ彦」等々考えていたもんですから、ナガスネ彦以外頭に入らなかったのであります。

そして20年近く前にパソコンを買いまして、小学四年生の頃に知った「何時も大釜を背負い、敵が来るとその大釜の中に隠れた。何時も姫を守っている」と言う謎の武将・永井平九郎を思い出して検索。その経緯の中でこれまた謎の神社であり、因縁の鬼渡神社に遭遇した訳です。

鬼渡系の神社や祀られている鬼渡神に興味を覚え調べた経緯は、「鬼渡神との因縁」で書いたので詳しくはそちらをお読み頂くとして、そこから瀬織津姫にたどり着いた経歴を述べます。

まぁ、何と言いますか、鬼渡系の神社を調べている者が私の他に一人います。福島県会津の方です。

その方が鬼渡系神社の情報を集める為に、鬼渡神についてのブログをわんさかと量産。そこに私が「いわき市三和町にある永井神社は以前、鬼渡神社と呼ばれていた」とコメントし、色々情報を交換していたんです。

その彼が「鬼渡神はセオリツ、セオリツ・・・」と恐れ多くも瀬織津姫をブログにて呼び捨てで連呼し、「瀬織津姫とは何ぞや」と思った次第でございます。

私は疑問に思うとその疑問に頭が支配される性質なもんですから、すぐさま瀬織津姫をネットで調査を開始。

そしたら瀬織津姫を祀る神社を求め、日本中を旅して回るY氏のブログを発見。「会津中心に鎮座する鬼渡系の神社は瀬織津姫を祀っているそうですよ」とコメントし、メールで詳細を聞かれたのがY氏との付き合いの馴れ初めでやんず。

そしてここからが本題です。私は鬼渡神と瀬織津姫の関連をねっとサーフィンしながら探していたのですが、瀬織津姫について詳しく書いているブログを発見。岩手県の人です。

岩手県の方で瀬織津姫を研究なされている方と言うと、わざわざ故郷??の名古屋から岩手に移り住み出版社を構え、瀬織津姫に関する研究本を三冊発行しているK氏が有名ですが、そのブログ主は民宿を経営。地元・岩手の神秘的な地をガイド??して回る方でもありました。仮にG氏としときます。

このG氏のブログですが、地元・岩手県の伝説や伝承を中心に、きめ細やかに丁寧に書いております。私は岩手県の伝説・伝承について余り知識がないので興味深く読ませていただきました。少々文章が大学の卒業論文的で私には難しい点がありますが、資料としては素晴らしいと思います。

それで私も度々コメントを書き、感想等を述べていたのですが、情報のお裾分け的に「福島県天栄村に田心姫を祀る明神瀧がありますが、実際は瀬織津姫が祀られている可能性が高い」。「宮崎駿のもののけ姫は、瀬織津姫がモデルかも知れないですね」的な事を書いたのです。

そしてコメントの返信と共に新しいお題目でブログが更新。その内容みてビックリです。一体どうしたのかと思いました。


つづく。










コメント
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