諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鬼渡神社と呼ばれていた永井神社。【訂正編】 その8

2014年06月07日 00時01分17秒 | 神道
今回のお題、最後の続きです。

これまで長々と鬼渡神社と呼ばれていた永井神社に付いて書いてきましたが、「永井」と住吉三神との関連はあるのだろうか。

「永井」は地名。地名と祀り神は関係ないだろうと誰もが思うでしょうが、鬼渡神との因縁はこれまでも度々感じていました。何か有るはずだと思います。絶対。

さて「永井」と言えば、この「いわき市三和町永井」には「三匹獅子舞」と言う独自の獅子舞が伝わっています。この地の氏神である「御塚神社」にです。

三和町には四座の御塚神社が鎮座してますが、私はこの中の一社の祀り神であり通称・弁天様と呼ばれる「湯津佐姫」に興味を持っているのですが、これら四座の御塚神社、女人禁制・土足厳禁を今でも守っています。破った場合、祟が生じます。最近も祟が発生してます。極論、「語るなかれ、聞くなかれ」の神です。そう言う訳で語りませんけど、瀬織津姫も本来はそのような神だと考えています。

話はそれちゃいましたが、「永井」在るところ「三匹獅子舞」在りなんです。この地の他に、あの有名??な「永井平九郎」を祀る秘湯の地・福島県天栄村の「御鍋神社」近辺にも三匹獅子舞が伝わっていますし、福島県大沼郡会津美里町永井野にも伝わっています。何故ざんしょ。

この三匹獅子舞の獅子の面ですが色は黒です。鹿の角が生えてます。衣装も黒。全ての三匹獅子舞共通です。

どうもこの三匹獅子舞、平家特有の獅子舞のようです。そして獅子舞というより黒龍の舞なのでは。

顔は潰れてはいますが、龍のようにも見えます。私、獅子舞について全然詳しくないのですが、獅子に鹿の角が生えているのは妙です(妙なのかどうかも知りませんが・・・・)。これは黒龍だと思います。

黒龍は瀬織津姫や宗像三女神であると言う話を聞いたことがあり、早速ネットで調べたのですが、自称・霊能者様達の発言ばかりが目立ちます。本当かどうか、はっきり言ってワケワカメです。

私は自称・霊能者様達の前向きな発言よりも、神社に伝わる伝承を重視する後ろ向きな人間です。それらは鵜呑みにはできません。

では、どうしたら・・・・・。

しょうがないから黒龍に神社をつけて検索してみました。出てきました、数社の黒龍神社が。

何故か福井県に多いようですが、黒龍神社はどこも貴船神、つまりタカオカミ神・クラオカミ神を祀っている様です。「貴船神=瀬織津姫」とは断言できないかも知れませんが、貴船神に繋がる「橋姫」は瀬織津姫とされていますから、黒龍も瀬織津姫を示すかも知れないですね。

まっ、それは兎も角、坂上田村麻呂は鬼渡神を祀っている。立烏帽子や鈴鹿御前の物語から瀬織津姫とも関連がある。そして何より鬼渡系の神社に瀬織津姫を祀っている社もある。そして黒龍である貴船神。何か「永井」の名に関わりがあるんでしょうか。うーん、分かりませんわね。

あっ、話は大きく脱線しました。住吉三神と永井の関連でしたね。

実は私、「大江流の永井氏」となります。大江は「大きな入江」を意味します。つまり大きな住吉と言う事です。これは大江姓は住吉三神から名を取ったのかも知れないですね。

そして永井氏の家紋は「一に三ツ星」。つまり「一にオリオンの三ツ星」です。同じ大江流の毛利氏と同じ家紋です。毛利氏は水軍で有名ですが、大江氏も入江を意味しているので海人と言えます。

故に航海を続けてきた歴史があり、住吉三神を信仰していたから大江氏。そして住吉三神を示す「一にオリオン三ツ星」なのかも。

永井氏の親戚筋に当たる渡辺氏は「オリオン三ツ星に一」の家紋です。多分、「一の字」は水平線を示していると思います。

つまり渡辺氏の家紋は「水平線の上空に輝くオリオン三ツ星」。永井氏の家紋は「水平線の下のオリオン三ツ星」。つまり海中の住吉三神を表していると思います。

えー、長々と書いてまいりましたが、坂上田村麻呂が永井神社を建立したと伝わっている訳で、永井氏が鬼渡神と直接関わっていたかどうかは不明です。田村麻呂の時代に永井姓があったかどうかも不明ですし。

しかし田村麻呂のバックには桓武天皇がいます。そして大江流の永井氏は桓武天皇の血筋です。

もしかしてここら辺が鍵なのではと考えたりしてますが、もう、どうにもこうにもシドロモドロ状態に陥ってます。

今回のお題は、この辺でお開きと言う事で。


ではでは。



コメント (13)
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