諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日本の地主神は手長足長(手名椎・足名椎)??

2014年07月27日 09時35分40秒 | 神道
葦原中国。高天原と黄泉の国との中間に位置する。つまり日本と考えていいと思う。

この葦原中国は大国主と少彦名が協力して造った国とされるが本当だろうか。だって須佐之男命が高天原で狼藉を働いて生爪を剥がされ落とされたのが葦原中国。大国主より須佐之男命が先と考えられている。これは変である。

須佐之男命は国津神としている人もいるが、高天原から落とされたのだから天津神の筈。つまり天孫族。ニニギ命よりも早くに天孫降臨していることになる。少なくても朝鮮から流れてきた神と言える。

では葦原中国の地主神は須佐之男命かと言うとそれも違う。須佐之男命が落ちてきたその国には、八岐大蛇に八人の娘を奪われた手名椎・足名椎の老夫婦が居たのだから。つまり手名椎・足名椎が葦原中国の地主神になるのではないだろうか。

手名椎・足名椎は共に大山津見神の子供。つまり兄弟であり夫婦。聖婚と言える。古い神々となる。

そこに須佐之男命がやって来て八岐大蛇を退治。そして須佐之男尊は手名椎・足名椎の娘である奇稲田姫と結婚。須賀の地に新居を構える。

ここでまたまた疑問。だって須佐之男命は「須佐の地の男」と言う意味。すなわち須佐に来る前は違う名前だった筈。これが疑問その一。

そして疑問その二。須佐之男命は須佐の地に足名稚を呼んで須佐の地の首長に任命。それにより足名稚は「稲田宮主須賀之八耳神」。もしくは「稲田宮主神」と呼ばれる事となる。

足名稚が稲田宮主神。だから娘は奇稲田姫。どう考えても稲田の名は父親が先の筈。つまり奇稲田姫にはその名の前に違う名前が付いていた事になる筈である。

まっ、それは兎も角、足名稚は須佐之男命により稲田宮主神を名乗る事になったという事は、足名稚は須佐之男命に稲作を教えてもらったと言う事ではないだろうか。「稲田」の名が付けられたのだから。

稲作と言えばお稲荷さん事、宇賀神。つまり宇迦之御魂神。稲田宮主神である足名稚とどう違うのか。

それも難しいので置いといて、その後、須佐之男命は根の国に旅立つ。つまり死んでしまう。何で年寄りである足名稚より先に死んでしまったのだろう。イザナミ命に会いたがっていたからであろうか。

そして須佐之男尊は須賀神社に祀られる。ここで不思議なのは須佐神社の神職は手名稚・足名稚の子孫とされている事。

出雲大社の神職である千家・北島家は、高天原から下ってきた天穂日命の血筋とされる。極端に言えば出雲の侵略者が国造となっている。

須賀神社は反対に元々葦原中国にいた手名稚・足名稚が国造となる。もともと葦原中国に住んでいた神の子孫が須佐之男命を祀っているのである。

神社は怨霊の封印装置と言えるが、手名稚・足名稚は須佐之男命に助けて貰った。稲田宮主神にして貰った。それを感謝して須佐之男命を祀っているのだろうか。

そして出雲大社の国造初代の天穂日命には「穂」の字が付く。天穂日命の11代子孫には「宇賀都久怒」と言う者もいる。

稲田宮主神と天穂日命。そして宇賀。同じ米繋がり。何を意味しているのだろうか。

そして私は何を言いたいのか。

それは何にも分からないと言う事です。

考えが練上がったら、また書きます。


ではでは。









コメント (6)
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