諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

原爆と神風。 その1

2015年01月01日 06時40分34秒 | 神道

私のブログを読んでくださっております奇特な皆様、新年、あけましておめでとう御座います。本年も長ぁーい目で宜しくお願い申し上げます。

さて新年、皆さんもお忙しい事と存じます。丁度良い機会です。どさくさに紛れて今回はタブーなお題を書きたいと思います。

タイトルは上記の通り「原爆と神風」。正直、検索されたくないので暈しだお題ですが、私が長年考えていた内容です。答えは出てませんけど・・・・・・・。

どう言う事かと言うと大変言いづらいのですが、日本の神々は若しかしたら仏教やキリスト教を嫌っている。更には信仰する人々を許さないのではないかと思えるのです。

どうです、エラい事言い出しましたでしょ。でもね、偶然とは言い切れない事例があるんです。そしてその内容を知っている人は大勢居る筈なのに、誰も語っていない。これ、とても不思議です。何故なんでしょ。

まぁータブーなんだと思います。そのタブーを私なんぞが語って良いものかとは思うのですが、奇特な皆さんにも考えて欲しいとの思いもありまして、そぉーっと静かァーに語りたいと思います。

さて、その前に今回の話を私に語ってくれた方を紹介しときます。この方は以前、私のブログに登場した「課長・島耕作」似の副編集長です。私が勤めていた総会屋系経済誌の副編です。

彼は長崎県長崎市出身。老舗の商店の息子です。なかり歴史のある商店だと聞いています。そして驚く事に実家では400本近い日本刀を所有しています。何でも南北朝時代の刀もあると言ってました。

何故そんな事が分かるかと言うと、刀って古い物は反りが入っているのです。古い時代の鎧は強度がないので鎧ごと袈裟懸けで斬れます。つまり、斬りやすいように反っているんです。

そして鎧も歴史を重ねるごとに強化されます。戦国時代にもなれば刀では斬れなくなる。刀は斬るのではなく、鎧の隙間を突く武器となる。つまり反りがなくなり直線的になります。だからある程度刀が制作された時代が分かるのです。

何故、副編の実家に400本近い刀が所蔵されていたのか。

これ、私の想像なのですが、副編集長は長崎の殿様だった松倉氏の家系だからと考えます。副編集長の姓も松倉姓に似ていますし・・・・・・・・(発音が殆ど同じ)。それに副編はキリスト教徒を毛嫌いしていましたので・・・・・・・(けちょん、けちょんに非難します)。

副編はよくキリスト教徒の悪口を言ってました。「キリスト教徒は清廉に思われているが、多くのお坊さんを問答無用で殺して来た過去がある。キリスト教徒は昔から無頼の徒で、長崎では嫌われている」等々です。怒り心頭です。

副編がキリスト教徒を嫌う点も松倉氏の家系故に思えます。松倉氏は島原藩の松倉勝家が悪名を轟かせています。島原の乱はこの松倉勝家が引き起こしたと言えますから。

 

続く。


 

 

 

 

 

コメント
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