諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鬼渡神との因縁。【仙台・大法寺編】 その1

2015年01月13日 20時39分24秒 | 神道

私と鬼渡神との因縁。それは現在住んでいる家の氏神が鬼渡神(岩切・八坂神社境内社 冠川神社〈祭神・志波彦神〉)であったり、私の店舗での氏神が元々は鬼渡神(二柱神社・仁和多利大権現)だったり、従兄弟が事故で亡くなった場所近辺にも鬼渡神(仁渡神社〈祭神・水分神〉)だったりです。

そして極めつけと言いますか、私を神道に引き付けた切欠である私の故郷・福島県いわき市三和町の永井神社(主祭神・住吉三神)。この永井神社が元々は鬼渡神社と呼ばれていただったりです。

だったり、だったりなのです。そしてまたまただったりを発見してしまいました。まっ、チョット聞いてやって下さい。

話は今回も私の親父です。今から約5年前、私の親父は日本人男性の平均寿命の年齢に到達し、そろそろ自分の墓を探さねばならぬと思っていたのです。

っとは言っても、ここは仙台。曹洞宗の地です。お寺と言ったら曹洞宗。そして我が家は福島県の平家の家系。浄土宗となります。仙台は浄土宗にとってアウエーの地。本当に浄土宗のお寺の墓地は少ないのです。

私は墓地なんて公営で十分。浄土宗のお坊さんを呼んで来てお経を上げて貰えばそれで十分と考えていたのですが、親父は違いました。変にこだわりを持っており、意外にも「浄土宗のお寺の墓地でなければならない」との信念があったのです。

そしてその日は来ました。何と新聞に「浄土宗のお寺の墓地販売」のチラシが。仙台市北山にある浄土宗「円光山 大法寺」のチラシが入っていたのです。

私の親父は直ぐに飛び付きました。そして母と私を連れて分譲墓地を見に行ったんです。

正直言って私は微妙でした。墓地の分譲価格は百数十万円。それにしては墓地はびっくりするほど小さい。「こんなに狭いのに」と思いましたわ。

それでも角地の墓地があり、「宅地も墓地も角地が一番」と思い込んでいる私ら家族は「チャンスなのかなぁー」と思いはしましたが、何とその角地の隣に古い墓石が山積みにされたのです。これは流石に不気味です。

よくよく考えてみて今回分譲されている墓地は、この山積みになっている墓石を引っこ抜いて造ったのではないでしようか。そんな墓地を買って墓を建てて良いものなのか。何か死んで墓に入っても祟られそうで、「大丈夫なのかなぁー」と思いましたわ。

この大法寺は割と仙台市内の中心部に近い場所にあるので、仕方がないのかもしれませんが、「これだっ」って言う気持にはなれませんでした。

これだったらもっと田舎の場所で、大きな敷地の霊園の方が断然良いと私は思うのですが、私の親父は平均寿命を突破し、切羽詰っていたのでしょうね。自分でさっさと決めちゃいました。角地じゃない墓地を。

角地は古い墓石が恨めしそうでしたし、同じ値段でしたが墓相の点で問題だと考え諦めました。

まっ、妥協で決めてしまったと言うところでしょうね。

 

続く。

 

 

コメント (4)
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