諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

姓名判断での「綱永井寵生」。そして戦国大名。

2015年01月21日 00時07分56秒 | 占い

「綱永井寵生」。私のペンネームでございます。「ツナガイ・チョウショウ」と読ませるか「ツナガイチョウセイ」の方が良いか結構悩みましたが、私の本名は「ショウ」とも発音出来る事から、「チョウショウ」にしときました。この名前を生み出すのには十数年掛かりましたわ。

私、本名は天格9画(転落と隣り合わせ)、人格12画(失意・失敗を示す)、地格8画(完成に今一歩)、外格13(知力に優れる)、総格17(成功するが独善的)。悪くは無いですが、波乱の連続である因果な家系を生きる私には弱い運気の名前です。気の流れも良いとは言えません。

そこで私の名に「辰」をプラス。「辰」は私の生まれ年であり、私の本名と対の字です。それを合わせれば私の本名の意味合いを更に高める事が出来ます。

そして画数は天格9画、人格13画、地格15画(立身出世を示す)、天格13画、総格24画(他の画数に問題が無ければ、平和で金運に恵まれる)となります。大きく運は好転します。実社会では「辰」の字を取り入れて本名と同じ発音としています。キラキラネームとなりますが、何となく「良い感じかなぁー」と思い込んでいます。

そして「綱永井寵生」と言う名。ネットでの名前として考えました。

それまでは永井平九郎(知らないでしょうけど)の「平九郎」、永井伝八郎直勝(知らないでしょうね)の「伝八郎」、永井直勝の叔父・永田徳本(知って欲しいなぁー)ので号ある「知足斎」をネットでの名前としていましたが、人の名を借りるのではなく、自分オリジナルの吉名を用いたいと思ったのです。

「綱永井寵生」の名前ですが、これは私の本名に「井」が入ってることから御井神の綱長井神から取り「綱永井」としたのです。

私の家系は元々は長田姓ですが、長田姓は源氏の頭領である源義朝を討った家柄です。池田恒興を討った長田伝八郎直勝は徳川家康の秘書的役割を任じられたのですが、源氏の血筋を主張する徳川家康から「縁起が悪い」と言う事で改名を命ぜられ、鎌倉の大江流長井氏に入る形で永井を名乗り永井直勝となりました。

これは元々、長田氏が「永井」の姓を別に持っていた事から、大江流長井姓を永井として使用したと思われます。故に私もこれに習い「綱長井」を「綱永井」としました。

そして「寵生」ですが、私には大変仲の良い「龍」と言う従兄弟がいて、今から32年前、21歳で事故死してます。私は彼を失いたくない。だから私に彼を憑依させたい。彼と共に生きて行きたいとの重いから、龍を宿し生きていく意味合いを込めて「寵生」としました。この「綱永井寵生」と言う名は、私の波乱だらけの人生の集大成として付けたんです。

そしてその画数は、天格23画(努力が実る)、人格23画、地格24画、外格24画、そして総格が47画(慶運をもたらす最大吉数)となります。

同じ画数が重なるのは余り吉とは言えませんが、気の流れもまずまずで、全部の画数が大吉となります。ここまで良い名前はチョット無いと思いますね。

特に一番大事な総画が47画と言うのは究極だと思います。

47画なら絶対幸せになれる。因果を薄められる。

それなら総格47画の人物にはどんな者がいるのか調べたくなるのが私の性。どうせなら戦国時代の人物で調べようと思いました。

結果、いました。総格47画の戦国武将が。

その武将の名は「朝倉義景」。織田信長に討たれ、浅井長政、浅井久政同様、頭蓋骨を金箔を塗られ余興にされた朝倉義景の総格が47画です。うーん、これは・・・・・、うーん。

戦国武将は誰もが人殺しの家系です。そして誰もが波乱の人生を歩んでいます。これは姓名判断の効力では、人殺しの因果も波乱の人生も乗り切れないと言う事なのでしょう。

姓名判断に頼ってはいますが、姓名判断程度では気休め程度の効果。されど姓名判断に縋りたいとは思っていますが、うーん残念です。

いやいや、それでもチョットは効果はある筈。そう信じて「綱永井寵生」の名でこれからもブログを書いて行こうと思っています。ドンキホーテの様に思われてもね。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (6)
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