諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

臨死体験。

2015年12月12日 08時16分52秒 | 出来事

私、「これが死ぬと言う事なのだな」と実感した事があります。でも流石にこんな事人に言えませんし聞けません。そしたら私と同じ事を考えていた人がいました。瀬戸内寂聴さんです。瀬戸内さんも私と同じ考えだったのです。

その臨死体験とは全身麻酔です。瀬戸内さんは腰椎圧迫骨折で入院。胆のうがんが見つかり手術。全身麻酔した時に「これが死ぬ感覚なのでは・・・」と言ってました。

私の場合、鼻の軟骨切除手術での全身麻酔です。私は糖尿病なので血糖値を落とさなければ、手術で血が止まらなくなり出来ない。食事治療で2週間かけて血糖値を落とし手術しました。

更に私は重度の注射恐怖症。点敵タイプの麻酔の注射をするのは恐怖です。何時も通り腕の同じ場所にして貰わないと失神します。でも全身麻酔すると言う事とは失神する訳です。

「うーん、どうなんだろ。一言麻酔科医に言って置くべきか・・・・・」と思った瞬間、手の甲に麻酔の注射が・・・・・。

私、何時もの血液検査で高見盛の様に何度も何度も顔を自分で平手打ちし、気合を入れてから血液採取に望みます。そうしないと気を失うのです。失神してしまうのです。これまで完全に三度ほど失神しています。

失神寸前で思考回路が停止するのは何時もの事です。だけども全身麻酔では気合を入れられない。失神してしまう。でも全身麻酔するのなら失神するのは好都合なのか。

「うーん、何がなんだか判らない。どうしたら良いのだ・・・・」と思っていたら、気合を入れる間もなく手の甲に注射。初めての手の甲です。失神寸前のショックです。

「なんて所に注射するんだ。急に注射するなんて、まだ気合も入っていないのに。初めての手の甲に注射するなんて酷過ぎる。あっーどうしよう」と思いましたよ。

「手の甲に注射、あっ、あっ、あっ」と思っていたら、フワァーとした感覚に陥り、ボォォォォーとして来ました。

「あっー何か気持ちがいい。自分の感覚が霞の様に消えて行く。あっっっっっーーー」となって何もかも思考が停止ししました。多分、マスクからも気化した麻酔を嗅がせていると思いますけど。

そして直ぐに目を覚ました。そしたら麻酔から3時間経過し、手術は終了していました。でも私に取っては麻酔から1分も経っていない感覚です。これは狐につままれた感じです。

もっとも狐に化かされるのは、物理的には尻尾に蓄えられた静電気でスタンガンよろしくビリビリと失神させられるのです。同じと言えば同じですね。

この全身麻酔ですが、変な事をい言わせて貰えれば「良いものだなぁー」と思いました。痛みから救ってくれる麻酔。これは素晴らしいです。麻酔はケシから作るそうですが、大麻同様素晴らしい神の恵みだと思いますね。

そして全身麻酔で意識を失う感覚。これが死なのではと思うのです。背負っていた荷物を全て降ろし安らぐ感覚。何と言いますか、この感覚を味わう為に人間は生きているのではないかとさえ思います。

瀬戸内さんも死んだ方が良いと思うほどの猛烈な痛みと戦ったそうです。人間、否、生き物って痛みに本当に弱い。「こんな痛い思いをするなら死んだ方がまし」と言ってました。

私も神経が切れた掌の鈍い痛み程度でさえも「死んだ方がましかも・・・」と思ったりします。

生物のゴールは死です。私は死ぬ為に生きている。死はそんなに悪いものではない。全身麻酔を体験し、何となくそんな想いを感じます。

人生の半分以上歳を取ったからそんな境地になったのかも知れませんけど。

 

ではでは。

コメント (2)
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