諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「仙台砂漠」と言われてた。

2015年12月17日 01時09分15秒 | 出来事

PM2.5。中国の大気汚染は深刻ですねぇー。あれでは肺癌になる人や気管支を痛める人が大勢出るのではないでしょうか。癌にならなくても肺へのダメージは明らかです。あんな国には行きたくも住みたくも無いです。

ニュースで中国のPM2.5による大気汚染が度々取り上げられ、その都度その光景を見ていますが殆ど霧のようです。あれは体に悪い。酷すぎます。

日本にも当然PM2.5が流れて来ています。仙台は比較的影響は少ないみたいですが、本当に迷惑です。日本海側や九州の方々が気の毒です。

しかも中国大気汚染防止の緑化運動だかに日本は1000億円も寄付するみたいですね。もう踏んだり蹴ったりじゃないですか。いい加減しっかりし対策を取って貰いたいですね、中国には。

それにしても凄い大気汚染です。掃除機で空気を吸い取ってレンガが作れる程のPM2.5。私、思い出しましたよ、仙台も昔はこんなだったと。

私が子供の頃、仙台は雪国でした。一日に30センチを超える積雪量があったものです。私が中学生、高校生だった頃までです。そしてこの頃から温暖化となってきた。雪が降らなくなってきたのです。

昭和58年当時、内山田洋とクールファイブの「東京砂漠」なんて曲がコマーシャルで流れてましたが、仙台は「仙台砂漠」と言われるほど粉塵が凄かった。雪が降らなくなっても全部のクルマがスパイクタイヤを履いていましたから、スパイクのピンで路面が削れてアスファルトの粉塵が舞い上がり、今の中国みたいな状態になってたのです。

多分、日本で仙台が一番酷かったと思います。当時の仙台は地下鉄も無い。クルマが無ければ生活が不便。だから誰もがクルマを保有していた。札幌みたいに雪は降らないから道路が削れまくっていた。何度もアスファルトで道路を補修し、道路の白線も塗装し直してました。

若い人は知らないと思いますが、仙台では以前、広島市同様路面電車が走っていたのです。その路面電車のレールがスパイクタイヤで路面が削られ毎年出て来てました。それだけじゃなくタイヤの轍が出来てバイクは走りづらいのなんの。あれは危険でした。それだけ凄かったのです粉塵公害が。

凄い回転ブラシが付いた車両が何時も噴水を出しながら公道を走りまくっていました。粉塵を回収する為に。道の端には粉塵が砂場みたいになってましたよ。呆れるほど凄い量でしたね。

その影響を一番受けていたのは私でしょうね。新聞配達で毎日国道をバイクで走りまくっていましたから。粉塵吸い放題でしたから。

「こりゃ、肺がんになるな」と思いながら家のために新聞配達してましたよ。命を削って。ホント、酷い時代でした。

この粉塵が大問題となりまして、仙台では1985年に全国初の規制条例が制定。1992年には違反車には罰金が規せられました。

流石に最初の頃は「スパイクタイヤ無しでは車は走れないし危険。早朝から働いているのにどうしたら良いのだ」と思っていましたが、雪も降らなくなっていた事も有るし、それ程問題とならずスムーズにスパイクタイヤはスタットレスタイヤに移行。現在は誰も「仙台砂漠」なんて言わなくなりました。ホント、やろうと思えば出来るものなのですね。

中国でもやろうと思えば出来る筈です。やらないとPM2.5で中国国民は肺癌で多くの命を落とす筈です。

それに中国経済はもう御終いです。次にベトナムなどの東南アジア、インド、南アメリカ、そしてアフリカが控えています。世界の工場ではなくなりつつあるのです。

どうせ駄目になるのだから経済よりも綺麗な空気、そして健康を重視した方が良いと思います。

まっ、どうせ聞き耳持たずで、滅んでしまうのかも知れませんけど。

 

ではでは。

 

 

 

 

コメント (6)
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