諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

真田と言えば昌幸・信繁(幸村)よりも真田信之(信幸)でしょ。その4

2015年12月24日 03時55分11秒 | 歴史

続きますます。

信之は1614年からの大阪の陣には病気を理由に参陣してません。長男と次男が代理として出てます。これは私、仮病とまでは言わないまでも信繁と戦わなければならない心労で体調を崩した。或いはやっぱり自らは戦いたくなかった為だと思います。信繁は確実に死ぬと思っていたでしょうから。

そしてもう関ヶ原の戦いの時の様に助ける事は不可能。私も信之ならば参陣しません。息子に任せると思います。辛すぎるのでね。

実際、信之は93歳まで生きてます。当時としては驚嘆するほど長命です。長命過ぎて長男・次男の方が先に亡くなっています。それで家督相続問題が起きた程です。それ程長生きした信之が病弱だったとは考えられません。やはり弟とは戦をしたくなかったと思いますね。

家康が大阪の陣で真田が大阪城に入場したと聞いた時、「それは昌幸か信繁か」と口走り、信繁と知ってホッと安堵したそうです。

家康は昌幸はまだ生きていると思っていたが、信繁が入城したと言う事は昌幸は本当に死んでいた。信繁ならば大した事は無い。それで安堵したのでしょう。

もう信之も家康も大阪の陣の勝利は始まる前から確信していた。否、大阪の陣を画策し豊臣方を一掃しようと考えたのは家康ですから計画通りとなった。そして信繁の死も確実に。

信之は落胆したでしょうね。信繁は何故判らないのか。それ程自分の名声が大切なのかと。自分とは余りにも性格が違う。否、本当は自分と戦いたいから、自分を超えたいと思っているから大阪方に走ったのではないか。

信之は紀伊九度山に流された昌幸・信繁親子を金銭面で支援し続けたのです。面倒を見ていたのです。それなのに大阪方にまた走った。こんな裏切りは無いです。これは悔しかったと思いますね。

私、思うのですが、信繁は自分の名声だけではなく、信之への嫉妬が少なからず合ったと考えます。信之と信繁とでは本当に実の兄弟なのかと疑うほどの違いが有りますので。

先ずは身長。信之は鎧の大きさから185cmだったと言われてます。当時としてはかなりの長身です。それに対して信繁はの身長は小さかった。当時としては平均的な150cm台の身長だった。

「金は要らなきゃ、女も要らん。わたしゃも少し背が欲しい」と私も少ながらず思っていますが、信繁は兄・信之に対し、見た目でのコンプレックスを感じていたのではないかと思います。

そして地味に思われている信之は温厚な性格ですが、戦となれば総大将でありながら常に先陣を走っていた程の武勇の持ち主です。信之と戦った富永主膳も自分を負かした信之の采配を大絶賛しています。明らかに信之不利の戦いで鮮やかな勝利を得た信之に対して敵が賞賛したのです。武勇の面でも信繁はジェラシーを感じていた。

更に秀忠軍を遅参させた昌幸・信繁親子に対して、徳川秀忠は大変な恨みを持っていました。だからこそ信之は徳川家に対し献身的に尽くしています。それでも信之は秀忠から松代に移封させています。信之は昌幸・信繁への責めを自分が代わりに負っているのです。

それに対しても引け目があった。それも兄・信之に対し劣等感となった。だからこそ大阪の陣に参陣し、名声面で信之を超えたかったのではないかと思えます。馬鹿馬鹿しいと思いますが、意地と面子がものを言った時代ですので。

さて来年の大河ドラマ「真田丸」ですが、何度も言いますがストーリーは予想が付きます。真田信繁のストーリーでは少々新鮮味に欠けるのは否めません。

そこで提案なのですが、信之の視点でストーリー展開してはどうでしょうか。

これは新たな発見に繋がりますし、信之の魅力、苦悩、生き様はドラマになります。今の時代、信繁よりも信之の生き様の方が共感を得られると思うのですが、いかがでしょうか。

そうしていただければ、かなり魅力的なドラマ展開になると思うのです。どうでしょうか。

勿論、私が長男故の信之びいきが先に立っているのは正直な処ですが。

 

ではでは。

 

 

 

 

コメント (4)
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