続きです。
今度こそ本当に富士山の魔王天神社に戻ります。魔王について一番データーが残っているのは魔王天神社しかありませんので。
魔王天神社の御神体はおびただしい数の鉄剣と鉄矛です。これは理解出来ます。経津主は人を剣でフッツと切り殺すからフッツ主。漢字で書いて経津主です。罪人を切り殺す事で祓い清める神です。剣や矛が御神体であるのは当然と思います。
私、以前は塩竃神社はどうしても好きになれませんでした。武神である鹿島神・建御雷神、香取神・経津主を祀る事で日高見国を侵略し、蝦夷を殺した事を正当化している神社だと思っていました。
蝦夷なんて蛮族は生きているだけで罪。生きているのが可哀想な存在。だから蝦夷を殺して生きる辛さから開放してあげよう。蝦夷を殺すのは蝦夷を救うことだとの意味から、塩竃神社に武神である建御雷神・経津主が祀られているのだと考えていました。
しかし、神道をチョット学んで考えを改めました。確かにその要素は否定出来ませんが、神道の神々は人の罪を自分が実践し、人の代わりに罪を受ける存在だと知り、もしかしたら殺された蝦夷達が建御雷神と経津主なのではないかと思い始めたので。
実は経津主や瀬織津姫の「津」の字が気になっていました。「津」は「○○の」の「の」。つまり間接詞。そして「天然の港」の意味です。しかし「津」の文字の形の意味は違います。「体中から血が噴出す姿」から「津」の文字が出来た。つまり「人が切り殺された姿や死体」か「津」なのです。
そう考えると経津主は「剣で切られて血が噴出しているリーター」。瀬織津姫は「切り殺された者を背負い黄泉の国に運ぶ姫」、或いは「切り殺された者の穢れを背負い黄泉の国に運ぶ姫」。否、神道の考え網羅すれば「人の代わりに切り殺され死んで行く姫」となります。人の代わりに切り殺されるのであれば大変尊い神です。
神道は日本語ではありません。イエズス会が名付けた国際語です。神道の以前は神祇と呼ばれていた。そして元々は「神祇」と書いて「タツ」と発音していた。
建御雷神の「建」、経津主の「経」も「タツ」と読める。神道は「タツ」の信仰であるならば、この両神は神道の要となる神々である可能性が高い。
その考えから鹿島神宮や香取神宮、そして塩竃神社は神道の本流を行く神社である。だからこそあれだけの信仰を集めているのだと思います。
話を魔王天神社に戻します。多くの鉄剣と鉄矛が御神体。私、この光景を見ています。多賀城市の「あらはばき神社」で。
「あらはばき神社」は足の神様なので草履とかも奉納したのか吊るされていましたが、錆びたハサミや包丁、鉄の輪なども奉納??されていました。
「あらはばき神」は産鉄の神でもあるので鉄のハサミや鉄輪があるのは不思議とは思いませんが、魔王天神社の剣や矛も鉄です。「あらはばき神」と「魔王」には共通点があると思います。
続く。