諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

魔王神社の魔王とは誰なのか!? その5

2016年10月08日 22時51分45秒 | 第六天魔王

続きます。

またまた脱線してしまいました。話を魔王天神社に戻します。戻しますけど魔王天神社に付いて調べるのが難しいですねぇー。

ネット検索してみてもヒーラーみたいな人が「なんて恐ろしい程のエネルギー・・・・」とか言ってますけど、実際行って見ないと実感が湧きません。多分、このヒーラーみたいな人も「魔王」と言う字に恐怖した点はあると思いますし。

それでもネットで調べた結果、魔王天神社は以前は別の場所に鎮座していた。社中に古太郎坊(小御嶽太郎坊正真)と言う小詞があり、道開きの神として富士山の中腹である小御嶽に遷座。小御嶽権現と称し、現在の小御嶽神社の元となったそうです。

 更に魔王天神社は魔王の山を御神体とするため拝殿は無し。古来から近隣の村人は魔王大六天(おだいろーさま)と呼んでいて、台風の季節になると風の神として農作物の無事を祈願していた。戦時中は出兵した者が無事に戻ってこれるようにと祈願で賑わったそうです。

まっ、これて魔王の正体は大体お分かりになったと思います。私の予想通りでした。お終い。

っと、ここで終わってしまうと折角読んで頂いている奇特な皆様に失礼です。しょうがないので私がデーターを集めて考えを述べたいと思います。

先ず、魔王天神社は神仏習合時代は小御嶽権現と言われていた。この「小御嶽」とは噴火を繰り返し現在の富士山になる前の富士山です。

判りますか。昔は麗しかったであろうと想像した富士山と言う事です。そして魔王の山とは富士山で間違いありません。

因みに現在の富士山の五合目には冨士山小御嶽神社が鎮座。主祭神は磐長姫。そしてそま辺りは昔、「天狗の庭」と呼ばれ天狗の小御嶽太郎坊正真も祭られています。

魔王天神社の名が「第六天魔王」から来ているのは前にも述べましたが、当時の人々は第六天魔王をどう思っていたのか。実はこれ、二通りの想いが見られます。

謡曲「第六天」では「第六天魔王は群魔従えており、煩悩、悪魔、障碍を掌握する魔王であり、戦乱を引き起こす魔業の神。厄神であり牛頭天王が婆利菜女を后として産まれた八王子の1人」との事です。これは仏教から見た第六天魔王の姿です。

牛頭天王はスサノオ尊の事ですから、南三陸の魔王神社にスサノオ尊が祀られているのも納得ではありますね。魔王はスサノオ尊の子供なのに何時の間にか父親のスサノオ尊と間違って祀られたとか。想像ですけど。

民間信仰では第六天魔王は、大いなる魔力で人々をもろもろの災難から守ってくれる魔除けの神として信仰されています。これは神道での考えだと言えます。神道と仏教は反目しあっている部分があるのです。

朝廷は仏教を日本に浸透させ民衆の統制を謀ろうとした。その為に仏教の妨げとなる日本の神々を魔とする必要があった。しかしながら民衆は古来からの神々に対する信仰を捨てなかった。

それで朝廷側は民衆に取り入ろうと日本古来の神々を仏教の神として習合。その過程に第六天魔王が誕生した。

恐ろしい存在だが恐ろしいが故にその力は強大。その強大な力に縋り魔を魔で祓って貰いたいとする新たな形の信仰が生まれた。それが第六天魔王だと思います。

 

続く。

 

 

 

 

コメント (6)
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