諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

塩流神社に祀られる塩竃神の姉とは!? その1

2016年10月22日 04時12分36秒 | 神道

塩流神社と書いて「えんりゅう神社」と呼びます。宮城県仙台市青葉区熊ヶ根に鎮座しています。

仙台市で青葉区と言えば、市役所や県庁所在地であるので外部の人達は仙台の中心地と考えるでしょうが、青葉区は大変広大なのです。東京23区の半分近い面積があります。熊ヶ根なんて所は山形県よりの山の奥です。かなりの田舎なのです。

因みに熊ヶ根は熊野神社が鎮座しているからこの地名になったと聞いています。

この熊ヶ根には大きな橋があり、その橋を渡って大倉ダムへよく通っていました。ヘラブナやワカサギ、鯉を釣りにです。

更に大倉ダム上流には浄土宗の東のメッカである定義山如来西方寺があったので、浄土宗徒の家系である私も何度か通いました。

定義山の開祖は平貞能。若くして亡くなった平清盛の長男・平重盛の側近です。平重盛から授かった阿弥陀如来像を持って源氏の追跡を逃れてこの地に来た。貞能の読み方を変えて定義と称して阿弥陀如来を祀り信仰の地となったのです。

私の父方の祖母も熱心な浄土宗徒だったので、定義如来に行きたいとよく言っていました。でも、私の家系は平重盛に命を狙われた長田忠敬に繋がります。平貞能にも軽蔑されていた筈。それなのに定義如来に詣でていいものなのか。うーん、長くなりそう。この話はまたの機会にしときます。

 塩流神社に付いては知ってはいました。熊ヶ根に鎮座している事は。でも何となく行きたいと思わなかったのです。私レベルの人間がおいそれと行ける神社ではな様な気がして。

ネットで検索して写真を見ましたが、やっぱりビリビリ来ます。よっぽど気合を入れないと参拝は無理みたいです。いづれ参拝に行く事となりそうですが、午前中に礼節を持って出かけたいと思います。

この塩流神社の祭神は建御雷神と経津主。鹿島神と香取神です。同神で間違いないと思います。

創建は不明。1774年に書かれた「安永風土記書出」では熊ヶ根村の鎮守で当時は塩流山神社と呼ばれ、塩竃明神の姉が祀られていたと書かれています。

塩竃明神とは塩竃神社に祀られている塩竃神を指します。そうなると塩土老翁、建御雷神、経津主。そして志波彦神が考えられます。それらの神の姉とすれば一体誰なのか。

ここで私は聖婚の考えを採用したいと思います。つまり兄弟でも有り夫婦でもあると考えます。

志波彦神で考えると妻神は志波姫神となります。志波彦神が阿須波神であるとするならばその妻神は波比岐神となる。

「志波」は「柴神」から来ているとしたら、「柴(シバ)」は「サイ」と読むことから道祖神である塞ノ神となる。その妻神も同じく塞ノ神。

 下ネタで申し訳無いが、塞ノ神の「塞(サイ)」は「塞(ふさ)ぐ」。つまり男女の性交を意味する。つまり塞ノ神は男女。夫婦。つまり一心同体の神。そして国津神であるのなら聖婚の考えから兄弟でもある。

 

続く。

コメント (3)
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