諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

大川小学校津波控訴判決を考察する。

2016年10月27日 14時59分12秒 | 東日本大震災

村井宮城県知事、顔色が青くなっていましたね。大川小学校津波被害での控訴で石巻市と宮城県の責任が問われ、14億円の損害賠償の判決が出て。

彼はあの表情から判決は棄却されると考えていたと思われます。甘いんですよ。震災はまだまだこれからです。長沼ボート場でのオリンピックなんてどうでもいい。そんなのやっている場合ではない。

小池知事と嬉しそうにボートに乗って長沼ボート場を案内していましたが、何を浮かれているんだと思いましたよ。これからまだまだお金がかかるのに、そんな事やっている場合か。200億円も出してボート場を整備している状況じゃない。その自覚をちゃんと持って欲しいです。宮城県はお祭する余裕なんて無いのですから。

私の言いたい事は「人の命を預かる怖さ。【東日本大震災・大川小学校の悲劇】」で書きました。今も考えは変わりません。

津波被害に遭われた23名の児童のご家族が23億円の損害賠償の訴訟を起こした時、全国から非難が殺到しました。「地震や津波なんて予知出来ない。金儲けする為に裁判するのか。守銭奴が」とか。

私はとガッカリしましたわ。あの光景を見た者としましては。被害者のご家族は辛かったでしょうね。子供を失ったのに日本中から仕打ちの声が上がって。

実際、この釜谷地区は大勢の方が亡くなっています。海から4キロも離れている。今までここまで津波は来たことがない。ここまで津波は来る訳が無い。そう思っていて津波被害にあわれた方が大勢いると思います。その人たちは大変残念ながら津波の到来を予見出来なかったと思われます。

しかし、津波の到来を予想した人もいた。大体、小学校の前に川があるのです。津波が川を遡るくらい予想して然るべきです。子供を大川小学校まで迎えに来た親もそれは判っていたと思われます。

そして亡くなってしまいましたが、「津波が来る。皆死んじゃう」と先生に訴えていた子供もいた。裏山に逃げて助かった教師と児童もいた。つまり校庭で待機した教師や児童でも津波の到来で意見が分かれていた。予見していた者も予想しなかった者もいたって事です。

これは予見と言うよりも知識の問題だと思います。知識があれば津波が来るのが判る。それだけの話です。

リーダーの立場にあった教師がその知識を身に付けていれば殆どの児童は助かったと思われます。教師に従った児童が気の毒。死者を貶したくはないですが、津波の知識習得を怠った教師の責任は重大だと私は思います。

当時、校長は不在。教頭が指揮を執った。しかし津波の知識があった教師もいた。意見が分かれた。私、どうしても教師間の関係にも問題があったと思います。教頭がワンマンだったのではないかと思えるのです。

実際、教頭は津波に呑まれ亡くなりました。しかし、裏山に逃れた教師は助かった。この助かった教師はこの時の経緯を話す責任があると思いますが、生徒を置いて逃げた事を責められるのが辛いのか裁判に出て来ません。

心身とも病に臥しているとの話ですが、話さないと言う事は教師と言うよりも人間として失格だと思いますね。

自分の事しか考えていない。そりゃ辛いでしょうけど子供を失った両親の方がもっと辛い。その両親の為に事実を包み隠さず保身に走らず語るべきだと思います。その位の責任を果たせと言いたい。

宮城県の教師のレベルの低さは再三経験していますが、その程度の責任も果たせないのなら生きる資格も無いと私は思います。嘆かわしいです。

裁判は亡くなった23名の児童の親が控訴し、23億円の損害賠償を請求。14億円の賠償責任としました。つまり請求の6掛けが聞き入れられたと言う事になります。

判りやすい判断です。全額認める訳にはいかない。しかし半分以上は認めないと。だから6掛けが適当と裁判官は判断したのでしょう。うーん、複雑です。そんな程度の基準で人の命に値段を付けたのであれば。

それでも勝訴したのは評価出来ます。そして大川小学校では児童だけでも74名が亡くなっている。まだまだ裁判が続く筈です。

こんな事態となっているのにオリンピックで一喜一憂なんてしている場合ではないと村井知事に言いたい。もっと震災に注力せよと言いたいです。それが宮城県知事の一番の仕事だと思いますね。

 

ではでは。

 

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塩流神社に祀られる塩竃神の姉とは!? その4

2016年10月27日 10時54分09秒 | 神道

実は「その3」で一回ではではしちゃったんですが、いい忘れた事があったので続きます。

塩竃神は塩土老翁であり猿田彦命。そしてもう一つ名前があります(実際は6つですけど)。「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」です。天照大神とスサノオ尊とのウケヒによって産まれた神です。天照大神の勾玉の首飾りをスサノオがバリバリと噛み砕いて産まれたので、天照大神の息子とされています。

「正勝吾勝勝速・・・」とはその名の通り「正しく勝った、吾は勝った、素早く勝った・・・」と言う意味ですが、何がどうして勝ったのでしょう。

天照大神とスサノオ尊のウケヒで天照大神の勾玉の首飾りからは天忍穂耳命ら5人の息子が産まれ、スサノオ尊の剣からは宗像三神が産まれた。「自分の剣から娘が産まれたのは、自分の心の方が清いからだ」と「勝った、勝った」と喜んだのはスサノオ尊です。どうして天忍穂耳が勝った事になったのだろうか。誰に勝ったのか。

天照大神に「日本に降臨せよ」と言われたから、スサノオ系統が支配する出雲に勝った事になるのか。

その割には魑魅魍魎がウヨウヨいると言って降臨を拒み、その息子であるニニギ尊に降臨の権利を譲った訳だから、これは勝った事とは成らない。

天忍穂耳命の名前からは稲荷神の特徴が伺われる。また「耳」はリーダー的な役職名。そして「日」は太陽神を意味する。だけど「忍」の字は「耐え忍んだ」事となる。本当に天津神なのか疑問が残る。

この天忍穂耳命が塩竃神である塩土老翁であり猿田彦尊であると塩竃神社の伝承に残っているが、それだったら岐で赤い目をピカピカ光らせていた猿田彦尊を天照大神が「誰だアイツハは」と言うのはおかしい。自分の息子が判らない筈は無いし。

つまり本来、日本を支配する権利のあった太陽神だったが、その権利をニニギ尊に奪われたと考えられる。そして猿田彦尊も「彦は日子」なので太陽神。国津神の太陽神。だから天忍穂耳命も国津神。天照大神の一族ではない。

否、天照大神も本来は国津神で天津神である天孫族に敵の神を自分たちの神として祀られた。本当の天津神はニニギ尊のみと考えられる。

まぁ、この話は長くなります。またの機会に後回しします。

この天忍穂耳命に姉がいるとしたら、同じウケヒで産まれた田心姫・タギツ姫・市杵島姫の宗像三神になると思われます。

たた天忍穂耳命が国津神であるとしたら聖婚の筈。そしてその妻は大変美しい機織の女神・タク幡千千姫。この女神が塩流神社とどう関連があるのか。

実は私の故郷・福島県の二本松市にタク幡千千姫を祀る神社があります。塩沢神社です。別名・塩沢明神と言います。

「塩流」と「塩沢」。意味合いはほぼ同じです。今まで多くの女神を上げてきましたが、私的に一番塩流神社に祀られる塩竃明神の姉をイメージするのはタク幡千千姫です。

そしてタク幡千千姫は壱岐島の天手長比売神社にも祀られている。手長であると思われますので。

その他に日本各地の塩竃神社に祀られている神と言えばアジスキタカヒコネ神ですが、今回はスルーさせていただきます。長くなりましたので。

以上、多くの女神を推察しタク幡千千姫が一番イメージに合うとしましたが、全員同神である可能性が高いと思われます。

そして共通するのが上記の女神たちは全て瀬織津姫ではないかと言われている事。

そして瀬織津姫と塩竃神はどう繋がるのか。

実は私、塩竃神社の「塩」は間違っているのではないかと考えています。私の推論が正しければ塩竃神は瀬織津姫となります。

次回、機会がありましたら「塩」が間違っている意味を語りたいと思います。

 

ではでは。

 

 

 

 

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