続きです。
魔王天神社の外に魔王神社はないのか。
南三陸レベルの小さな魔王神社はありました。伊豆の三宅島に。しかし祭神は不明。
地元の人の話では「誰も祭られている神の名前は知らないが、昔から大変恐ろしい神様と伝えられてきた。境内の石ころ一つ、落ち葉一枚拾って帰っても祟りがある」との事です。
これって伊豆左比売神社と似ている。怖さを感じます。
共通点は「伊豆」。伊豆は古来から流罪の地とされている。それなのに格式が高い神社が多い。それは何故なのか。
答えは単純。大変怖い神様が祀られているから。そしてその怖い神々の血筋の者が住んでいる地だからと考えられます。伊豆は蝦夷、つまり現在の東北の様に軽蔑される土地であり、酷い目にあわせた神々の土地。祟りが恐ろしい土地。だからしっかりし鎮座して頂く為に格調高い神社が集中しているし、流刑地として蔑していると思えます。
伊豆に付いては恐ろしさもありますが、簡単には説明できそうもありません。また機会があったら語りたいと思います。
さて困りました。魔王神社が少なくて。仕方ない、前出の魔王天神社に戻ります。
この魔王天神社。「天」の字が入る訳ですから、仏教の考えが入っているのは確実です。まっ、「魔王」だけでもそうですけど。
そうなるとやっぱり第六天魔王となります。この「第六天」、あるいは「大六天」を冠する神社は割と多くあります。東北においては。
祀られている神は「面足(オモダル)尊」と「あやかしこ根尊」。この神々は夫婦の様です。
「面足」とは「顔が足りている」。つまり美男子と言う意味です。何であえて美男子を強調するのでしょう。そういえば大国主も美男子だったとされているけど、今だって美男子がチヤホヤされる。古代でもそうなのか。それだけの理由なのか。
外に「足」は女垂らしの「タラシ」で、本当の意味は「養育」。「面足」だと「顔を整える」、「化粧する」、「整形する」に成っちゃうけど、これは関係ないか。
キーワードは「面」と「足」。そのまま「顔」と「脚」を強調するのであれば、思い浮かぶ神がいます。「両面宿禰」です。
この神様は超強力な武神です。何たって二人の神が背中を合わせるようにくっ付いていて、手足が四本づつあるのですから。四本の腕で剣を持ち、四本足で歩くならそりゃ最強でしょうね。
しかしそのルックスは8本足の蜘蛛の如くです。土蜘蛛をイメージします。何者なのでしょう。
考えてみれば最強の武神であり呪いの神である弁才天も本来の像は8本腕に剣等を握っています。千手観音もそうですが仏教では複数本腕があった方が強い・万能との考えなのでしょうか。
もう一人、否、二人、蜘蛛のイメージする神々がいます。手長足長です。手長足長は貝を拾う時、漁をする時、足長が手長をおんぶして行うとされています。その姿はやはり蜘蛛です。私は同神、または同じ一族だと思っていますが、これも難しくてどう説明したら良いのやら。
ただ、特異な人物は昔は信仰の対象とされていました。例えば日本でも見つかっていますが頭が長い人。わざと頭を紐で縛って長くしたのです。通常の人間との違いを示す為に。その人はシャーマンだった。シャーマンとして育てられたと考えられます。卑弥呼ももしかしたら頭が長かったかも知れません。
更に目が見えない人も信仰されてます。恐山のイタコも昔は目が見えない人が多かったのもその為です。シャーマンとしてイタコになったと言えます。
更に更に知的障害者もシャーマンであります。仙台では実在した「仙台四郎」が福の神として来訪を歓迎されましたが、彼もまたシャーマンの要素があります。
神道の神々は人間の代わりに罪を犯し罰を受ける存在です。特異な人、異形な人も人々の代わりに罪を背負ってくれている。だから信仰されていたと思われます。「両面宿禰」はその究極と考えられます。
「両面宿彌」は何故か円空も好んで像を彫っています。そして出身地や能力から風神と思える節があります。
両面宿禰はまだまだ長くなりそうです。考えを練って、またの機会に語りたいと思います。
続く。