諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

身体から魔物を追い出す方法。その5

2017年06月03日 11時40分14秒 | 伝説

続きです。

ここでどんでん返し。荒俣宏に尻を叩かれた水木先生はどうなったのか。

治らなかったのですよ、残念ながら。

普通は治ったのかも知れませんが、左手を切断しているのが気になります。人殺しの家系なのかも知れない。

水木先生の本姓は「武良(むら)」です。調べたが武良姓に付いては判らずでした。でも人殺しの家系ならば、そう簡単には中和出来ない。出て行っていたら私も苦労しない。尻を叩かれた位では出て行かないレベルの魔物だったのでしょう。

ニューギニア・ラバウル戦線は激戦でした。何十万の日本兵が戦死した。水木先生も片腕を負傷しなければ生きて帰れなかったと語っています。日本人にとってこの地は鬼門なのかも知れない。

本来はド近眼なので補充兵で採用。戦闘には加わらない筈だった。ラッパ吹きだったが上手く吹けず、余りのマイペースぶりで上等兵に睨まれ兵士にされた。西か東かと聞かれ、日本国内の部隊だと勘違いして西と答えたらニューギニアだった。付いていない。失敗の連続。学生のころも学業が振るわず。そして新聞配達で収入を得ていた。

何かねぇー、私とだぶるのですよ。運の悪さとか、要領の悪さとか。勉強がダメで新聞配達しているところも。多分、私と似ている部分があると思います。同じタイプの人間なのだと。だから人より、そう簡単には解決しないのだと思います。

そういう事で旅行は中断。ヘリコプターをチャーターして出発点の町に戻る事になった。一週間、毎日6時間ボートを漕いで来たが、ヘリでは30分で戻れた。

そして町に到着。その瞬間にスッと憑きものが離れ正気に戻ったそうです。多分、魔物の領域。否、神域を離れたから憑依が解けたのだと思います。

やはり熱中症や熱病ではなくて、魔物が憑いていたとしか考えられなかったそうです。

私、思うのですが、水木先生にとってニューギニア・ラバウルは鬼門だったのだと思います。マラリアにかかり、左腕を失い、上官には疎まれていましたから。

そして間違いなく戦時中の若かりし自分に戻った。運の悪さからの不条理、理不尽に陥った。悲しいし、恐ろしい。そして弱い。心が貧しい兵士時代の自分に戻った。

戻ったから魔物が襲ってきた。身体に憑依した。そして自分が魔物、妖怪になってしまった。

自分はラバウルで「妖怪・ぬりかべ」らしき者に出会ったから、妖怪に興味を持ち日本に帰り妖怪漫画家として大成した。「ぬりかべ」には恩を感じる反面、その正体が知りたくてたまらなくなった。

妖怪と思われる者に遭ったのはその時だけ。あの「ぬりかべ」は現実だったのか、幻だったのか。幻であるなら自分の妖怪漫画家としての人生は一体何だったのだ。

80歳を過ぎ人生の終盤となってどうしても確かめたくなった。自分の人生は意義があるものだったのか。幻を追っていたのかを。

そして自分の体に魔物が憑依した。妖怪と言っても良い。間違いなく妖怪は存在する。自分の人生は間違いではなかった。

魔物の憑依が解けた水木先生はそう思ったのではないでしょうか。そして魔物が憑依して嬉しかった。ニューギニアに来て良かったとも。

荒俣宏は「自分達の様に都会で文化的、合理的に生活をしている人間が、あのような場所にぶち込まれたらどうなるのかを思い知った。あっと言う間に丸裸にされる。完全にお手上げ状態になる。これは間違いなく妖怪のせいだ」と、自然な流れを持って当然の事として痛感したそうです。

そして水木先生も荒俣宏も自分達の妖怪研究は浅かったと反省。真面目な研究生として出直す事にしたそうです。

ニューギニア行きは彼らにとって成果がありましたが、自分から無理やり会いに行くのは傲慢。妖怪に限らず神に対してもそうだと思います。

これは日本の山々でも同様。素人が1人で登山するのも危険。よっぽと気を引き締めないとダメ。危険を少しでも感じたら引き返す。自分を過信してはダメ。

何時も真摯な気持ちで、神社に参拝する気持ちで入山すべきだと思います。

そうすれば心の魔物も山の精霊に清められて出て行くのではないかと私は思っています。神社への参拝でもその感じがしています。

山も神社も同じ。神の前に居る事を忘れてはいけないと思いますね。

 

ではでは。

 

コメント (6)
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