諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

井伊直政と永井直勝。その3

2017年06月28日 15時45分19秒 | 歴史

続きです。

永井家と言うとどうしても裏切りをイメージします。もしかしたら直勝は家康が信康に使わしたスパイなのではとの思いもありました。

しかし直勝は池田恒興を討ち、その褒美として家康から直勝の長兄である長田尚勝の城・東端城の城主になれと命じられた。しかし直勝は断固拒否しています。病弱の兄を追い出してまで城主にはなりたくないと。

主君・松平信康が自害した時も1年間雲隠れしています。家康からの召抱えを無視して。城主の件も、父・長田重元と兄・尚勝のたっての願いで了承しましたが、人を出し抜こうに言う気持ちが全然無い。

家康に命じられた秀忠の家老職も辞退してます。出世コースには興味が無い。そんな直勝が信康をスパイしていたとは考えにくい。金や領地、出世では動かない男だから家康から信頼を受ける様になったのだと思います。

そして関ヶ原の戦い。家康側東軍が勝利。そして軍功での加増が行われた。

外様大名には十分な加増が行われたのに、三河以来の古くからの家来達には加増が少ない。不満の声が出た。

井伊直政、そして家康の古くからの側近である本多忠勝でさえ加増が少な過ぎるとして拝領の折紙を家康に返す始末。

それを聞いた永井直勝は井伊直政の元へ出向き、「徳川配下で一、二を争う武将である貴殿が、録に左右されるとは何事か。さっさと加増の折紙を拝領しろ」と直政を叱咤。

直政は怒り、「永井、お前の知ったことか。たった一度与力をしただけの大名には大国・大領を与え、粉骨を惜しみ仕えてきた三河以来の我々には微々たる加増。無念の奉公を恨まずにいられるか」と返す。

永井直勝は「貴殿がそこまで言うとは。我らの様な譜代の輩は合戦の報奨でとやかく言うべきではない。第一、我ら旗本だけで今回の戦は勝てなかった。外様大名の参戦が有ってこそ勝てたのだ。我らはお身内である。貴殿は上様から特に多くの兵を与えられている。その兵が無ければどれ程の働きが出来たと言うのか」と反論。

直政は激怒し、「お前などと比較される、この直政だと思うか」と直勝に言い放つ。

直勝は「愚かだな、直政。この直勝にもお主と同様の兵が与えていたら、貴殿に劣らぬ働きを示したわ。小身故に思う働きも出来なかった。貴殿がそれほど道理が判らぬ奴だったとは思わなんだわ。そんな貴殿と親交を温めていた自分が愚かだった。今後は絶交だ」と言い、立ち去った。

 

続く。

 

 

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