続きです。
三島由紀夫に「貴方の文学は嫌いです」と言われた太宰治はどう思ったか。
太宰治は三島と会った2年後に自殺しています。其の時も死を考えていた。死を考えている者が、小僧の三島に自分の文学を否定されたとしても動じない。怒りさえ沸かない。逆に三島の無知さと若さを羨ましく思ったのではないか。
そこで太宰は三島に何と言ったか。これ、色々諸説があるのです。皆さん、酔っ払っていたでしょうからね。
三島は後の回顧録で「そんな事言ったって、ここにこうして来た訳だから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と言われたと書いています。
同席していた編集者の野原一夫の話では、「嫌いなら、来なきゃいいじゃねぇーか」。これっ、どっちが正しいのか。
どちらも酒を飲んでいたでしょうから、間違いなくとは言えませんが、多分、編集者の野原の方が正確に近いと思われます。
編集者ですから、作者の発言には敏感ででしょうし、間違いが起きないように飲みながらでも警戒はしていると思いますので。
実際に三島はニヤニヤ笑いながら「太宰を嫌いだ」と発言したと言ってますが、野原は「三島は引きつった顔をして発言した」と語っています。
私が37歳の太宰で、21歳の三島にそう言われたらどう返すか。やっぱり「嫌いなら来なければいいだろ」です。酔っていたら、それしか思いつかないです。
でも三島は「やっぱり好きなんだよ」と言われたと主張している。それって自分の正直な発言なのでしょう。三島と太宰の思考は違う。でも根本は同じ。自分とは違う生き方を見せる太宰が好きなんだと思えます。同じゲイでも女性の心を隠さず、女性の心を強調して堂々と生きる三輪明宏の事が好きな様に。
自分には出来ない生き方をしている。それが大変魅力的に見えるのでは。
太宰は自分の駄目さ加減を平気で人に見せる。何度も自殺未遂をした。女性関係が激しかった。そして病弱だった。両親や妹もそうだった。
三島は男爵、官僚の血筋。名家に生まれている。肉親との別れも無かった。恵まれている。だからこそ家の名を汚せなかった。自分の本質は隠さなければならなかった。
太宰は自分の心情をさらけ出す文学。三島は隠して演じる文学。
三島から見れば太宰の方が本音を言えて羨ましいと思っていた点があると思う。それ故、21歳ながら引きつった表情で「嫌いだ」と言ってしまったのだと思える。
でも、本質は同じ。互いに女性性が高い。それを打ち消すために太宰は女性関係が激しかった。三島は自衛隊やボディビルで男の部分を伸長させた。そして互いに限界を感じていた。
太宰が自殺した。死の数日前に、師匠の井伏鱒二に対し「井伏さんは悪人です」とメモを残して。全てを曝け出して死んでいった。
三島は自分の本質を隠して、もっとも男らしい死に方を選んだ。
太宰は女性との心中。三島は自衛隊本部での割腹自殺。これは太宰の死に対して、自分の死の解答の様に想えます。
この自決の連鎖は太宰治が憧れた芥川龍之介に端を発しているものと思われます。
芥川は秘書兼愛人だった平松麻コ素子と心中未遂の後、青酸カリを飲んで自殺した。
太宰治は嫌がっていたと思われる秘書兼愛人の山崎富栄と共に入水した。
これは芥川が望んでいた死を太宰が実行したと言える。
そして三島は太宰とは正反対の死に方をした。多くの聴衆の前での割腹自殺。しかも率いていた盾の会のメンバーと共に。これは太宰に対する自分の生と死の回答の様に思えますね。
そうそう川端康成の場合はどうか。
ちょっと若い頃の写真を見てみたのですが、芥川や太宰とルックスやポーズが似てますね。そして幼少は芥川と同様、肉親に恵まれなかった。親に恵まれないものは死と隣り合わせの人生を歩む。だからこそ大作家になった。
しかし、三島由紀夫を含む多くの文壇人の死を見取ってきた。自分は取り残される感覚に陥った
そして親に恵まれなかった死の束縛が強まる。愛していたと思われるお手伝さんとの契約の延長を拒まれショックを受ける。彼にはそのお手伝いさんとの付き合いだけが楽しみであった。それが消える。そして、とうとう死の束縛に嵌った感じがします。
太宰、三島、川端の自死の連鎖は、芥川龍之介が初端の様に思われます。
姓名判断での解釈ではそれぞれに死の暗示があるのですが、芥川龍之介が自死を選んでいなかったら、この様な死の連鎖は起こらなかった。
自死は疱瘡の様にうつる。余り自死した者の心とシンクロすると危険かも知れないです。
私も今回の記事を書いてて、欝を募らせている。少なからず危険な状態にいる。
うーん、駄目だ。まだまだ言いたい事があるのですが、彼にらに引っ張られる前に今回の御題は終了します。
危ない、危ない。
ではでは。
三島由紀夫に「貴方の文学は嫌いです」と言われた太宰治はどう思ったか。
太宰治は三島と会った2年後に自殺しています。其の時も死を考えていた。死を考えている者が、小僧の三島に自分の文学を否定されたとしても動じない。怒りさえ沸かない。逆に三島の無知さと若さを羨ましく思ったのではないか。
そこで太宰は三島に何と言ったか。これ、色々諸説があるのです。皆さん、酔っ払っていたでしょうからね。
三島は後の回顧録で「そんな事言ったって、ここにこうして来た訳だから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と言われたと書いています。
同席していた編集者の野原一夫の話では、「嫌いなら、来なきゃいいじゃねぇーか」。これっ、どっちが正しいのか。
どちらも酒を飲んでいたでしょうから、間違いなくとは言えませんが、多分、編集者の野原の方が正確に近いと思われます。
編集者ですから、作者の発言には敏感ででしょうし、間違いが起きないように飲みながらでも警戒はしていると思いますので。
実際に三島はニヤニヤ笑いながら「太宰を嫌いだ」と発言したと言ってますが、野原は「三島は引きつった顔をして発言した」と語っています。
私が37歳の太宰で、21歳の三島にそう言われたらどう返すか。やっぱり「嫌いなら来なければいいだろ」です。酔っていたら、それしか思いつかないです。
でも三島は「やっぱり好きなんだよ」と言われたと主張している。それって自分の正直な発言なのでしょう。三島と太宰の思考は違う。でも根本は同じ。自分とは違う生き方を見せる太宰が好きなんだと思えます。同じゲイでも女性の心を隠さず、女性の心を強調して堂々と生きる三輪明宏の事が好きな様に。
自分には出来ない生き方をしている。それが大変魅力的に見えるのでは。
太宰は自分の駄目さ加減を平気で人に見せる。何度も自殺未遂をした。女性関係が激しかった。そして病弱だった。両親や妹もそうだった。
三島は男爵、官僚の血筋。名家に生まれている。肉親との別れも無かった。恵まれている。だからこそ家の名を汚せなかった。自分の本質は隠さなければならなかった。
太宰は自分の心情をさらけ出す文学。三島は隠して演じる文学。
三島から見れば太宰の方が本音を言えて羨ましいと思っていた点があると思う。それ故、21歳ながら引きつった表情で「嫌いだ」と言ってしまったのだと思える。
でも、本質は同じ。互いに女性性が高い。それを打ち消すために太宰は女性関係が激しかった。三島は自衛隊やボディビルで男の部分を伸長させた。そして互いに限界を感じていた。
太宰が自殺した。死の数日前に、師匠の井伏鱒二に対し「井伏さんは悪人です」とメモを残して。全てを曝け出して死んでいった。
三島は自分の本質を隠して、もっとも男らしい死に方を選んだ。
太宰は女性との心中。三島は自衛隊本部での割腹自殺。これは太宰の死に対して、自分の死の解答の様に想えます。
この自決の連鎖は太宰治が憧れた芥川龍之介に端を発しているものと思われます。
芥川は秘書兼愛人だった平松麻コ素子と心中未遂の後、青酸カリを飲んで自殺した。
太宰治は嫌がっていたと思われる秘書兼愛人の山崎富栄と共に入水した。
これは芥川が望んでいた死を太宰が実行したと言える。
そして三島は太宰とは正反対の死に方をした。多くの聴衆の前での割腹自殺。しかも率いていた盾の会のメンバーと共に。これは太宰に対する自分の生と死の回答の様に思えますね。
そうそう川端康成の場合はどうか。
ちょっと若い頃の写真を見てみたのですが、芥川や太宰とルックスやポーズが似てますね。そして幼少は芥川と同様、肉親に恵まれなかった。親に恵まれないものは死と隣り合わせの人生を歩む。だからこそ大作家になった。
しかし、三島由紀夫を含む多くの文壇人の死を見取ってきた。自分は取り残される感覚に陥った
そして親に恵まれなかった死の束縛が強まる。愛していたと思われるお手伝さんとの契約の延長を拒まれショックを受ける。彼にはそのお手伝いさんとの付き合いだけが楽しみであった。それが消える。そして、とうとう死の束縛に嵌った感じがします。
太宰、三島、川端の自死の連鎖は、芥川龍之介が初端の様に思われます。
姓名判断での解釈ではそれぞれに死の暗示があるのですが、芥川龍之介が自死を選んでいなかったら、この様な死の連鎖は起こらなかった。
自死は疱瘡の様にうつる。余り自死した者の心とシンクロすると危険かも知れないです。
私も今回の記事を書いてて、欝を募らせている。少なからず危険な状態にいる。
うーん、駄目だ。まだまだ言いたい事があるのですが、彼にらに引っ張られる前に今回の御題は終了します。
危ない、危ない。
ではでは。