今回は不謹慎な話題です。事故死について考えてみました。
実は私、若い頃から事故ばっかり起こしてました。一番危なかったのは仙台に来て1年。5~6歳の時、仙台の肴町、今の大町にあった自宅の新聞販売店の斜め前で、トラックに轢かれました。
トラックにぶつかって私の身体はトラックの下に。誰もが死んだと思った。
不思議なことに貝山病院の真正面での事故だったので、直ぐに病院に運ばれた。これって、不幸中の幸いなのかなぁー。
考えてみたら初の失神でした。ケガは額のたん瘤だけで済みましたが。母親には「もっと安静にしていたら慰謝料ふんだくれたのに」と酷い事を言われました。それ以来、母親も信じられなくなりました。
まっ、それは兎も角、それ以来、自分は事故死するのではないかと漠然と考えて来ました。
私の祖父も列車に轢かれて足を切断。そのまま病院に運ばれて違う血液を輸血されて亡くなってます。不幸な事故が二つ続いての死。これだけついていない死に方も無いと思います。
そして従兄の死。農道の瘤にクレーン車を乗り上げて横倒しになった。そのままなら助かった。倒れる反対側に飛び出していれば助かった。しかし、倒れる側に飛び出して横倒しになって死亡した。その場所では二人も自殺していた。
祖父も従兄も偶然に偶然が重なっての死。ここまでの偶然が重なると偶然では済みません。何からの意思が感じられる。
そして次は私の番。そう考えながら今を生きている感じです。
そう言う事で、若い頃から死ばかり考えてきました。死んだらどうなるのか。
正直言って仏教の死は信じられません。矛盾を感じる。人が考えた地獄など信じられる訳がない。
臨死体験も信じられない。それは脳が見せた幻覚である可能性がある。何をどう信じて良いのか分からない。その答えは実際に自分が死んでみないと誰も分からないと思う。こればっかりはどうしようもない。
っと言う事で、そこまでは考えない事にします。今回は死ぬ瞬間のみを考えてみます。
以前、全身麻酔の体験を書きました。気化した麻酔が出るマスクをしながら、手の甲に麻酔の点滴の針を打たれた。その1~2秒後に気を失った。
気を失う瞬間は覚えている。底が抜けて吸い込まれる様に意識を失った。これが死なのではないか。
死にも色々種類がある。この場合は老衰。或いは病死。病院、または自宅での死だと思う。人間、寝所で死ねるならマズマズなのだと思う。
だったら事故死の場合はどうか。
1か月前、脚立にロフトの梯子を立て掛けて、ペンダントライトを交換しようとした。梯子が滑り始めた。梯子から下のフローリングが見えた。そこで意識を失った。
暫くして目が覚めた。梯子から落ちたのは理解したが、落ちた瞬間を覚えていない。落ちた時の衝撃も感じていない。でも強かに背中と腰が痛い。背中から落ちたのは間違いないと思うが、それも覚えていない。
もしかしてこれが事故死の感覚ではないだろうか。
落ちる瞬間に意識がシャットダウンした。落ちた時の衝撃と痛みは覚えていない。事故死とはそのまま痛み・衝撃を感じず死に至るのではないか。それは少なからず幸いな事ではないだろうか。
従兄も痛みと衝撃を感じず亡くなったとしたら、それだけでも幸いだったと思う。苦痛を味わっての死は余りにも残酷過ぎるし。
でも、祖父の場合はどうか。
祖父は49歳で亡くなった。もし違う血液を輸血されなかったら、残り20年以上生きられていたかも知れない。それは幸いなのだろうか。
これは人それぞれ考え方が違うと思う。私の場合は片足を失ってからの人生は望まない。その時に死にたい。その方が私にとっては幸い。それで良いと思う。それで私は納得する。
でも祖父は足を切断しても生きていた。その間、意識があったのかは聞いていないが、意識が有ったら地獄だっただろうな。一番辛い死に方なのかも知れない。
こんな事、色々考えても仕方がない事なのかも知れないが、衝撃と痛みを味合わずに亡くなるのは、多少であっても幸いなのだと思う。
今はそう信じていたいと思う。
ではでは。
実は私、若い頃から事故ばっかり起こしてました。一番危なかったのは仙台に来て1年。5~6歳の時、仙台の肴町、今の大町にあった自宅の新聞販売店の斜め前で、トラックに轢かれました。
トラックにぶつかって私の身体はトラックの下に。誰もが死んだと思った。
不思議なことに貝山病院の真正面での事故だったので、直ぐに病院に運ばれた。これって、不幸中の幸いなのかなぁー。
考えてみたら初の失神でした。ケガは額のたん瘤だけで済みましたが。母親には「もっと安静にしていたら慰謝料ふんだくれたのに」と酷い事を言われました。それ以来、母親も信じられなくなりました。
まっ、それは兎も角、それ以来、自分は事故死するのではないかと漠然と考えて来ました。
私の祖父も列車に轢かれて足を切断。そのまま病院に運ばれて違う血液を輸血されて亡くなってます。不幸な事故が二つ続いての死。これだけついていない死に方も無いと思います。
そして従兄の死。農道の瘤にクレーン車を乗り上げて横倒しになった。そのままなら助かった。倒れる反対側に飛び出していれば助かった。しかし、倒れる側に飛び出して横倒しになって死亡した。その場所では二人も自殺していた。
祖父も従兄も偶然に偶然が重なっての死。ここまでの偶然が重なると偶然では済みません。何からの意思が感じられる。
そして次は私の番。そう考えながら今を生きている感じです。
そう言う事で、若い頃から死ばかり考えてきました。死んだらどうなるのか。
正直言って仏教の死は信じられません。矛盾を感じる。人が考えた地獄など信じられる訳がない。
臨死体験も信じられない。それは脳が見せた幻覚である可能性がある。何をどう信じて良いのか分からない。その答えは実際に自分が死んでみないと誰も分からないと思う。こればっかりはどうしようもない。
っと言う事で、そこまでは考えない事にします。今回は死ぬ瞬間のみを考えてみます。
以前、全身麻酔の体験を書きました。気化した麻酔が出るマスクをしながら、手の甲に麻酔の点滴の針を打たれた。その1~2秒後に気を失った。
気を失う瞬間は覚えている。底が抜けて吸い込まれる様に意識を失った。これが死なのではないか。
死にも色々種類がある。この場合は老衰。或いは病死。病院、または自宅での死だと思う。人間、寝所で死ねるならマズマズなのだと思う。
だったら事故死の場合はどうか。
1か月前、脚立にロフトの梯子を立て掛けて、ペンダントライトを交換しようとした。梯子が滑り始めた。梯子から下のフローリングが見えた。そこで意識を失った。
暫くして目が覚めた。梯子から落ちたのは理解したが、落ちた瞬間を覚えていない。落ちた時の衝撃も感じていない。でも強かに背中と腰が痛い。背中から落ちたのは間違いないと思うが、それも覚えていない。
もしかしてこれが事故死の感覚ではないだろうか。
落ちる瞬間に意識がシャットダウンした。落ちた時の衝撃と痛みは覚えていない。事故死とはそのまま痛み・衝撃を感じず死に至るのではないか。それは少なからず幸いな事ではないだろうか。
従兄も痛みと衝撃を感じず亡くなったとしたら、それだけでも幸いだったと思う。苦痛を味わっての死は余りにも残酷過ぎるし。
でも、祖父の場合はどうか。
祖父は49歳で亡くなった。もし違う血液を輸血されなかったら、残り20年以上生きられていたかも知れない。それは幸いなのだろうか。
これは人それぞれ考え方が違うと思う。私の場合は片足を失ってからの人生は望まない。その時に死にたい。その方が私にとっては幸い。それで良いと思う。それで私は納得する。
でも祖父は足を切断しても生きていた。その間、意識があったのかは聞いていないが、意識が有ったら地獄だっただろうな。一番辛い死に方なのかも知れない。
こんな事、色々考えても仕方がない事なのかも知れないが、衝撃と痛みを味合わずに亡くなるのは、多少であっても幸いなのだと思う。
今はそう信じていたいと思う。
ではでは。