諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

事故死の感覚を想像してみた。

2019年05月20日 23時36分01秒 | 人生
今回は不謹慎な話題です。事故死について考えてみました。

実は私、若い頃から事故ばっかり起こしてました。一番危なかったのは仙台に来て1年。5~6歳の時、仙台の肴町、今の大町にあった自宅の新聞販売店の斜め前で、トラックに轢かれました。

トラックにぶつかって私の身体はトラックの下に。誰もが死んだと思った。

不思議なことに貝山病院の真正面での事故だったので、直ぐに病院に運ばれた。これって、不幸中の幸いなのかなぁー。

考えてみたら初の失神でした。ケガは額のたん瘤だけで済みましたが。母親には「もっと安静にしていたら慰謝料ふんだくれたのに」と酷い事を言われました。それ以来、母親も信じられなくなりました。

まっ、それは兎も角、それ以来、自分は事故死するのではないかと漠然と考えて来ました。

私の祖父も列車に轢かれて足を切断。そのまま病院に運ばれて違う血液を輸血されて亡くなってます。不幸な事故が二つ続いての死。これだけついていない死に方も無いと思います。

そして従兄の死。農道の瘤にクレーン車を乗り上げて横倒しになった。そのままなら助かった。倒れる反対側に飛び出していれば助かった。しかし、倒れる側に飛び出して横倒しになって死亡した。その場所では二人も自殺していた。

祖父も従兄も偶然に偶然が重なっての死。ここまでの偶然が重なると偶然では済みません。何からの意思が感じられる。

そして次は私の番。そう考えながら今を生きている感じです。

そう言う事で、若い頃から死ばかり考えてきました。死んだらどうなるのか。

正直言って仏教の死は信じられません。矛盾を感じる。人が考えた地獄など信じられる訳がない。

臨死体験も信じられない。それは脳が見せた幻覚である可能性がある。何をどう信じて良いのか分からない。その答えは実際に自分が死んでみないと誰も分からないと思う。こればっかりはどうしようもない。

っと言う事で、そこまでは考えない事にします。今回は死ぬ瞬間のみを考えてみます。

以前、全身麻酔の体験を書きました。気化した麻酔が出るマスクをしながら、手の甲に麻酔の点滴の針を打たれた。その1~2秒後に気を失った。

気を失う瞬間は覚えている。底が抜けて吸い込まれる様に意識を失った。これが死なのではないか。

死にも色々種類がある。この場合は老衰。或いは病死。病院、または自宅での死だと思う。人間、寝所で死ねるならマズマズなのだと思う。

だったら事故死の場合はどうか。

1か月前、脚立にロフトの梯子を立て掛けて、ペンダントライトを交換しようとした。梯子が滑り始めた。梯子から下のフローリングが見えた。そこで意識を失った。

暫くして目が覚めた。梯子から落ちたのは理解したが、落ちた瞬間を覚えていない。落ちた時の衝撃も感じていない。でも強かに背中と腰が痛い。背中から落ちたのは間違いないと思うが、それも覚えていない。

もしかしてこれが事故死の感覚ではないだろうか。

落ちる瞬間に意識がシャットダウンした。落ちた時の衝撃と痛みは覚えていない。事故死とはそのまま痛み・衝撃を感じず死に至るのではないか。それは少なからず幸いな事ではないだろうか。

従兄も痛みと衝撃を感じず亡くなったとしたら、それだけでも幸いだったと思う。苦痛を味わっての死は余りにも残酷過ぎるし。

でも、祖父の場合はどうか。

祖父は49歳で亡くなった。もし違う血液を輸血されなかったら、残り20年以上生きられていたかも知れない。それは幸いなのだろうか。

これは人それぞれ考え方が違うと思う。私の場合は片足を失ってからの人生は望まない。その時に死にたい。その方が私にとっては幸い。それで良いと思う。それで私は納得する。

でも祖父は足を切断しても生きていた。その間、意識があったのかは聞いていないが、意識が有ったら地獄だっただろうな。一番辛い死に方なのかも知れない。

こんな事、色々考えても仕方がない事なのかも知れないが、衝撃と痛みを味合わずに亡くなるのは、多少であっても幸いなのだと思う。

今はそう信じていたいと思う。


ではでは。
コメント (2)
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