続きます。
お坊さん二人が通り過ぎて行く。そしてお堂の襖が開く。その瞬間、ワァッっと驚く数人の声が・・・・・。
小心者の私は急に発せられたその声に驚き、肺活量6600ccを誇る大声でワァッーと叫び、後ろによろめく。
その私の大声で、また前の数名がワァッーーーーと恐怖の声をあげる。
私は暴風雨の中、デカ過ぎる迷彩色のレインポンチョを頭から被っている。
その私を妖怪とでも思ったのか、お堂から出て来た参拝客達が驚きの声をあげた。
その声に私も驚き大絶叫。その私の驚きの大声で、またまた参拝客が驚きの声をあげたのだ。
折角、有り難い説法を聞いていただろうに、私の姿に驚いて皆忘れてしまったのでないかな。申し訳けない。私は仏敵なのかも知れないなぁー。
説法を聞いていた参拝客が帰り、お堂に向かい一人参拝する。何も言う事は無い。願いも無い。私の穢れが薄まればそれで良い。穢れが消える事は無いだろう。
私自身が穢れでもある。穢れが0になる時は死ぬ時だ。
常福寺には四国八十八箇所を簡略的に回れる仕組みとなっている。八十八の小さな観音様等々の石像が鎮座している。一度全ての石像に手を合わせたが、中々大変だった。
本当に四国八十八箇所を回るのはその1000倍以上大変。心からの信仰心がなければ、出来ないだろうなぁー。
そう言えばお堂の周りにも仏教の著名人??の名が彫られていた。
私の父親が41歳の時に尋ね知ったのだが、41番目は南光坊天海だった。詳細は言えぬが、私はこの方の名にチョッと関わりがある。
そう言えば我が宗家・永井直勝と南光坊天海は徳川の家臣で、共に日光東照宮の造営で協力している。
南光坊天海は会津の出身。永井直勝の叔父の永田徳本も山形で修験道の修行をしていた。その関係で徳川に仕えたのかも知れん。
でも変だな。常福寺は真言宗智山派の筈。そして天海は天台宗。どこに繋がりがあるのだろうか。
そう言えば常福寺は徳一大師が開基。よく分からないなぁー、宗派って奴は。
宗派は人の判断に寄り生じる。判断に寄り仏教に違いが出る。そして宗派間で争う。
中には宗派でカリスマ性と権力を持つ者が現れる。信者はその者を神として崇める。その者は自分を神であると錯覚する。或いは神たらんとして神を演じる。そして自分の権利をおびやかす者を攻撃する。
織田信長は一向一揆で2万人の信者を殺したが、もし宗教者を迫害しなければどの様な世界になっていただろうか。
宗派ごとに神を演じる者が現れ、信じれば救われるとして日本の政治を行なうのか。宗派で日本の政治の覇権争いをするのか。
うーん、公明党が政権を握るようなものか。池田大作を神として崇めている感じになるのか。
織田信長が一向一揆の信者を皆殺しにして、人の心に「仏教は武力を持つべきではない。仏教は戦をすべきではない」と言う考え方が生じた。それは少なからず幸いだったのではないか。
豊臣秀吉、徳川家康がキリスト教を日本から排除しなかったら、日本はスペイン等々の植民地になっていた可能性もある。
キリスト教信者やキリシタン大名は神社仏閣を焼き払い仏教徒を殺し、50万人の日本人女性を爆薬と引き換えに奴隷として海外に売った。
宗教には戦争兵器としての側面がある。だから政治に関わらせてはならない。麻原彰晃の尻尾みたいな奴らは、いくらでも居る訳だし。
続く。