諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

閼伽井嶽薬師常福寺にて想う。その3

2021年02月04日 15時55分00秒 | 人生
続きます。

常福寺には、朱色が鮮やかな多宝塔が建てられています。私が子供の頃はありませんでした。

閼伽井嶽の見晴らしは素晴らしい。建築物も素晴らしい。だから人を惹きつける。それで信者も増えている。儲かっているのだなぁーと思います。

実際、常福寺の車庫には超デラックスなベンツが鎮座している。普通の人にはこんなクルマ、所有出来ない。ちょっと羨ましいかも。

否、私はでかいベンツが欲しい訳ではないのですが、あのベンツを見ると常福寺の経営は磐石。僧侶さん達の生活も安定していると思える。その点が羨ましいのです。

私の家は新聞販売業を営んでいましたし、私は証券マンだったこともあります。俗に塗れた生活で人間嫌いになり、生きる気力が失われている。ハッキリ言って鬱です。

もし私が僧侶だったら、今の精神状態にはならなかったかもしれない。このお寺の僧侶だったらお金に左右されない??人生が送れる。親との関わりも薄くない。豊かな気持ちでいられる。

心豊かに人に説法して生きていけるなら、楽で良いなぁーと思っちゃうのです。

逆に僧侶さん達に、新聞販売業や証券マンを経験して貰い清廉な心であり続けられるのか確かめたい。

僧侶の修行も辛いでしょうが、人の悪の心に接するのケースも少ないでしょうし、人に騙されたりもしないと思います。世の中の俗に塗れる方が、私的には辛い様に感じます。

でも、私は仏教を知らない。故に仏教を完全に信じられない。自分の仏教に自信がなければ人に説法なんて出来ない。やっぱり私には無理か。

仏教には宗派がある。お互いに自分が正しいと言い張っている。

私も神道をテーマにしてこんなブログを書いているが、自分が正しいと言い張るまでの自信がない。

否、仏教だって本当は誰も理解していないのではないか。日本の仏教は誤訳だらけだし。

キリスト教だってヘブライ語を英語に訳して、それをまた日本語に訳する。旧約聖書の十戒だって、本来の意味合いとはかなり違う意味に誤訳されている。

仏教だって三蔵法師が天竺に旅して仏教の聖典、仏典を手にして中国に戻った訳だが、サンスクリット語を中国語に完璧に訳すのは無理だ。それを日本語に訳すのも。

例えば竜。本当はコブラ。インドのコブラの事である。しかし、中国語にはコブラを示す文字がない。それで象形文字で「蛇の王、冠を被った蛇」の意味である「竜」の字を当てた。

さらに装飾で竜をあしらう為に、王符と言う者が発案した竜の姿が龍。その装飾の龍が竜として中国、朝鮮に広まり、日本に伝来した(言っている意味分かりますでしょうか)。

新羅の文武王が亡くなる直前、龍神を宿して日本を襲うと発言。

龍神が日本を襲う。恐怖する日本。

その恐怖から行基により目には目を、龍神には龍神をで日本にも龍神信仰が広まったが、龍などいないのである。本当の仏教では、あれはコブラなのだ。そして神道での龍はタツなのだ。日本古来のタツと龍が集合してしまったのだ(言っている意味、分かりづらいでしょうね)。

神社仏閣で龍神をあしらっている社をよく見かけるが、コブラは見かけない。本当はコブラでなければならない。それにタツの場合、姿など無い(見えませんから)。

神社もお寺も間違っている。其れを知ってしまうと、私が僧侶となっても堂々と説法など出来はしない。全てにおいて真実と確信できなければ仏教を信じきれたものではない。

私には無理だ。


続く。

コメント (2)
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