諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

加藤浩次の"吉本クビ"は当然だろうね。その2

2021年04月01日 10時01分46秒 | 芸能
続きです。

お笑いの才能はどう開花するのか。それは教科書通りにはいかない。

地元仙台出身のサンドウイッチマンですが、私、彼等の漫才が不快でした。伊達がヤクザに見えて。

ガラが悪い伊達が恫喝まがいの大声を上げる。恫喝のマシンガン。不快。イライラする。彼等の姿を見たら、直にチャンネルを変えてました。だから最後まで彼等の漫才なんて見た事なかったのです。

そして暫く時間が経ち、彼等の漫才を見た。伊達の恫喝はそのままだったが、恫喝に間を入れるようになった。その間で素の伊達が見れた。「何だコイツ、イイ奴だったんじゃないか」と思えた。

伊達は物真似が上手い。その上手さに騙された。今までの恫喝は演技。その演技力が素晴らしかった。だから私は伊達の本質を見破れなかった。元からヤクザと思い込んでしまった。悪だと思った。

漫才はやっぱり人間性だと思う。本当はイイ奴の伊達が無理して悪のヤクザを演じる。間で素の伊達を知る。無理してヤクザを必死に演じる伊達が微笑ましい。面白い。

その間でサンドウイッチマンの笑いが回るようになった。

彼らが人気になり好感度が上がったのは、伊達が間の取り方を覚えたからだと私は思います。

彼等は仙台のテレビ局で「ぼんやりーぬTV」と言う冠番組を持っているが、町歩きで人に声を掛けられるのは圧倒的に伊達の方。

漫才は演技だけでは駄目。間が大事。そして人柄。やっぱり性格が悪い奴は、何れ化けの皮が剥がれる。

勿論、人気にはバロメーターがあり、誰にだって停滞期はありますが、彼等のお笑いが廃れる事はないでしょう。本当に彼等は良い芸人になったと思います
ね。

最近、多くの芸人が不祥事を起こして事務所をクビになっているが、やはり人間性に問題があったからだと言える。化けの皮が剥がれたのだ。

持ち前の口八丁手八丁で乗り切ってきたが、性格なんてそう変わるものではない。悪質さが分かってしまうと、もうテレビには戻れない。こう言った淘汰は当然だと思います。

さて、吉本興業に戻りますが、吉本興業に所属しているタレントはどれだけ入るのか。

私、全然知らなかったのですが、驚く事に6000人を超えているそうです。とんでもない数です。

私、吉本興業の芸人やタレントなんて100人、否、50人も知りませんが、吉本興業にある一定の利益を齎しているタレント・芸人も精々100人程度なのだと考えます。

其れなのに6000人もいる。当然、6000人に仕事の有無関係なしてギャランティは払えない。この6000人は芸以外で収入を得なければやっていけない。それは当然だと思います。

っとは言え、バイトであっても反社会勢力とつるんでは駄目。反社会勢力は日本の害虫。人を騙し、人に迷惑をかけで生きている。善良な人にたかって血を啜る蛭。

そんな奴らも見破れずに、彼等の為に芸を披露する。それは今の時代、芸人として許されないと思います。


続く。


コメント
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