諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

ストレスをぶつける人たち。

2021年04月23日 09時45分10秒 | 人生
ストレスを感じない人は滅多にいないと思う。誰もがストレスを感じてしまう。

ストレスなんて持っていたくない。だからストレスを誰かにぶつける。そしてぶつけられた者はストレスを貯め込んだままであるならば、鬱になり死ぬしかなくなる。

これは虐めでもそう。自分を正常な心身を維持する為に弱い者を虐める。それは人間に限らない。生物の本能なのかも知れない。

煽り運転もストレスマックス状態なのだろう。そしてストレスをぶつける相手を探している状態。こんな人間を世の中に出してはいけないと思うが、日本はまだまだ犯罪者に優しい国。犯罪を犯した方が得と思う奴はいると思う。

今の刑罰だったら絶対に犯罪は無くならない。死刑廃止なんてどの口が言っているのかと思いますね。

人間、虐められやすい人がいます。それは優しそうな顔をしている人。そして気が弱そうな顔をしている人。頭が悪そうで動作が鈍い人らです。

特に人は顔が重要です。顔こそが一番手っ取り早い判断基準ですから。

私もつくづく高倉健の様な顔だったら、世の中上手く生きて行けるなぁーと思います。ああ言う威厳のある顔はみんな一目置いてくれますから。

「不器用ですから・・・」と高倉健が言っても謙遜していると感じますが、私が言ったら「本当に不器用そうだな」になります。やっぱり顔だなぁー人間は。

私が高倉健みたいな顔だったら、ストレスをぶつける人はいないと思う。高倉健にクレームを言う度胸のある人間は少ないだろうし。

でも私には気軽にストレスをぶつける。私は相手が他人なら生きて行く為に火の玉になって闘う。随分と闘ってきた。今でも闘っている。私や家族を騙そうとしてくる者と。

でもなぁー相手が肉親だと私に勝てると確信しているから、どこまでもぶつけて来るのだよなぁー。

私がそのストレスから逃げ出した時がある。そのストレスをぶつけていた者は、私と言うストレスをぶつける者がいなくなり、自分にストレスを貯め切れず十二指腸潰瘍となった。手術で切らなかったが三度に渡り9ヵ月も入院した。そして私が戻ってきたら治った。私の母親である。

私はもうストレスを貯め切れない。睡眠薬と精神安定剤、そしてアルコールに頼っていたりするが、それも限界がある。

親で手いっぱい。だから私にストレスをぶつけて来た他の肉親とは縁を切った。

こんな感じだから結婚なんてとんでもない話だ。

小学生の頃、「将来の夢は」と聞かれ「孤児」と答えた事があるが、私の場合は一人じゃないと生きて行けない部分が本当に多い。

もしかしてら人殺しの家系で、肉親は既に敵に憑依されているのではないかとさえ思う。

最近、家系の武将を調べているが、長男は夭折ばかりしているのには改めて驚いた。何度も家が途絶えて養子を迎えている。それが今も続いている。私の父、母の家系共そう。どちらの祖父も婿養子。父方の祖父は養女の婿養子。曽祖父との血は途絶えている。

この現実を直視すると、神道でも仏教に縋っても効果は薄いと思わざる負えない。途絶えるしか無いのか。そうなると私も祟り霊になりそう。

正直なところ、私、祟りを使いこなせる様な気がしている。へんな話だけど偶然とは思えない実績がある。

だが確実に自分にも跳ね返る。だからやっぱり引き籠って生きるのが一番良いような気がする。

もう、本当に山にでも引き籠る生活を考えよう。それで野垂れ死んでも良いではないか。

生物である人間の真の目的は、土に養分を与える事。糞や骸を土に返す事。それを地球が望んでいるのだから。


ではでは。
コメント (2)
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