諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

父が亡くなった病院の前で、バイクのタイヤがパンクした。その4

2023年03月06日 12時16分03秒 | 出来事
続きです。

あの時、私が両親を引き留めていたら父の寿命は5年は延びていただろう。

父母のストレスを全て私が受け止めていたら、認知症のスピードもゆっくりだったかも知れない。

でも、私は父母とは別れたかった。東京に出たのもその為だ。

しかし、一度は私のマンション設計の案を受け入れたが、また自分の意見を通した欲張った設計に戻した。それで大家業は大きく傾いた。

私からしたら分かり切った失敗だ。現在もその失敗が響いている。私が東京に出なければ父を止めれていた。成功は続いていた。生活は安定した筈だ。

私は家業を必死で手伝い、伯父や母に罵倒されながらも豊田商事の詐欺を防いだ。

父も母も妹も弟も知恵遅れだ。頭が悪い。知識が無い。それが分かっていながら東京に出た。それで大失敗した。

そこで私の鬱はピークに達した。そのピークが今も続いている。

私の父は不動産屋の間ではバカ大家だと噂されている。だから騙そうとする不動産屋が父に何人も近づいた。

父は金持ちぶって不動産屋にちやほやされたいが為に、不動産屋に喜んで足を運んだ。私に黙ってだ。

それを察知して私は不動産屋に足を運んだ。そしたら何時の間にか物件の売買誓約書が作成されていた。父ならそれがどういうものなのか分からずにサインしていた可能性が高い。

不動産屋も息子の私も容易く騙せると思っていたようだ。

これでも私は総会屋系経済誌で不動産の記事を専門に書いていたのだ。その知識で不動産屋を圧倒してやった。

そして大家の会に入っている事も伝えだ。大家の会の会員は500名近いと思う。騙したら大家の会に知られる。噂は一気に仙台に広まる。

不動産屋はそれに恐怖した。それからは騙しには来なくなったが、ヤクザな不動産屋は陰で父親に接触し続けていた。

それも私が察知して、行ってヤクザ不動産屋とも対峙した。

これを言ってはお終いだが、不動産屋には悪質な者が多く集まる。良い不動産屋もあるが、それはしっかりした経営状態にある不動産屋のみだ。多くはヤクザと変わらない。それは仙台に限らずだと思う。

父は自分の成功経験がある。それは運が良かったからだ。私と母が働いたからだ。

父は経営者の器ではない。毎日、パチンコ屋に通っていたバカだ。

しかし、経営者の立場を手放さない。自分がトップであり続けたいと病的に思っていた。

だから87歳になっても私の意見には従わなかった。母が認知症になり、父も亡くなった現在、相続税で大変な事になった。父が家を買おうと母の預金を自分のものにしていたのだ。

そして87歳で新築の家を買おうとした。私はそれを察知して多くの不動産屋を回った。父の認知症を告げて契約の取り消しを求めた。

それで不動産屋は父の意向を聞かなくなり、父は家を諦めた。私の元に戻ると言い出した。

しかし、家を諦めた為か体調は頗る悪くなっていた。

つまり、私も父の死因の一つに成っていたと言えるのである。


続く。






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