諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

東日本大震災から12年。地震と津波を神道で考えた。その7

2023年03月18日 17時59分07秒 | 東日本大震災
続きです。

塩竃神社の伝承では、塩土老翁が人々に塩の作り方を教えたとされています。

でも、その場所は現在、志波彦神社・塩竃神社が建立されている一森山の天辺ではない筈。海に面していた場所にあった筈。

塩竃神社の下方には御釜神社が鎮座しています。塩竃神社の境外末社で藻塩神事が行われています。ご神体は塩を造った御釜です。

その地は昔、海だった思いますので、そこで塩が造られていた可能性はありますが、私的にはやはり花淵浜周辺が有力だと思います。元塩竃神社と言える鼻節神社が鎮座していますし。

鼻節神社神社の祭神は猿田彦尊。猿田彦尊の長い鼻から鼻節神社となったと思われます。

この鼻節神社ですが、大抵の参拝客は裏参道から入り、裏参道を戻って帰ります。表参道はありますが、まんま獣道同然となっています。

その表参道を進むと終点で巨大なコンクリートブロック(塊)に出くわします。その下は崖です。このコンクリートブロックが無ければ崖から海に落ちてしまいます。

そのブロックからちょっと戻ると山形の扁額がかかった鳥居と急な石段が出て来ます。ここが表参道です。

以前から不思議に思われていたののです。鼻節神社の表参道は本来、船で海を渡り崖をよじ登って参拝していたのではないか。そうとしか思えないと言われていたのです。

しかし、東日本大震災でその謎は解明されました。

古の地震と津波で地盤沈下して松島が出来たことが。つまり鼻節神社の表参道は松島の海の下にある。全て沈んでしまった。そして鼻節神社は松島が誕生する前からその場所に鎮座していた。

鼻節神社から7キロほど沖の松島の海中に大根神社が鎮座しています。その場で藻塩神事が船の上でなされているのですが、この大根神社も松島に沈んだと考えられます。もしかしたら、この大根神社が本来の塩竃神社なのかも知れません。

大根神社の「大根」は何を示しているのか。

それは男性器で間違いないでしょう。男根が大根になったのでしょう。

そして大根神社の周辺には多くの蝦夷達が住んでいた。蝦夷達は大根神社を信仰していた。性器信仰、つまり地蔵信仰のルーツである幸神を信仰していた。

それが地震と津波、そして地盤沈下で海中に沈んだ。松島周辺には古墳時代の遺跡が多く見られるので、松島が蝦夷達の中心部だったのが分かる。それが沈んだ。

蝦夷は地震と津波に恐怖した。故に地震と津波を起こす神を信仰したと思えます。地震や津波等の被害を起こして貰いたくない為に。


続く。






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