続きです。
長々と書いてまいりましたが、タイトルと内容が違うのではないかと思っている人も多いと思います。
今回の記事は実はあまり検索されて欲しくないのです。塩竃神社に異を唱えている部分がありますから。
神社は祀られている神が全てなのです。その神は違う、別の神だとは言えない。神社がその神を祀ったのであるなら、それが祭神の何者でもないのです。それが神道であり、神社なのです。だから面と向かって言いづらかったのです。
っとは言え、私の考えは伝えておきたい。そう言う事で書いております。
さて、阿須波神は性器信仰に繋がるのか。
阿須波神は旅立ちの神でもあります。そして天照大神の天孫降臨の道案内をしたのは猿田彦尊。
志波彦神が阿須波神であるなら、塩土老翁が猿田彦尊であるなら、そのものズバリ「阿須波神=猿田彦尊」と考えられるのではないでしょうか。
そして阿須波神の父親は大歳神(オオトシカミ)。大歳神の「歳」の字は「サイ」とも読める。
つまり大歳神は賽の神である。猿田彦尊は道祖神とされている。村の境界線に鎮座し、禍を遮る神である。どちらも境界線の神です。
この世とあの世の境界線は賽の河原と言えますが、その賽の河原には奪衣婆、懸衣翁がおり、死者の罪を計っている。
この奪衣婆は禍津日神。懸衣翁は神直日神とも言われてます。賽の河原に居て人の穢れを計っているのですから、奪衣婆は瀬織津姫とも考えられる。
奪衣婆・懸衣翁は仏教によって貶められた神道の神なのでしよう。
そしてそのモデルは大歳神・天知迦流美豆姫。もしくはその子である阿須波神・波壱岐神だと考えられます。
賽の神(サイノカミ)は塞の神(サエノカミ)とも言われてます。「塞」の意味は「ふさぐ」。つまり性交を意味している。
故に大歳神は性器信仰の神。日本の本来の地主神であると考えられます。
東北にはストーンサークルが数多く見られます。「日時計ではないのか」とか言われてはいますが、下ネタで恐縮ですが、私には性交を意味していると思っています。
志波彦神が蝦夷の神であるなら、やはり性器信仰の神だと言えます。性交もまた境界線を意味しているので。
続く。