諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神道は矛盾している。だからこそ平安が保てる。

2017年12月21日 10時56分49秒 | 神道
前回、「安室奈美恵の引退に想う」と題してブログを書きました。そして貴重なコメントを頂きました。「貴方の意見は矛盾している。こんなに胸糞が悪くなったのは初めてだ」と。

私、正直な性質なので正直に言いますが、本当に安室奈美恵と宇多田ヒカルの歌は嫌いです。ファンの方には申し訳ないですが大変苦痛です。本当に申し訳ないですが、心臓を掻き毟られる辛さです。この感情に嘘偽りはありません。それが私の感覚なのです。

それは私の精神が矛盾しているからなのか。そうだと思います。私の精神は矛盾している。同じウコンなのにカレーライスは好きですが沢庵は嫌い。矛盾だらけの人間です。

でも、矛盾していない人間ってこの世にどれだけいるのでしょうか。人は皆矛盾している。矛盾しているからこそ人間。矛盾しているから進化した。それが人と動物との違いの様に思えます。

っと言う事で安室奈美恵、宇多田ヒカル、小室哲哉とその系列の音楽は聴いてて本当に不快。これのどこが芸術なのか。世界では絶対通用しないと思うのですが、それは人それぞれその人の感覚です。

私はキリスト教を学術的に学んでイエスキリストは実在しない。キリスト教は戦争兵器の側面があると確信していますが、こんな事を言うとキリスト教徒に攻撃されます。でもそれが私の感覚であり考えなのです。

その考えを持つ者は迫害され命を奪われた歴史がある。自分と考えの違う者を迫害し命を奪う。だから私はキリスト教が嫌い、宗教が嫌い、権力が嫌いなのです。

そう言いながら神道の話をしている。矛盾していますよね。それは神道の神々は矛盾しているから。

神道の神々は罪を犯し罰を受ける。それなのに信仰される。矛盾している。

それは神道の神々は人の罪を背負うから。つまり人は矛盾しているから神も矛盾している。つまり人の矛盾を許している。

私は神道は宗教ではなく生活だと考えていますが、人の矛盾を許してこそ平安がある。生活が成り立つ。その考えが神道には流れていると考えています。

コメントした頂いた方に付いては安室奈美恵のファンの方で心を傷付けて申し訳ないと思いますが、嫌いなものは嫌いなのです。

それを堂々と発言出来て、考えは人それぞれと納得していただける世の中が良い世の中だと思えるのです。そう思えなかったから戦争が起きた訳ですし。

勿論、モラルは必要です。規律も必要。その点が難しいですけど、人は人、自分は自分。誰もが同じ考えとは限らない。それを納得できないと戦争になる。

その事は理解して頂きたいと思います。結構、大切な事だと思いますので。

っと言いながら、相撲協会と富岡八幡宮の亡くなった宮司達を非難している私が言えた義理では無いのかも知れませんが。


ではでは。




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6 コメント

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自殺の家系。 (綱永井寵生)
2017-12-22 21:10:24
かれくさんへ

初コメント、有り難うございます。
私も今回の話、きつかったかなと反省しています。そんなに読んでいる人もいないと思い書いてしまいました。怒る人がいるのを覚悟で。

その反面、嫌いなものを嫌いと発言できないのは怖い事だと考えます。
例えは戦時中に「天皇が嫌い」と発言したら捕まって拷問されたりする。大多数には逆らえない、上には逆らえないと言う世の中は危険だと思います。まだ日本にその感覚が残っていると思います。

私は藤圭子の世代ではないですし、この好みの歌手ではないですが、歌詞は怖さを伴って記憶しています。あれこそが怨念を感じる歌。自分の恨みつらみを載せられる歌。一生忘れない歌。興味が無い者にも心を響かせる本当の歌手だと思います。

宇多田ヒカルと藤圭子の違いは歌詞が聞き取れないところもありますが、声の質に違いがあると思います。似ている様でどうしても宇多田ヒカルの声には嫌悪感を感じる。だから歌詞も聞き取れないのかも知れません。

そしてその原因は私のトラウマなのかも知れません。

私の母方の肉親の家系もそうですが、藤圭子と宇多田ヒカルも自殺の家系だと思います。親が自殺すると親の感覚を味わいたくなる。人生に自殺と言う選択のスイッチが出来る。スイッチが目の前にあると押したくなる。藤圭子が憑依したように自殺に縛られてしまう。

その束縛を解くには藤圭子の人生を許す事だと思いますが、これが中々出来ない。

宇多田ヒカルがどの様に生きるかにかかってくると思えます。
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好き嫌い。 (綱永井寵生)
2017-12-22 20:29:33
みなみさんへ

私は何時も怒っているイメージなのでキムタクは嫌いですが、何故か仮面ライダーの俳優は好きになる傾向で、飄々とした演技のオダギリジョーは好きです。好き嫌いはどうやって説明したら良いのか難しいですね。

キムタクのドラマは殆ど見ませんが、田村正和のファンなので協奏曲は最後まで見ました。
結果、やっぱりキムタクは好きじゃないです。別に嫉妬しているのではありませんが。

私が安室奈美恵と宇多田ヒカルの歌が嫌いと感じる原因は声に一因が有ると思えます。トラウマなのか、こればっかりは治りそうにも無いです。

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敵対している神々。 (綱永井寵生)
2017-12-22 20:20:07
りひとさんへ

これはもう少し考えが練り上がってから書きたいと思っているのですが、敵対している神々が存在します。しかしそれぞれ役割がある。そして人の罪を背負い罰を受ける。その点は共通していると思います。

私は最初、お稲荷さんは怖くて参拝に行けませんでした。そして私の祖先が殺した神々も怖い。でも天津罪、国津罪を背負って貰っているから自分の穢れが祓われている。それを感謝する。だから怖さが薄れて参拝する様になりました。
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はじめまして (かれく)
2017-12-22 10:15:30
綱永井さん

はじめまして、こんにちは。綱永井さんのブログを読み始めてまだ2ヶ月程度の新参者ですがよろしくお願いします。
安室さん引退の記事の件ですが「反論されるだろうなぁ。」と思いながら読んでいましたら、案の定「胸糞が悪くなった」というコメントが
付きました。綱永井さんが感情的にダメなものはダメ的な吐露をされているので、相手の方もそのような感情の発露を業々されているので、
随分と付き合いの良い方もいたもんだと思いましたし、これは反論ではなく単なる感情のぶっつけ、だなと…。
ブログはある程度主観的なものを発言するツールなので、
「自分とは違って、そういう考え方や感情を持たれたりするんだね」と
受け取れば良いのではないかと常日頃思っております。
なので、綱永井さんが、このことを気にする必要はないと考えます。謝る必要もないかと。

ところで宇多田ヒカルさんを苦手という綱永井さんも、お母さんの藤圭子さんなら年代的には許容される歌手ではないでしょうか?
彼女の娘と知ったとき、同じような運命を辿らなければ良いがという漠然とした心配をしてましたが、同じ業界内での結婚と離婚、休業、再婚、復帰と、
いまのところ軌跡はほぼ一緒。
たぶん母へ手向けたんだろうという曲「花束を君に」は、綱永井さんの嫌いな
「トラヴェリング」と違って詩だけなら共感できるのではないかと思いますが、余計なお世話ですね。
安室さんはともかく宇多田さんについてはそのように思いながら読みました。

これからも、いろいろな尖った思いをブログで発露して下さい。期待しています。

かれく
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自分が好きな芸能人の悪口 (みなみ)
2017-12-21 22:55:26
私は気になりませんけどねー。
昔、キムタク、続いてオダギリジョーのファンだった時、酷い言われようでも、そういう見方もあると思っていました。
因みに私、小室サウンドは割と好き、宇多田さん自身は好きでないけど、好きな音楽はありました。
安室さんは…あまり興味がないので、どうでもいいです。
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まだ記事みていないです。 (りひと)
2017-12-21 19:45:55
あとでみてみますね。
矛盾、まさにそうですね。盾と矛両方はらんでいます。

正義ってそんなもんなのでしょうね。
ただ一つ見つけましたよ、大事な基準。
それは人を大事にできて、相手がその気持ちを理解出来ているか?

人それぞれ観点も引っかかるのも違うって認められたら相手の意見も認められる。相手の意見認めた上ならばそういう考えもあるんだなあと相手を攻撃しないで大きな器でいられる。

認められないから相手の何かを見つけて突こうとするんだと思います。もちろんその悪意の気持ちは感じられるので反発や防御用の攻撃もする。それが長い間繰り返しです。そろそろやめられないのかなあ?

昨日八百津の神のお話聞いてきましたけど、虫でも草でも木でも、木材になった木でも石でもそこに神を感じていたら他者を攻撃しないで尊敬が持てるはず、自分と違う物は全てです。

一緒だからじゃなく違うから尊敬出来るんです。
人間もそう、一緒の考えだと成長するどころかつけ上がりますよ、子供も集団になると怖いですから。

一人一人自分の意見が言えるという自由は憲法でも認められてますから、ありがたいです。

であとは、相性とか好みの問題のはず。
それは違う個性だから違うのでどう頑張っても変わらないはず。
またそういう注目される所に出る方は、そこを気にしていたら身体がいくつあっても足りないくらい。そこの上に行っているはずの方でしょうね。

なので本人に指摘して怒るならまだしもファンや部外者が本人をまたいで争う事はもったいないし、本人も困ってしまいそう。なのでその方への温かいメッセージの方が本人様にはいいのだと思います。

で神ってまさにそうで、ある民族には神である民族にはちょっと怖い。それで当たり前なんですよね。そこを神だから無礼をするなというのは分かるんですけどだからといってその神がえらいという事も言えないんですよ。日本は八百津の神がいるので。別格はあるんだと薄々感じますけど神同士は決して相手を攻撃しているわけもなくゴーイングマイウェイしているだけ。

人間はどうもこっちが正しいとかこっちが上だとか気になってますが神ってそうなのかなあ?と。

なので神の合う合わないもどうもそこに執着する人間の想いがモンスターになっているだけのような気がしますね。まずはその人間の作ったモンスターを外し、神は我が道を行き、人間はそこをコントロールしようとは思わずにただそれに合わせていくだけでいいのではないのか?と。

神は素朴でもしかしたらそもそも人間の願いを叶える者でもないのかも?ただただ普遍で恵を与え、その恵の恩恵で人間は生かされているのみだと。

盾と矛の矛盾は、人間からは全てが刃のように感じる事もある。ただその中でうまく知恵でそこを切り抜けようとするのみ。そこを感じられるのは神社なのかもしれませんね。

安室さんの記事読んでみますね、綱永井さんのベースのヒントになるかもしれません。好みはまさに出ますので。3199、1606
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