諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

東日本大震災から12年。地震と津波を神道で考える。その8

2023年03月19日 01時51分01秒 | 東日本大震災
続きです。

ここで鬼渡神の性質を述べます。

鬼渡神は「川でも山でも海でも直ちに渡り行く故、鬼渡神と申す」と坂上田村麻呂に自己紹介しています。そこから川の神、山神、海神だと言えます。

そして庭の神である。庭とは人に一番近い境界線。境界線は生と死の間でもある。

柴神とされている。山道の入り口に祀られている。通行の安全を守る神である。旅立ちの神でもある。

鬼渡、二渡等の発音から鶏の神であるとも言われる。

そして福島県と宮城県の白鳥信仰とも結び付いた。鳥は死んだご先祖と考えられた。鳥を殺したり、食べたり、触ったりしただけで祟られる。疱瘡にかかるとされた。

古代の日本人が一番恐れたのは疱瘡。崇神天皇の時代、疱瘡によって半分の日本人が亡くなった。

代表的な疱瘡は麻疹や天然痘。子供が掛かりやすい。神道の七五三も疱瘡に掛からなかったことを神に感謝する神事である。つまり子供の守り神ともされている。

鬼渡神として志波彦神、阿須波神、波比岐神を紹介したが、何れも「波」の字が入る。津波も波である。

そして津波は地震で引き起こされる。阿須波神が鹿島神宮、香取神宮の地主神であり、要石で抑えられているのであれば地震の神であるとも言える。

更に「波」の字をPAと発音するのであれば、アイヌ語で疱瘡を意味する。

蝦夷が鬼渡神に畏怖を感じて信仰したのは以上の理由が考えられる。

東日本大震災で一番震源地に近いのは南三陸町や牡鹿半島であるが、その地には八社の二渡神社が鎮座している。

その地は蝦夷の拠点だったが、やはり地震と津波を恐れていた蝦夷の鬼渡神への信仰が伺われる。

仙台市若林区には白馬に跨り津波を剣で斬った海神の伝承が残る浪分神社が鎮座している。

塩竃神社の裏には波切不動尊が鎮座している。津波を防いだとされている。

志波彦神は白馬に跨っていたとされるが、波分神社の海神や塩竃の波切不動尊と被る。私は阿須波神である志波彦神の事だと考えています。

長々と語ってまいりましたが、地震と津波が鬼渡神と関連が深いとの私の考えがお分かりになったでしょうか。

東日本大震災は津波で約2万人の命を奪いましたが、遺体をそのままにしていたらペストが広がる。ペストも疱瘡である。

そして東日本大震災での津波で福島第一原発がメルトダウンした。放射能も疱瘡だと言える。

福島県に集中している鬼渡神社の地で放射能が拡散した。これも疱瘡神でもある鬼渡神との関連が考えられるのである。

鬼渡神は蝦夷に信仰された神である為に、朝廷によって隠され消された訳だが、それ故にまた鬼渡神の怒りが爆発する。

神道で地震や津波を考えると、そんな風に考えてしまいます。

大変残念ではありますが。


ではでは。




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