諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

インドには墓は無い。その2

2023年04月05日 20時00分08秒 | 
鬱Maxで中断しておりましたが続きます。

遺体を川に流す。これっ、日本でも同様な葬儀が行われていたと思えます。

例えば伊弉諾尊・伊弉冉尊の最初の子供である蛭子神。3歳になっても立つ事が出来なかったので、ボートに乗せて海に流されました。

蛭子神の場合、生きていたのですが、海に流したのは生きながらに埋葬したと言えます。

出雲の場合は遺体を木の上に縛り付け風葬にし、その後に宍道湖に流したそうです。

因みに宍道湖の「宍」の字は「人間の肉」と言う意味です。「人間の肉」となると「死者」となります。つまり「宍道湖」は「死者の道の湖」との意味です。宍道湖は出雲民族の墓だと言えます。

大祓祝詞で考えれば、人の穢れを「川上の瀬に座す瀬織津姫」が引き受け、河口に座す速秋津姫に流す。穢れを受け取った速秋津姫はその穢れを風神・伊吹主に渡し、伊吹戸主は穢れを海底、もしくは根の国の速佐須良姫へ吹き飛ばし、速佐須良受け取り、速佐須良姫が流離う事で穢れを消します。

この穢れですが、元々は「毛刈れ」から来ています。

瀬織津姫はアイヌ語で「毛皮を剝い背負い入る姫」と訳せます。毛皮を剥いだら死者です。つまり日本でも死者は川に流していたと考えられます。

現に坂上田村麻呂の時代、戦死した朝廷側の兵士は蝦夷との境界線だった現在の七北田川に流したと伝わっています。

江戸時代においても仙台藩は12000人を超える処刑者の遺体を広瀬川や七北田川に流しておりました。

古代において名も無き者の遺体は、川に流していたと考えられます。

それでは仏教の創始者??であるお釈迦様には墓があるのか。

実はあるのですよ、お釈迦様の墓が。

お釈迦様は「自分が死んだら大事件になる。弟子たちは悟りの道をひたすら精進を続ければそれでよいが、一般の民は悟りを得るのは困難だ。だから私を火葬して法の王として塔に祀れ。その塔を拝し供養すれば、何人たりとも幸せになれるだろう」とか遺言しています。

お釈迦様の墓はラーマバール塚と呼ばれており、巨大な饅頭の形をしています。

インド人はガンジス川がお墓なのに、お釈迦様だけ何かチョット、狡い感じがします。自分だけ墓を持つなんて。

私は泳げないので川に遺骨を流されるのは嫌です。やはり土に帰りたい。永遠に続く墓が欲しい。

饅頭型の墓と言うと我が故郷・福島県いわき市の四ツ倉にある瀧夜叉姫こと、平将門公の三女である五月姫の墓が思い出されます。

五月姫の墓は日本中にありますが、恵日寺の墓ではなく、恵日寺から500メートルほど離れた広場にある墓です。

そこで私、思いました。私の墓も御饅頭型にしよう。それならスコップ一本で私にも造れそうだ。

都合が良いことに私の墓地として考えている土地は閼伽井嶽に母親名義で所有しており、いわき市で一番の霊場なのです。面積は2200坪以上もある。これは私としては運が良い。

そこに禁断の御塚神社を真似て、饅頭型の墓の周りを竹で結界を造り、入り口に小さな鳥居を掲げ、饅頭型の墓の上に小さな石の祠を乗せよう。

祠の中には「綱永井命」と書いた板を入れておこう。閼伽井嶽だから井戸繋がりで良いのではないか。勘違いして閼伽井嶽の神だと思う人もいるかも知れない。もともと綱永井の姓は御井神である綱長井神から取っているし。

遺骨は土の中に埋めたら憲法違反になる。ここが一番の問題である。

何とか墓地として申請したいものだが、宗教法人でないと管理は難しいらしい。そこを何とかクリアする方法を考えよう。

もし駄目だったら私の遺骨を粉末にして、御饅頭型の墓に振りかけようと思っている。

何か、シュガーパウダーがかかった御饅頭っぽくて美味しそうな気がする。

これこそが日本人の清く正しいお墓だと思える。

何か、楽しみになってきた。死ぬのか。


ではでは。

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