数日前、かかりつけの床屋にバイクを走らせていて、ふと思ったのです。「水筒を忘れた。床屋で喉が渇いたらどうしよう」と。
実は二日前から抗うつ剤を絶っていたのです。少し調子良かったので。
それが「喉が渇いたら・・・」と不安に思っただけで鬱が降って来た。過呼吸もしている。バイク運転中に過呼吸はやばい。
落ち着こうとベンダー(自動販売機)で100円の550ml栄養ドリンクを購入。がぶ飲み。喉の渇きは落ち着いたが鬱は消えない。逆に「床屋でトイレに行きたくなったらどうしよう」と新たな不安が。
「こりゃダメだ、帰って抗鬱剤を飲んで寝るしかない」。そう思って帰宅。
次の日も完全には鬱は消えない。そして二日後、床屋に行ったら店は閉まっていた。貼り紙があり、「次の土曜日まで休みます」と書いてあった。
そう、私は重度のHSP。「床屋さんが1週間以上店を休むのは不幸があったからではないのか」と脳裏を駆け巡る。人柄が大変良いマスターだから気の毒に思う。
「仕方ない。10日後にまた来よう」と家に引き返す。
そして10日後。店に行くと予約がいっぱいで今日は無理とのこと。
「明日は大丈夫ですか」と聞いたら、「明日も分からないです」と返答。仕方なく帰った。
そして次の日。天気は雨。「雨だったら客も少ないのではないか」と考え、アウトドア用のレインコートを着て店に。15分待ちでやっと髪を切ることが出来た。
私は失礼とは思いながらマスターに聞いた。「一週間以上店を閉めていたのは、何かご不幸があったのではないですか」と。
マスターは「母親が亡くなりました」と。
やはりそうか。このマスターは50歳前後だろうか。私よりも年下。しかし、床屋ゆえの雑学に長けている。人となりも良い。人生を知っている。人格者だ。そんな彼でも流石に落ち込んでいる。
前の客とは釣りの話をしていたが、気丈に踏ん張って仕事をしている様だった。
何時もは私の悩み事を聞いてもらっていたが、今度は私が聞いてやろうか。
でも、宗教の話はタブーだ。店には聖教新聞が置いてある。間違いなく創価学会員だ。その点は考慮して私から話を切り出した。
続く。
やはりO型は人情家。人と人との間で愛し愛され生きる人。
A型は他人関係なく、負けたくないと魂に火がついた時、本領を発揮する。しかし暴走すると独裁者になりかねないところがある、そんなA型のわたしです(笑)孤独に強いのでそれが強みでしょうか
A型は、(笑)ま言わないでおきましょう。ヤクザの喧嘩、テリトリー争いに発展しない限りはA型同士は安泰。多分他の血液型も同じ血液型同士だとテリトリー争いになるのだと思います。
うちも仕事のつきあいで昔聖教新聞取ってました。(笑)しかし、配達員は無償ボランティアらしいですね。酷いもんですね。
で、見出しがいつも池田。平和の祭典なんちゃら。婦人部がどうのこうの。まるまる学会の宣伝新聞。なので興味なし。新聞代が勿体なかったですね~(笑)
>人情家。 ... への返信
確かにO型は人情家だと思いますが、HSPになると人の悩み苦しみ、そして悪意、心根が分かってしまい、心が辛くなると思います。
私が人との接触を避けているのも、超O型故かも知れません。
日本人はA型が多いですが、A型の向上心が日本を支えている部分はあると思います。
>B型には刺激を受ける。О型には癒される。AB型は打開策のアイデアを貰える時がある... への返信
B型は天才的素養がありますが、組織のトップには向きません。突飛な考え方で最後は自滅します。
私の父がそうです。私が東京に出なければ父の失敗を防げた。その想いが私の鬱の一つの流れです。
>つきあい。 ... への返信
悲劇のシナリオを演じる人生を送っている人が、宗教に縋ります。縋らないと生きて行けない。だから信じるのだと言えます。
基本、学会員は心が純粋で良い人が多いと思いますが、その純粋さが社会に適応できない。それで苦しみ宗教に縋るのだと思います。
私の場合、新聞販売業で人の卑しさ、狡さを嫌と言うほど見ました。だから騙そうとする者を避けられたのだと思います。
宗教の歴史・本質、教祖の心情を知ると宗教に疑問点が涌きます。だから真実を自分で探したいと思っています。
> B型。... への返信
綱永井さんが東京にでなければ、確かにお父さんが苦境に陥ることはなかったかもしれない。綱永井さんの自己犠牲によって。
私も前にコメントしましたが、姉の犠牲になりました。やはり姉から離れることを選びました。私が姉から離れず、姪をもっと見てやれば、姪は自殺を選ばなかった。
けど、こうも思います。親であれ身内であれ、人は誰かの犠牲になるために生まれたのではない、と。自分の魂を輝かす場所を見つけるために生まれてきたはずだ、と。人の生死は、身内でも左右出来ない。現実は介護だったり看病だったりいろんな苦労は確かにあります。しかしながらそれも対応するシステム、選択肢があります。話がごちゃまぜで恐縮ですが、要は
綱永井さんが東京に出たことを悔いることは、ないと言うことです。 貴方が東京で経験したことは全て貴方の血となり肉となっているのだから。
答えがない身内、親族間の葛藤。答えを無理に出そうとせず、一旦離れる。
これは自分が生きるための手段であり最悪の事態=親族間殺人を回避するためにも必要なことだと思います。
私の近所に事故物件があります。盆の帰省で帰って来た60代の娘が90代の父親を刺殺。帰ってこなければ加害者も被害者も存在しなかった。
密接でないほうが良い関係というのはあるものなんです。
> 悲劇のシナリオ。... への返信
純粋で悲劇のシナリオの人生をおくる人間を宗教は取り込み自らの金儲けの手段となし、また社会に害悪をもたらす人間に変貌させ、信者の人生も信者と関わる人間の人生も破滅させる。それが悪徳宗教のやり口。
人間は人との間と書きますが、人間関係を吟味しないと悪へと流されます。悪にならずとも人生破滅です。善悪玉石混淆。この世は産まれ落ちた瞬間にカオスへ放りこまれる。身内であろうと、他人であろうとカオス。
自分軸を保たないと、いともたやすく病み、闇の世界の住人になるしかなくなります。
>離れる。... への返信
臨床心理士にも同じことを言われました。離れなかったら命が危なかったとも。ただ、私も親を信じて出て行ったところもあります。しかし、父親は裏切った。それで大損。分かっていた失敗を悔やむのは辛いものです。
どっちに転んでも墓穴。死んでからも悩みは尽きないです。