またまた焦らすようですが、二神の白いカムイについて語る前に、チョットだけ私がアイヌに拘るか話しておきます。
理由はまあ、簡単に言うと、日本の神道や日本流の仏教の源流は、アイヌにあると思うからですね。
理由を書くと長くなりますんで、詳しくはまたの機会に書きますが、とりあえずアイヌ人は、朝鮮半島から渡ってきた人種ではないのが立証されています。
どうして立証出来るのかというと、歯槽膿漏です。
歯槽膿漏は朝鮮半島から渡ってきた病気です。現在のアイヌ人は分かりませんが、割とチョット前までの純粋なアイヌ人には、歯槽膿漏は無かったのです。
因みに奥州藤原四代のミイラが残っていますが、検体の結果、それらのミイラは皆、歯槽膿漏であったことが確認されています。
奥州藤原氏は、アイヌ人ではなかったと言う事です。
ここで問題なのが、アイヌ人がエミシそのものなのか、エミシの一部にアイヌ人が入るのかです。
単純な疑問ではありますが、単純ゆえ簡単には判断出来ません。
エミシや縄文人の基準が曖昧なもんで、難しいのです。
天孫族、若しくは神武天皇が朝鮮半島から渡って来る前の人々が縄文人であり、エミシなのか、同じく朝鮮半島から渡ってきたと思われるスサノオ、或いはニギハヤヒ以前が縄文人であり、エミシなのか分かりません。
歯槽膿漏を持ってきたとすれば、早いうちから渡ってきたスサノオになりますが、そうすると既に朝鮮の宗教観が縄文人、エミシに浸透していたとなります。
それでは日ノ本本来の宗教観が分かりません。
だから、取り敢えず、朝鮮半島から渡って来なかった可能性が高いアイヌ人で考えた方が、より日本神道の源流に近づけられると思うのです。
つづく。
アイヌ語で「白」が「レタル」と言う事については、正直参りました。
「ハク」にも「シロ」にも繋がりませんね。
うーん、苦し紛れにアイヌ語の「レタル」は英語の「メタル」ではないかとも考えました。
突飛な話になっちゃいますが、「黄金の島、ジパング」の「ジパング」は、大昔、「チパンル」と発音されていた「津軽」であるとの説があります。
青森県の十三湊は昔、人口50万人の大都市で、海外との貿易も盛んで、金の産出も当時、世界で1位とか2位とか言われていました。
その十三湊の街は、大津波、もしくは大地震で海低に沈んだとされていますが、実際、十三湊の海底には、街の遺跡らしきものが確認されています。
それでなくても奥州藤原家の平泉を見れば一目瞭然です。豊富な金の産出が確認されています。
日本国内で金の産出が初めて行われたのは宮城県の涌谷地方ですし、坂上田村麻呂等によるエミシ討伐も金の押収が本当の目的です。
つまり「金=東北地方」なのです。
そう考えると大昔、東北の、いや日ノ本の中心地だった十三湊のある津軽(チパンル)が、ジパングであると言う説も、結構信憑性が高いと思います。
因みに坂上田村麻呂が金の採掘に感謝し、その採掘場所に地主神を祀った時、田村麻呂の夢の中に現れたという「鬼渡神」もまた、金の神様と言えると思います。
話は脱線しましたが、「津軽」が「ジパング」なら、「レタル」が「メタル」でも良いではないかと思った訳です。
「レタル」が金等の金属を意味する「メタル」なら、その輝きから「白」のイメージがあると思ったのですが、常識で考えて、英語で言い表す前に日本語で残るはずですよね(涙)。
もう妄想の果、頭がこんがらがって、何が何だか分からずですわ。
大体、アイヌに3つの色しかないと言うのが分かりません。
「海の青」とか、「山の緑」とか、「黄色い花」とか、せめて虹のように7色位あってもバチは当たらんと思うのですがね・・・・。
そんな下らない事をグダグダ考えていると、チョット閃きました。
アイヌって、「山のカムイ」、「川のカムイ」、「海のカムイ」等、自然物をカムイ、つまり神として考えていた訳です。
だったら「シロ」と付く、白っぽいカムイがいても可笑しくない。白いカムイが存在し、そこから「シロ」の発音が出てきたのかも。
そうだ「カムイ」で調べようと思いました。
そして見つけました、それらしきカムイを。それも二神。
何と二神とも白い神です。
つづく。
前回、白山の「白(ハク)」について考えてみました。
これでお仕舞いと思いましたが、何故「シロ」と発音するのも気になってしまいます。
そこでまたまた調べました。暇でしたし・・・・・・。
っと言っても「白」を「シロ」と発音する由来はネットでも漢和辞典でも載っていないんですよねぇー。しょうがないからまたまた私の妄想の範囲内です。恐縮です。
まず、どこから調べるかというと、東北人故の発想ではありますが、アイヌ語です。
ところで、アイヌ語を見た事があるでしょうか。まー無いでしょうね。私も見たことありません。
これを言っちゃ御終いですが、アイヌ語の文字は存在しません。
だから北海道の地名なんかは、アイヌ語の発音に漢字を当てはめているだけなんですね。
では、どうやって昔からの出来事を伝承して来たかと言うと、糸の結び方でその意味を表し、後世に伝えて来たとのことです。
どんな結び目なのか、私も見てみたいもんです。
そんなアイヌ語ではありますが、現在の日本語の源流と言える部分は多々あります。
例えば「神」をアイヌ語では「カムイ」と言います。漢字で表記すると「神威」です。
まぁー発音から、同じ流れであることは確かだと思います。
「カムイ」の「カム」を直訳すると、「カ」は「蛇」で「ム」は「産む」となるそうです。つまり「神」=「蛇を産む」、若しくは「蛇女」となるんでしょうか。
こんな事からも、日本の古い神様は「蛇神」であると思えます。
さてさて、またまた脱線してしまいました。
調べたところ、アイヌ語で「白」は「レタル」と言うそうです。「礼文島の白浜」なんかは「レタリオタ」になります。
ここでチョットびっくりなのは、アイヌ語には色は黒、白、赤の3色しか無い事です。
「黒」はアイヌ語で「クンネ」で、他は「暗い」を意味し、「赤」は「フレ」で、「赤土や書け鉄分の為に赤茶けた川」も「フレ」と言うみたいです。
ここで悩んじゃいましたね。何故「白」を「レタル」なのか。発音からは「ハク」にも「シロ」にも繋がりません。どうしてなんだろ。
「黒」が「クンネ」なら「ク」が共通しているし、「暗い」と言う意味合いも「黒」がイメージ出来ます。
「赤」も「フレ」なら「紅(クレナイ)」の「クレ」と似た発音だし、「日が暮れる」と言うと暁のイメージから「赤」が連想されます。
しかし、「白」が「レタル」とは・・・・、うーん、今の日本語の「白」とは連想出来ません。こりゃ、参りました。
つづく。
前回、「白山信仰はさておき、白の意味について考えてみた」なんてタイトルで記事を書きましたが、今になって思うと白山信仰を馬鹿にしているのではないかとお叱りを受けるタイトルでしたわね。
考えてみたら「菊理姫」であっても、「瀬織津姫」であっても大変怖い神様であり、当方も今更ながらに祟りが怖くなりましたので、上記のタイトルに訂正します。全てにおいて私の至らなさをお詫び致します。申し訳ございませんでした。
更に更に考えてみたら、「白」の意味についても何も語っていませんし、「済みません」の一言です。
さてさて、早速、白について語ろうと思うのですが、前回、紫波姫町・白山神社の神主さんの話をしましたが、この紫波姫町の「紫波姫」は「瀬織津姫」のことであるとされています。
理由は・・・・、これまた長くなり、今回も「白」意味を書かずに終わりそうなので、今回は省きます。
またの機会、「鬼渡神」を交えて、何故、紫波姫と呼ばれるようになったかお話します。っと言っても私の妄想の域ですが・・・・・。
それでは「白山」です。イメージ的には雪山ですわね。雪も白いですし・・・。
では何故、「白山」を「ハクサン」と発音するのか。
こんなこと考えるの私ぐらいでしょうかね。まぁー考えてみました。どこを調べても出ていませんでしたので、考えるしか術はありませんし・・・・・。
さて私の拙い思考の末の結果です。
故郷の福島県いわき市に「白水阿弥陀堂(しろみずあみだどう)」があります。
建立は平安時代末期の1160年。建てたのは当時の城主・「岩城則道」の妻の「徳姫」です。旦那の墓前を弔う為に建てた訳です。
この「徳姫」ですが、親父さんは奥州藤原家初代「藤原清衡」です。
そして「白水阿弥陀堂」は実家、平泉の庭園を真似て造られたんです。
っと言う事はどう言う事かと申しますと、「白水阿弥陀堂」の「白水」は「平泉」の「泉」から取ったと言う事です。「白」と「水」をたして「泉」となる訳ですね。
何故、「泉」を「白水」と表記するのか。
泉は綺麗な水という意味で「白」と「綺麗」と言う考えが浮かびます。
「白ける」とは「色が薄れる」、つまり「透明」になる事。
昔は「無色透明」なものは「白」と呼んでいた訳です。
もっとも透明な水も波、瀧等、気泡で泡立ったりすれば「白」くなります。
雪だって氷だってそうです。だから「透明」も白なんだと思います。
つまり「白」は、水の色でもあると言う事です。
では何で「白」を「ハク」と発音するのか。
これは「泉」は山や渓谷から出ているから。いや、山が水を吐いたのが「泉」。つまり、「吐く水」で「白水」。つまりは「泉」となるのではないかと考えます。
つまり、「白山」は「吐く山」。「水を吐く山」、「泉が涌く山」だから「白山」です。
「泉が湧く山」なら「ワクサン」ではないかとの疑問をもたれる方もいると思います。まぁ、「吐く」も「湧く」発音が似ていますし、無責任ですが、勢いが違うだけの話です。
多分、山は神様だから「湧く」よりも「吐く」の方がしっくりくるからじゃないのでしょうか。
まぁ、私の考えなんてこの程度です。
つづく。
えー、これは昨年9月の話です。
昨年5月に瀬織津姫を廻る吟遊詩人・山水治夫氏に福島県・西会津に渓流釣りへ誘われ、その時、9月にの早池峰神社の参拝ツアーの企画を打ち明けられ、参加することとなった次第です。
ツアーには日本中から60人位??集まり大成功でした。
正直、こんなにも集まるとは思ってもみませんでした。当初は15人程度でこじんまりとした企画を考えていたようですしね。
その晩、宿泊組は早池峰神社側の釣り民宿に泊まり、多くの方々と親交を温め合った訳ですが、そのメンバーに地元・岩手県紫波姫町の町役場に務める方がいました。
その方は30代位ですかね。何でも白山神社(社務所なし)の神主でもあるらしいのですが、これからは自分も白山神社についても知識を深めねばならぬとの立派な決意から、このツアーに参加したようなんです。
まっ、白山神社の菊理姫は瀬織津姫と同神という事で、山水氏(以下めんどくさいからヤンズさんと書きます)に質問攻めし、何を思ったのか、今度はぼんやりと飲んでいる私に、話を聞きに来ました。
何と言うか、白山神社の神主さんが、私に白山信仰なんて聞いても仕方がないと思うのですがね。大丈夫かと心配になりましたわ。
私は東北人故、興味の対象は日本本来の日ノ本の神であり、朝鮮系の白山神社は正直、余り詳しくないのであります。
そんな私が知っている事と言えば・・・・・、
1.白山信仰はイザナミ尊、菊理姫、瀬織津姫を主に祭っている。
2.菊理姫は黄泉の国から帰ってきたイザナギ尊・イザナミ尊の穢を祓い、仲を取り持った。つまり、両神を括りつけたからククリ姫、つまり菊理姫と呼ばれるようになった。
3.伊豆系神社の神紋、九曜紋は菊理姫を表しており、太陽と北斗七星(日本では北斗七星は隠れて見えない星があると考えられており、星の数は8つ)をくくりつけたから菊理姫と呼ばれている。
っと、上記3つ位しか判りません。
まぁ、このように書くと菊理姫はイザナギ・イザナミ両神の仲を取り持った訳ですから、イザナミ尊ではないと言えますね。
そして黄泉の国とこの世の境界線で両神の穢を清めたという事は、その場所は三途の川原。
三途の川原に常駐しているといえば奪衣婆。つまり、チョット語弊が有るかも知れませんが瀬織津姫という事になります。
太陽と北斗七星を括りつけた点については、正直分かりません。
もしかして太陽神であり星神でもあると言う意味かも知れませんし、太陽神と星神のカップルも考えられます。
でもまあ、瀬織津姫を祀る早池峰神社の神紋は、法輪紋に九曜紋を重ねた紋です。
法輪紋は不動明王を表し、九曜紋は上記の通りです。
神紋からも菊理姫=瀬織津姫と言えるのではないでしょうかね。断言は出来ませんが・・・・。
つづく。