「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・」で良かったと思いますが、諸行無常とは「同じ事は続かない」って事。「良い事も続かないし、悪い事も続かない」、つまり「成功のパターン」が無いって事です。
「成功のパターン」が確立しているのであれば、世の中、誰でも簡単に渡れます。生きるのに苦労もありません。良い事づくめです。それがあったら、苦労しませんわ。
でも誰もが良いことがあったら、結局、世界は滅亡します。誰かが不幸にならなければ、人は幸せにならない。
何か、昨年の震災でつくづくそう思いましたわ。
さて、そういう事で、私のブログ「諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流・・・・」ですが、はっきり言って私の意見は殆ど断言出来ません。直ぐ考えが変わると思います。
人間ですから、神の事等分かりませんし、殆ど全てにおいて私の妄想であり、思い込みです。証明のしようがありません。
だって、古事記、日本書紀だって人間が書いたものですから信用が出来ませんし、その他の古書でもそうです。何もかもそうだと思います。
結局は自分が実感するしかないと思います。
そういう訳で、私のブログの書き込みで反対意見、異議、罵詈雑言、何でもお受けします。
それで私が納得し、間違っていたと実感しましたら、素直に考え直したいと思います。
ただ、宗教はある意味、戦争兵器でもあります。
過去を振り返れば、神の名のもとに人を殺し、侵略を正当化しています。これは大抵の宗教がそうだと断言出来ます。キリスト教、イスラム、ユダヤ、そして仏教もそうです。
それは神の名を語る悪魔の所業です。人間、権力を持つと、その権力の魅力に魅入られて悪魔になってしまう方が大勢います。
簡単に言うと、その悪魔が神になってしまうのです。
そう言った方々とこれまで、幾多と論戦を重ねてきました。
しかし、神様になってしまった人は、自分の意見が絶対となり、他言は聞かなくなるようです。もう話はエンドレスになってしまいます。
私も悪魔になってしまったのでは・・・・なんて考え、自己嫌悪もしょっちゅうでした。
所詮、人間は人間です。神について断言できる人物などいません。たとえ相手が王でも大統領でも天皇でも人間は人間。発する言葉が絶対正しい事はありえないと思います。
特に私の神道の考えは、因縁の鬼渡神を通して考えています。神道のガラパゴスです。多分、話が突飛に感じると思います。
それはそれ、私の今の実感です。違和感を感じるでしょうが、お許し下さい。
まあ、何を頼りに生きていったらいいのか、私程度の人間には分かりません。全てにおいて手探り状態です。
それでも手探りしなければ前には進めません。
私の考え、思いは全てにおいて現状です。更に更に考えを深めていきたいと思います。
コメント等にてご意見を賜り、私も勉強して神の考えに近づきたいと考えております。
そういう事を踏まえて読んで頂けたらなぁーと思っている次第です。
宜しくお願い致します。
ではでは。