諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

人の命を預かる怖さ。【東日本大震災・大川小学校の悲劇】 その3

2014年03月18日 01時12分07秒 | 東日本大震災
さて、先生たちの判断と対応はどうだったのでしようか。その前に私がチョット問題視しているのが、都市と僻地への教師の振り分けです。

これは私の知人から聞いたのです。知人の息子は北海道で中学の先生をしているのですが、勤務地は稚内手前のとてつもない僻地だそうです。

息子さんは勿論、宮城県出身です。北海道から見れば地方出身者です。

やはり北海道と言えども大都市の札幌市で勤務したいと思っている様ですが、札幌等の人気がある大都市は地元の大学出身者が集中して勤務しており、地方出身者は僻地ばかり回されるとの事です。

また、私の友人に宮城県で高校教師をしている者がおります。彼は西日本出身。大学は東京。数年のサラリーマン生活を経て宮城県で教職に付きました。

彼は今、仙台市近郊の偏差値的に中の下の高校に勤務してます。以前は郡部の高校に高速道路を使い長距離通勤したり、気仙沼の高校勤務を言い渡された事もあったそうです。

彼の話によると仙台市内の高校や名門のナンバースクールは、東北大教育学部・宮城教育大学卒業者で占められるとの事です。つまり宮城県の教師の世界にも学閥があり、地方出身者や地方大学卒だと僻地とか評価が低い高校にばかり勤務させられると話していました。

この話が本当かどうか直接確認はしていませんが、もしそうであるならば地元の知識に疎い教師が僻地に勤務させられている事になります。

もしそのような習慣だとしたら、大川小学校の教師達も地方出身者で、地元の歴史や津波の経歴に付いて疎かった、知らなかった可能性があります。

また、これも私の想像ですが、僻地の学校に回される教師は大変失礼ながら教師の資質に問題がある。だから生徒数の少ない僻地の無学校に勤務させられる事も考えらます。

現在、仙台の一般的なクラスの生徒数は30~40名だと聞いています。それに比べ大川小学校は平均で10名前後。こうなると希望してその地に勤務している教師は別としても、先生としての能力が平均的以下で、僻地に飛ばされたのではないかと疑問が残りますね。大変失礼ですが・・・・・・。

現に3.11の日に、幸運にも学校を休んで生き延びた校長は、津波から数日しか経っていないのにPTAの会長に「登校日をいつにするか」と相談に来ています。

勿論、行方不明になった生徒を血眼になって探している最中です。PTAの会長は「何を言っているんだ」と校長を叱りつけたそうです。人間なら当然です。私もその発言から校長の常識を疑います。

それでも3月30日には間借りしている学校で登校式を開いたそうですが、その校長、生徒に対して「友達は少なくなったが、笑顔いっぱいの学校を作ろう」なんてのたまっています。

いやー呆れました。たった20日程度しか経っていないのに、多くの児童が犠牲になったのに、「笑顔で頑張れ」もないです。

校長は自分の職場復帰のみ気を揉んでいたのではないでしょうか。70名以上の生徒と10名の同僚、いや部下が亡くなったのによくこんな心無い発言が出来ると思いますよ。

こんな発言する様では、校長先生が平均的な教師とは流石に私、信じられません。先生としての資質もさることながら、社会人としても疑っちゃいます。

この発言を聞いて、もしも校長が3.11当日に登校していて大川小学校の最高責任者として避難の指揮を執っていたとしても、全然助からなかったのではないかなぁーと思います。亡くなった児童はこんな校長を持って不幸過ぎると思いますね。


つづく。


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人の命を預かる怖さ。【東日本大震災・大川小学校の悲劇】 その2

2014年03月17日 00時50分29秒 | 東日本大震災
さて、ここからが本題です。大川小学校の悲劇です。

大川小学校の津波被害に付いては、多くのメディアが取り上げているし、ブログを詳しく書いている人も大勢います。その塗り直ししてもしょうがありません。

それと当時の状況は学校側も隠したい意思が働いている様で、中々真実が見えてきません。だから結論付ける事は大変困難です。

そこで私は被害にあった当事者の心情を重視して考え、何故これ程までに多くの犠牲者が出たのか、持ち前の捻くれた根性で、他の人とは別の観点で推測してみたいと思います。

先ずは被害状況です。宮城県石巻市の大川小学校は、及波湾に注ぐ北上川河口から4キロ程遡った場所にあります。

被害にあった生徒数108人の内、死亡した生徒は68名。行方不明の生徒は6名。教師は11名中9名が死亡、1人が行方不明。校長先生は出張中で被害には遭わず生存。当時の最高責任者は教頭先生になります。

ここで注目は、大川小学校は過疎地の小学校であること。そして教師は校長を入れて最低でも12名在籍していると言う点です。先生1人に対し生徒は10名ほど。つまり目が届き管理し易かったと言えます。

そして大川小学校の所在地はここ300年、津波の被害が及ばなかった土地となります。チリ地震津波でも被害は皆無。故に津波での避難場所に指定されていました。ここが一番の問題点ですね。

極論を言いますと、もし大川小学校が4階建て以上の建物であったら生徒は全員助かっていた筈。それなのに校舎は2階建て。つまり、この校舎は津波への対応を考えられずに建設されたと言う事です。

300年津波が来なかったとしても1000年単位で考えれば津波は到達していた筈です。それなのに300年でしか津波を考えていなかった。避難地区に指定されていたのですから当然です。これは宮城県教育委員会の認識不足、更には怠慢さを指摘出来ると思います。

実は私、この地区には何度か足を運んだ事があります。この学校の目の前を流れる北上川のその場所はサクラマスの有名なポイントですし、その近くを流れる富士川、そして富士沼は全国に知られたヘラブナ釣りのメッカで、私もボートで釣りをした事があります。現在でもバス釣りのトーナメントが開催される有名な沼です。

その場所に震度6強の地震が起きれば、津波も十分ありえると私なら考えます。これまでの津波がここに来なかったのは、奇跡的とさえ思ってしまいます。津波の避難場所とするにしても、2階建ての校舎ってどう考えても甘いのではと考えます。

私、チョット勘ぐっているのですが、もしかしたら校舎に無駄にお金をかける為に、態と2階建てしたのではないでしょうか。

何たって宮城県は箱物経済で成り立っている県です。箱物が無かったら県としては成立しないと言っても過言ではないのです。

例えば仙台市の工場出荷指数を1とします。私の生まれ故郷の福島県いわき市は仙台の2.5倍、郡山市は1.5倍、福島市で1倍チョイ位です。東北ナンバーワンの巨大都市の仙台なのに経済は脆弱なのです。だから国の税金で無駄な箱物を「これでもかっ」と感じで幾つも幾つも建てているのです。しかも、とんでもなく豪華に・・・・・。

大川小学校も例外じゃないです。あれは108名の生徒数としては大きすぎます。しかも非常に豪華です。多分、女川原発マネーも入っているのでしょうが、無駄に金をかけて造っています。どうしても疑っちゃいますよ。

一見、2階建てより4階建ての方がお金がかかるのではと思うでしょ。

しかし、建物で金額が一番かさむのは基礎工事です。単純に考えて、2階建ての基礎部分は4階建ての2倍です。だから同じ容量では2階建ての方が高額になります。

そう考えると津波を無視して、地元の土建屋に金を落とす事を最優先にしたと思うのですが、私の考え過ぎでしょうか。

もしそれで4階建てを造らずに2階建てにしたのであれば、とんでもないくらい罪な事したと思いますね。


つづく。


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人の命を預かる怖さ。【東日本大震災・大川小学校の悲劇】 その1

2014年03月16日 00時56分02秒 | 東日本大震災
先日、「ネガティブの薦め」と題してブログを書きましたが、本当は今回のお題での前置きを書いて、そのまま文章を切り離して、急遽ブログのタイトルにしてしまいました。長くなってしまったので・・・・・。

それだけ東日本大震災ではネガティブと言うか悲観的に地震や津波について考え、油断せず備えていればこれ程多くの犠牲者は出なかったのになぁーと思います。

何か本当に津波に対しての考えや備えが、皮肉にも裏目裏目に出たケースが多かったと言えますね。

例えば岩手県・田老地区の万里の長城と呼ばれた防潮提です。高さ10メートルの防潮提でX形の形で田老地区を守っていました。

田老地区はこれまでにも再三津波が到来し、住民の大半が亡くなっています。もう誰も津波では死なせないと言う信念で造られた防潮提で、世界的にも有名。どんな津波が来ても安心とされていました。

しかしながら3.11の大津波は想定外の規模で、頼みの万里の長城はあっさりと決壊。皮肉な事に防潮提に守られていた地域の方の犠牲者が、防潮提の前に住んでいた方々より多かった。つまり、防潮提を過信したのが死に繋がった訳です。津波を甘く見た結果と言えます。

そして現在、3.11の大津波に対抗出来る防潮堤を津波被害地で造っています。最大で15メートル程の高さの防潮提です。田老地区以上の防潮提です。

しかし、あんなの必要なんでしょうかねぇー。中国の本当の万里の長城も造った意味が無かったと聞いていますが、これに安心して油断して更に3.11以上の大津波が到来し、またまた津波犠牲者が増えたりするのではないでしょうか。

3.11の津波は6メートルと発表されましたが、入り江の地形等や偶然が重なったりで津波が三角波となり、高さ50メートルの津波になる可能性がある訳です。たった15メートルで大丈夫なのでしょうか。

女川での津波の高さは20メートルでした。最大15メートルの防潮提を造ったとしても5メートルも超えられてしまいます。意味がないと思います。

防潮提で津波を防ぎたいのであれば、最低でも50メートルの高さがないと安心出来ません。それでも大した意味も無く最高15メートルの防潮提を造る訳は、宮城名物・箱物経済の延長なのでしょうね。

津波を防げなくても防潮提を造る事で地元にお金が落ちる。人の命より目先のお金と言うことです。

この程度の防潮提で大丈夫と信じさせ被害者が出るより、土建屋を儲けさせる方が官としては自分の権力を見せつけ、優越感に浸れるから嬉しいのでしょうね。

そしてあわよくば以前の仙台市長、宮城県知事の様に甘い汁をチュウチュウ吸うつもりなのでしょうか。欲張って1億円の賄賂をチュウチュウして、刑務所に入れられたのなんか忘れてね。

ホント、宮城県・仙台市は懲りない面々が多いです。気仙沼市なんか無人島にまで防潮提造るそうです。その無人島の田んぼの塩害を防ぐ為に。その無人島の田んぼは休田地で、米は作っていないのに苦しい言い訳ですわ。

何時まで経っても駄目な県ですわね。津波様々で喜んでいるんじゃないかと疑りたくもなるって話ですよ。全くもう。


つづく。
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ネガティブの薦め。

2014年03月15日 10時19分28秒 | 人生
私のこのブログを長らく読んで下さっている奇特な方々の中には、私の事を「何て暗い奴なんだ、ネガティブなんだ」と思っている人も多いと思います。

確かに私はどう考えても暗い性格だと思います。心配性ですし。

しかし、生まれた時から暗かった訳ではありません。子供の頃は目立ちたがり屋で活発な方でした。ポジティブだったんです。

それが何故ネガティブになったのか。答えは簡単。ポジティブに生きようとすればアクシデントにぶつかる。不幸になるからです。

何れ詳細を語りたいと思いますが、私は普通の人が経験できない事が普通に生じる人生を歩んでおります。自分で言うのもなんですが、よく生きて来れたと思います。

生きて来れた理由を聞かれたら、私は「自分の性格をポジティブからネガティブに変えたから」と答えます。私はポジティブには生きずらい人間だと気付いたからそう思うのです。

ネガティブは悪いことだと考える人は大勢いると思います。「ネガティブ=暗い」のイメージがありますからね。

でもボクシングで考えてみてください。ポジティブに攻撃に終始して勝てるでしょうか。相手と自分との実力に差が無ければ、断然、負ける可能性の方が高い筈です。

勝つ為には攻撃だけでは駄目です。防御が必要です。私の稚拙な文章では語弊はを招くかも知れませんが、「防御=ネガティブ」のニュアンスがあると考えます。

仙台には「楽天」なんて言う球団がありますが、楽天的に生きられる幸運な人も多少はいるのかも知れませんが、3.11を経験した自分としましては、慎重にネガティブに物事を考えねば生きられない時代に突入した感じがします。

不吉な事を言うようで恐縮ですが、私のこのブログにご縁があった奇特な人には、是非幸せに生きて欲しいので、これからはチョットだけでもネガティブの必要性に付いて、考えていただければ幸いだなぁーと考えている次第で御座います。


ではでは。





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継母の子は育たない!? 【総括】 

2014年03月14日 02時02分02秒 | 人生
えー、これまで3名の継母の子の人生を語ってきました。私の人生で知り合った継母の子の全員が亡くなったのです。
これって何か法則があるんじゃないかと勘ぐっちゃいます。何故なんでしょう。

自分が家族に必要とされていなかったり、邪魔者扱いされたりすると生きる気力が無くなり生命が停止するように遺伝子に組み込まれているのか。

「ウサギは寂しいと死んじゃう」と言われていますが、人間もそうなのか。
まさかそんな事無いと思いますが、悲し過ぎます。子供は親を選べませんし・・・・・。

私、思うのですが、ここに紹介した3名の継母の子に施設で暮らすことを薦めたら、施設で暮らす事を選択するのではないでしょうか。そして多分、今でも生きていたのではないかと思えるんです。

私も正直、親には恵まれていません。本当に正直、子供の頃、孤児に憧れていました。何度も家出をしては施設の門の前に佇んだものです。

今でも正直、親なんていなければ良かった。いなかったら今より幸せになれた。自由に生きられたと思うのです。

今も昔も子供を虐待する親はいます。近親憎悪です。近親だからこそ、思うように育たない子供を憎むのだと思います。これは親と子の縁を切らなければ無くならないと思います。

継母の子の場合はもっと深刻です。継母は自分の産んだ子を優先します。財産があるのであれば、自分の産んだ子に与えたい。

先妻が好きな継母なんて殆どいないでしょう。ましてや先妻と現在の旦那の子と自分が産んだ子を平等に扱うのも難しいと思います。何で先妻の子を私が育てなければならないのかと思う継母が大半です。

血の繋がりがある父親も継母の手前、先妻の子を優先する訳には行きません。いや、継母の手前、差別する可能性も高いと思います。そんな家庭環境で先妻の子を育てるなんて難しいと思います。何らかの手立てが必要だと考えます。

そこで提案なのですが国の機関が子供に聞き取り調査をし、子供が希望すれば国家権力の名の下に親の手から子供を切り離し、施設で生きる選択を与えるてはどうでしょうか。

世の中、余りにも不公平です。不孝に生きなければならない者を守る手立てを考えるべきです。
虐待される子供は非行に走ると言いますが、非行防止にもなるし、生活苦で貧しい生活を強いられる子供も助かります。そう言う子を18歳まで国が面倒を見てもいいと思うのです。

どうせ少子化で学校も余っております。その余っている学校を施設に改良し、希望する子供を心身面のフォローし立派な大人に育て上げる機関が必要だと思います。

親に恵まれない子供の幸せの為に・・・・・・・・・。

私は子の3名の継母の子供の人生を前にして、自分は結婚して残念ながら離婚したとしても、子供がいるのであれば再婚はするまいと思いました。

父となった以上、再度自分の幸せを考えて再婚するべきではない。離婚したのは自分の都合。子供に迷惑をかけたのだから、一人身でも子供を中心に考えるべきだと思いました。

幸か不幸か未だに独身で、そんな心配とは無縁なんですけど・・・・・・・。


ではでは。
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