暫く神道のカゴテリーで書いていませんでしたね。
それどころか「所業無情なる日々。鬼渡神と神々の源流」と題してブログを書いているのに、鬼渡神に付いても全然触れてませんでした。
正直、鬼渡系神社の祭り神は神道界のオールスター??の神々が祭られているので、一言じゃ簡単に言えないのであります。
だから小出し小出しで書いて行くしかないなぁーと思っているのですが、それもチョット味気ないんで、今回は鬼渡神が「吾は鬼渡神と申す」と発言した唯一の伝承を語って見たいと思います。
さて鬼渡神が自己紹介した話は地元の神代研究家??の佐治芳彦さんの本に書かれていました。確かタイトルは鬼に関して書かれていた文庫本だったと記憶しています。
勿論、その本には鬼渡神に付いて佐治芳彦さんの考えが書いているのではなく、何か古くから伝わっている古文書??に鬼渡神が書かれていて、そこからの引用です。そのネタ本の名前は不明です。
私、佐治芳彦さんが書いたその鬼の文庫本探しています。どっかのダンボールに入っている筈なのですが、震災でどこに行ったのか分からずです。しょうがないので今回は私のうる覚えの知識で語りたいと思います。
さて、この物語の主人公は坂上田村麻呂です。田村麻呂に付いては説明は要らないと思います。蝦夷を制圧した偉大??な征夷大将軍です。東北を征服したのに何故か東北の英雄となっています。
私の故郷・福島県には田村麻呂から名を取った田村郡もあります。宮城県には田村麻呂の親父である苅田麻呂から名付けられた刈田郡なんて地域もあります。更には田村麻呂は宮城県の利府町辺りで産まれた伝説もあります(二代目田村麻呂ですけど・・・・)。
それだけ東北人から尊敬されていますし、親しまれてもいます。蝦夷は田村麻呂によって征服されたのに、東北人は良かった良かったと思っているのです。
その理由は色々考えられますが、東北人は自分を蝦夷だとは思っていないのが一番の理由だと思います。
青森県のねぶた・ねぷた祭りなんか蝦夷の族長だったアテルイを、悪路王や大嶽丸と言う鬼にしてハリボテ(巨大な灯篭なのでしょうか)を作り、田村麻呂に退治させて喜んでいる祭りです。
つまり田村麻呂は本当は東北を征服に来たのに、東北を鬼の悪行から救ってくれた英雄に祭り上げているのです。
これでは東北の為に、蝦夷の平和な生活を守る為に、少ない兵士で火の玉になって戦ってくれたアテルイ等蝦夷兵の御霊が気の毒でなりませんよ。
何でこれ程までに田村麻呂の人気が高いのか。幾つか理由があります。
一つは奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が先に蝦夷を制圧した田村麻呂を神格化し、自分の行動の正当性を田村麻呂になぞる事で証明。田村麻呂への信仰を推奨する事によって源頼朝は自分の威厳を示し、東北を統治し易くした。
又は田村麻呂は蝦夷を徹底的に殺戮。更には捕虜・奴隷として蝦夷を九州に連れて行ってしまい東北の蝦夷は激減。金を採掘するため大和朝廷側の人間が東北に住みついた。
他にも色々説がありますが、この2つの説が有力だと思います。残念ですけど。
では何故、田村麻呂は東北を制圧出来たのか。
田村麻呂の前には紀古佐美、大友弟麻呂、そして田村麻呂の親父の刈田麻呂等が10万人の兵を動員して蝦夷制圧の戦いを挑んだのですが、アテルイ等が率いる蝦夷側は4000人程度の兵で神出鬼没にゲリラ戦を慣行。あんまりやる気のなかった大和側は、蝦夷に何度もボロ負けしていたのでした。
そこで坂上田村麻呂が登場します。田村麻呂は過去の将軍達とは違う戦法を取ります。
続く。