諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

坂上田村麻呂の夢枕に立った鬼渡神。 その2

2014年03月28日 03時52分32秒 | 神道

続きです。

坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、勝利を収めた要因は何なのか。

正直、多くの説があります。「これだっ」とはどれも断言出来ません。何故なら田村麻呂は鬼から東北を救った英雄となっていますからね。かなり捏造されている事例が多いように思います。

そこで私はあくまで合理的に考えたいと思います。勿論、ここから書く事は多くの説を鑑み組み立てた結果の私の想像であり妄想です。その点、理解の程お願いします。

さて田村麻呂が蝦夷に何故勝利出来たか。当然、先の将軍達と違う戦法で戦った事が挙げられます。その一つは徹底した殺戮です。

戦とはそれまで兵士対兵士の戦いでした。それが田村麻呂が将軍となってからは非戦闘員である女子供、老人に対しても蝦夷と見れば殺戮する様になった。蝦夷側も「戦でここまでの行為をするのか」と戦意を失う者も現れた。

そしてもう一つは大和側の兵士の傭兵化です。

当時、いや、織田信長が登場する以前の戦国時代まで兵士は百姓でもありました。農勢期は鍬を持って田畑を耕し、農閑期には鍬を刀に持ち替え戦をしていた訳です。だから戦を長く続けられなかった。武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いが中々決着が付かなかったのもその為です。

田村麻呂の時代もそうです。何せ一時期は京の都、または鹿島あたりから遥々10万の兵を動員して蝦夷征伐に来ていたのです。

そして田植えの季節になると帰えらざる負えない。兵糧の心配もあるし10万の兵に渡すギャランティも大変です。長い期間戦を続ける事はまず不可能でした。

その問題をどうするか。

田村麻呂は副将軍時代から考えていたと思います。東北で採掘した金で兵士達を賄う事を。織田信長を数百年遡り田村麻呂が地産地消と言ったら変ですが、金を採掘しその金で傭兵を戦に投入したのです。

蝦夷討伐の一番の目的は金です。金の略奪です。当時日本は金の産出世界2位の国でした。「黄金の国・ジパング」って言うでしょ。そのジパングの名の由来は「津軽(当時はチパンルと発音していた)」との説がある位、東北は金が豊富だったのです。

2年半前に例のY氏の関連で岩手県遠野市の早池峰神社にツアーとして正式参拝に行った時の事です。

近くの「又一の瀧」に苦労して登りました。そして瀧に着いてビックリ。瀧は砂地になってたのですが、その砂にキラキラ光るものがあるんです。金です。指で何とか摘めるかどうかの大きさですが、金が結構な割合で砂に混じっていたんです。

私、正直「暫くここで暮らして金を採取したいなぁー」なんて想うほど金がありました。これは仙台市周辺の渓流ではありえないです。今だってこれ程あるのだから田村麻呂の時代は金だらけだったと思いましたね。

因みに「又一の瀧」の意味は「熊野・那智の瀧は一の瀧と呼ばれているが、この瀧も又、一の瀧である」と言う意味です。これは那智の瀧も瀬織津姫を祀っているとされているが、又一の瀧も瀬織津姫を祀っている事を示しています。

そして或る意味、瀬織津姫も金に関わる神様だと言えます。


つづく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする