さて3.11の時、大川小学校の最高責任者であった教頭の思案と判断を探ります。
先ず、午後2時46分に震度6強、震度7の大地震が発生し、児童は校庭に集められた。
地震から約5分後、6メートルの津波が来ると警報が発令。
児童の親たちがクルマで迎えに来る。教師は点呼を取り名簿に記入するように指示。親は教師の話を無視して子供を連れ去ったケースもあった。
その中の母親の話では、校庭には100人前後のひとが避難していた。
教頭が地元住人に「裏山に子供が上れるのか。山が崩れないか」と聞いていた。住民は「ここには津波が来ない」と発言していた。
以前、津波の避難訓練をしていた地域の学校から転勤して来た教師は、裏山に避難することを教頭に直訴していた。裏山では椎茸栽培の実習をやっており登れると判断していた。
小学6年の2人の児童は「津波が来る。皆死ぬ」と言い、裏山に避難する事を懇願。
教師は「学校に残る方が安全」と発言し、懇願した2人の児童の意見を跳ね除ける。
教頭は避難するためのスクールバスをそのまま待機させた。
津波到達1分前になって態々200メートル離れた川沿いの新北上川橋の三角の避難指定場に建物を縫うように列を成して非難を開始した。
津波が児童達を襲った。最後列の教師1人と数名の児童は裏山に逃れ助かった。
以上が大体の経過です。しかしながら助かった児童たちをよく調べると、そう聞いたと言う話になっているので、正確とは言えないようです。
ただ、確かな事は大川小学校がある釜谷地区の住人の4割、189名が亡くなっています。これは、ここまで津波が来ると思っていた人は少なかったからだと言えます。
釜谷と言う地名から水難をイメージするのですが、三陸沿岸は長年津波警報が出ても大した津波が来なかったことから、狼少年的に思われた方が多かったかも知れません。
しかし、それでも児童の親で大川小学校まで子供を迎いに来ている方もいる。津波の到来を視野に入れて行動しているのです。複数の親に判断できて、先生たちに決断出来なかったという事は、やはり思慮が足りない。津波到来のシュミレーションを怠っていたと言えると思います。
一番残念なのは教頭の思案の低さです。「裏山に登れるのか、崩れないか」と聞いたと言うことは、教頭は裏山に登った事が無いと思われます。確かに校庭には老人も避難していたし、低学年の児童は登れないと指摘する人もいるようですが、その知識が無い者が判断してもどうにもなりません。
走って1分程度の裏山を教頭ともあろうものが把握していないと言うのは、児童の命を預かる者としての資格は無いと思います。
また、これは私の妄想であり危惧でもあるのですが、教頭は「先生病」、更には「上司病」にかかっていた可能性があると思います。
「自分は先生だから上司だから自分が判断する。指示する。それは教頭たる自分の特権。自分に従うことを強要する。自分の考えが優先。そして判断し指示することが自分の仕事。児童や部下の意見を聞いてしまっては、自分の存在意義が無くなる。それは許さない。自分は教頭。権力者なのだから・・・・・」、何て考えが頭を過ぎったかも知れません。
東京都では教職試験の倍率は1.7倍と聞いています。割と簡単に教師になれます。しかし宮城県で教師になるのは大変です。兎に角、「公務員にあらずんは人にあらず」の土地柄ですからね。県警でさえ私の時代で10倍の倍率です(警視庁は1倍。大抵なれる)。公務員は名士なのです。だから宮城県はえばり散らす公務員が多いのです。
中でも教師は公務員の上位に君臨します。教師以上と言ったら大学の教授や医者位です。今の時代教師は、食べられない者が多くなった弁護士よりも上だと言えます。
教師の中には生徒でも無い目上の者に対し、命令口調で語る馬鹿が大勢います。そして教師界の副将軍の教頭なのですから、知識も無いのに自分の考えに凝り固まっていた可能性も疑がわれます。
また、自分に対しての責任も考えたと思います。もし裏山に逃げて児童が怪我して、その上津波が来なかったら自分の責任。校庭になら避難指定場だから津波が来ても自分の責任じゃない。指定した奴の責任になる・・・・・なんて考えたたとは言いませんが、公務員たる教師は失敗の出来ない人生を強いられてます。似た様な事を考えたかも知れません。
結果、教頭の判断ミスで死者・行方不明の児童が74名。教師が10名。他に待機させられたままのスクールバスのドライバーも、一緒に校庭から非難した住民も亡くなった。そして自分も犠牲になった。ホント、いたたまれないですね。
犠牲になった大川小学校の児童23名の親は、石巻市等々を相手取り23億円の損害賠償を訴えていますが、裏山に逃げる判断をしなかった教頭も亡くなっているのです。七十七銀行女川支店の裁判と論点は同じです。勝訴するのは難しいと思います。勝訴したら裁判ラッシュに成るでしょうし、国もそれを考えていると思います。。
ただ言える事は、教師だったら学校の周辺の事も知って置くべきだと言う事です。あんな豪華な校舎を造る金があるのなら、裏山を整備してなだらかに登り易くする位の考えが浮かばない事自体、教育者失格だと思いますし、どうしても過疎地に赴任した事での教師の資質を疑っちゃいます。
最後に逃げる逃げないの判断は、人それぞれです。裏山に逃げる事を主張したのに、教師の指示に従い命を落とした児童達が気の毒で成りません。
そこで先生、教師と言う主従関係の廃止を私は訴えます。もう、先生と呼ばず「○○さん」で教師も生徒も呼び合ってはどうでしょうか。
命に上下はありません。自分の命くらい自分で判断させる制度も必要だと思いましたね。
っと書いて来ましたが、先生たちの多くは亡くなった訳ですし、あの大地震ではパニックで冷静な判断は難しかったのかも知れません。死者に鞭打つ事を言ってしまい私も心苦しいです。
ネガティブシンキングな私なら、少しでも助かる可能性に貪欲に動いたと思うので、どうしても残念でならず言い過ぎでしまいました。失礼しました。
ではでは。
先ず、午後2時46分に震度6強、震度7の大地震が発生し、児童は校庭に集められた。
地震から約5分後、6メートルの津波が来ると警報が発令。
児童の親たちがクルマで迎えに来る。教師は点呼を取り名簿に記入するように指示。親は教師の話を無視して子供を連れ去ったケースもあった。
その中の母親の話では、校庭には100人前後のひとが避難していた。
教頭が地元住人に「裏山に子供が上れるのか。山が崩れないか」と聞いていた。住民は「ここには津波が来ない」と発言していた。
以前、津波の避難訓練をしていた地域の学校から転勤して来た教師は、裏山に避難することを教頭に直訴していた。裏山では椎茸栽培の実習をやっており登れると判断していた。
小学6年の2人の児童は「津波が来る。皆死ぬ」と言い、裏山に避難する事を懇願。
教師は「学校に残る方が安全」と発言し、懇願した2人の児童の意見を跳ね除ける。
教頭は避難するためのスクールバスをそのまま待機させた。
津波到達1分前になって態々200メートル離れた川沿いの新北上川橋の三角の避難指定場に建物を縫うように列を成して非難を開始した。
津波が児童達を襲った。最後列の教師1人と数名の児童は裏山に逃れ助かった。
以上が大体の経過です。しかしながら助かった児童たちをよく調べると、そう聞いたと言う話になっているので、正確とは言えないようです。
ただ、確かな事は大川小学校がある釜谷地区の住人の4割、189名が亡くなっています。これは、ここまで津波が来ると思っていた人は少なかったからだと言えます。
釜谷と言う地名から水難をイメージするのですが、三陸沿岸は長年津波警報が出ても大した津波が来なかったことから、狼少年的に思われた方が多かったかも知れません。
しかし、それでも児童の親で大川小学校まで子供を迎いに来ている方もいる。津波の到来を視野に入れて行動しているのです。複数の親に判断できて、先生たちに決断出来なかったという事は、やはり思慮が足りない。津波到来のシュミレーションを怠っていたと言えると思います。
一番残念なのは教頭の思案の低さです。「裏山に登れるのか、崩れないか」と聞いたと言うことは、教頭は裏山に登った事が無いと思われます。確かに校庭には老人も避難していたし、低学年の児童は登れないと指摘する人もいるようですが、その知識が無い者が判断してもどうにもなりません。
走って1分程度の裏山を教頭ともあろうものが把握していないと言うのは、児童の命を預かる者としての資格は無いと思います。
また、これは私の妄想であり危惧でもあるのですが、教頭は「先生病」、更には「上司病」にかかっていた可能性があると思います。
「自分は先生だから上司だから自分が判断する。指示する。それは教頭たる自分の特権。自分に従うことを強要する。自分の考えが優先。そして判断し指示することが自分の仕事。児童や部下の意見を聞いてしまっては、自分の存在意義が無くなる。それは許さない。自分は教頭。権力者なのだから・・・・・」、何て考えが頭を過ぎったかも知れません。
東京都では教職試験の倍率は1.7倍と聞いています。割と簡単に教師になれます。しかし宮城県で教師になるのは大変です。兎に角、「公務員にあらずんは人にあらず」の土地柄ですからね。県警でさえ私の時代で10倍の倍率です(警視庁は1倍。大抵なれる)。公務員は名士なのです。だから宮城県はえばり散らす公務員が多いのです。
中でも教師は公務員の上位に君臨します。教師以上と言ったら大学の教授や医者位です。今の時代教師は、食べられない者が多くなった弁護士よりも上だと言えます。
教師の中には生徒でも無い目上の者に対し、命令口調で語る馬鹿が大勢います。そして教師界の副将軍の教頭なのですから、知識も無いのに自分の考えに凝り固まっていた可能性も疑がわれます。
また、自分に対しての責任も考えたと思います。もし裏山に逃げて児童が怪我して、その上津波が来なかったら自分の責任。校庭になら避難指定場だから津波が来ても自分の責任じゃない。指定した奴の責任になる・・・・・なんて考えたたとは言いませんが、公務員たる教師は失敗の出来ない人生を強いられてます。似た様な事を考えたかも知れません。
結果、教頭の判断ミスで死者・行方不明の児童が74名。教師が10名。他に待機させられたままのスクールバスのドライバーも、一緒に校庭から非難した住民も亡くなった。そして自分も犠牲になった。ホント、いたたまれないですね。
犠牲になった大川小学校の児童23名の親は、石巻市等々を相手取り23億円の損害賠償を訴えていますが、裏山に逃げる判断をしなかった教頭も亡くなっているのです。七十七銀行女川支店の裁判と論点は同じです。勝訴するのは難しいと思います。勝訴したら裁判ラッシュに成るでしょうし、国もそれを考えていると思います。。
ただ言える事は、教師だったら学校の周辺の事も知って置くべきだと言う事です。あんな豪華な校舎を造る金があるのなら、裏山を整備してなだらかに登り易くする位の考えが浮かばない事自体、教育者失格だと思いますし、どうしても過疎地に赴任した事での教師の資質を疑っちゃいます。
最後に逃げる逃げないの判断は、人それぞれです。裏山に逃げる事を主張したのに、教師の指示に従い命を落とした児童達が気の毒で成りません。
そこで先生、教師と言う主従関係の廃止を私は訴えます。もう、先生と呼ばず「○○さん」で教師も生徒も呼び合ってはどうでしょうか。
命に上下はありません。自分の命くらい自分で判断させる制度も必要だと思いましたね。
っと書いて来ましたが、先生たちの多くは亡くなった訳ですし、あの大地震ではパニックで冷静な判断は難しかったのかも知れません。死者に鞭打つ事を言ってしまい私も心苦しいです。
ネガティブシンキングな私なら、少しでも助かる可能性に貪欲に動いたと思うので、どうしても残念でならず言い過ぎでしまいました。失礼しました。
ではでは。