諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

本当に龍が見えるのか、再び考えてみた。その5

2015年08月12日 09時27分12秒 | 神道

続きです。

大神神社の「大神」は「ミワ」と読びます。三輪明神として祀っていますからね。

「三輪」は「巳輪」。「蛇の輪」。「とぐろを巻いた蛇」だから「三輪」と考えられます。そして三輪山が大神神社の御神体。山は蛇がとぐろを巻いている姿。つまり「山=蛇」。山神は蛇神です。勿論、三輪明神である大物主は蛇神となります。龍ではありません。

以前にも書きましたが、正月飾りの「鏡餅」は「とぐろを巻いた蛇」を示しています。餅の部分はとぐろを巻いた蛇。そして蜜柑は蛇の目です。

「ダイヤモンド富士」を思い出して欲しいのですが、あの姿はとぐろを巻いて目を光らせた大蛇の姿と古代の人は考えた。そのミニチュア版が「鏡餅」です。

出雲大社の場合、神の使いとされるのは沖縄から目を光らせ海を照らして出雲にやってくる背黒海蛇です。海蛇もまた蛇、龍ではありません。

アイヌ語で「神」を「カムイ」と読んでいますが、「カ=蛇」、「ム=産む」です。つまり「神=蛇産む=女の蛇」と取れます。

蛇は「カ」、または「カカ」。「母さん」も蛇を表しているし、田圃の案山子(カカシ)も「蛇の子」と取れます。案山子が一本足なのは蛇だからですし、山案山子と言う毒蛇も存在します。日本は蛇あっての国です。龍は存在していなかったのです。

縄文式土器も日本が蛇神信仰の国である事を証明しています。縄文式時は縄で模様を付けている事からその名が付いたのですが、その縄の模様は蛇を表しています。龍ではありません。今のところ私、龍の模様が入った縄文式土器は知りません。龍は日本にはいませんからある筈ないと思います。

龍発祥の中国だって元々は蛇神の国です。紀元前3350年に中国で誕生したとされるフッキとジョカはインドの竜王ナーガ・竜女ナーギとほぼ同じ姿です。人頭蛇尾、あるいは上半身が男女の人間、下半身から下が蛇ですから。

つまり蛇が神格化した存在が竜、もしくは龍であるとも言えます。これは蛇神を信仰する国の全てがそうだと言えます。

インドや西域から仏教の経典を持ち帰ったのは三蔵法師です。その経典を漢訳した教本に龍に付いて書かれていますが、その龍の特徴は蛇そのものです。

現在も生きていて上げ膳据え膳の生活をしていると言われる空海も、龍神の絵を残しています。その絵に描かれている龍神はインドのナーガ・ナーギ、中国のフッキ・ジョカ同様、上半身が人間で下半身が蛇の姿をしています。

つまり三蔵法師も空海も九似の特徴を持つ現在の龍の姿で龍神を把握・認識していないのです。それは実際に龍を見たことがないからだと言えます。

三蔵法師や空海が九似の龍を見たことがないのに、仙台市長町の某ピアノレストランで6~7人の女性ヒーラーが龍を見た。これ、本当だったら凄い事だと思います。大変な発見ですよ。

昔はテレビもネットもない。照明は蝋燭。命のやり取りが普通に有った。今より危険な時代です。当時の人々の精神力・直感力・霊感は現代人の比ではないと思います。その昔の人に見えない龍を現代を生きるヒーラーさんが見た。これは奇跡に等しいと思います。

私は龍を見たヒーラーさん達がその時のシーンをブログに書いたのではないかとネットで検索したのですが、誰も書いていないようです。

その一ヵ月後にも同じ場所でY氏のピアノトークショー兼講座??があったのですが、前回出席したヒーラーさんは商売にならないと思ったのか出席しなかった人が多かったです。

空海も三蔵法師も見たことがない龍を見たというのに出席しなかった。龍神様、龍神様言っているのに龍神様に会いに来なかった。これって本当に龍神を信仰しているのか甚だ疑問です。

そしてもし龍が見えた事が虚言であった。龍が見えるとして詐欺的スピリチュアル商売をしているのであったら、とんでもない罰当たりだと思います。神道と仏教を汚す行為です。これは絶対やってはいけない事だと思いますね。

 

続く。

 

 

 

 

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本当に龍が見えるのか、再び考えて見た。その4

2015年08月07日 00時04分41秒 | 神道

続きます。

コブラが八大竜王だったり、エジプトやインドの蛇神である訳ですが、インドにもエジプトにもコブラ以外の蛇はいます。何故コブラが蛇神に選ばれたのか、それが気になります。

コブラで最大となるのはキングコブラです。何故、キングと付くのか。キングコブラは最大5メートル近いくまで大きくなるそうですが、コブラの餌は他の蛇や爬虫類です。つまり蛇や爬虫類の食物連鎖の長に立っている。だから蛇の王としてコブラへの信仰が確立したのだと思います。

そしてコブラは他の蛇とは違う特徴が有ります。それは怒ると団扇の様に広がる頭と鎌首です。あれには私、恐怖を覚えます。

蛇使いの芸でコブラが用いられます。あの壷からコブラが頭を出す芸です。笛とかを吹くとコブラは鎌首を上げます。あれはコブラにしか出来ない芸当と言えます。

普通の蛇はとぐろを巻いているか、バネの様に体を畳んだ状態でしか敵に飛び掛かれません。体を伸ばしている状態では戦えない。鎌首を上げられない。だから逃げるしかないのです。

しかし、コブラはどんな状態でも鎌首を大きく持ち上げる事が出来る。そしてすぐさま飛び掛る。これは凄いです。怖いぃぃぃぃーーーー。

その独自の運動能力に人は恐怖を覚え、神秘性を感じたからコブラが神格化されたと私は考えているのですが、どうでしょうかねぇー。

さてこれは最近、沖縄ではタブーとされる噂なのですが、沖縄でとんでもない蛇が現れているそうです。その蛇の名は「ハブラ」。つまりハブとコブラの合いの子。今流に言うとハイブリッドでしょうか。

コブラはあれで案外気が弱い蛇だそうです。人が危害を加えなければ襲う事は無いとされます。

しかし、ハブは気が荒い。人に襲いかかります。そのハブの気性とコブラの身体能力を備えたのがハブラです。

つまりハブラは体を伸ばしている状態でもコブラの様に鎌首を上げ、人に襲いかかる事が出来る。そしてハブの気性故、とても気が荒い。悪いとこ取りの最凶の蛇、それがハブラです。

しかもハブラに咬まれてもハブの血清が利かない。ハブラの血清はまだ無い。だからハブラに咬まれたら、即、死を意味します。とんでもない蛇です。

沖縄にはハブを捕まえて生計を立てている人がいますが、流石にハブラには恐怖を感じていると聞いています。捕獲するのが難しいからだと思います。捕獲してもお金になるのかは知りませんけど。

まぁーね、ここまでハブラが凄いとインドやエジプトみたいに沖縄でも神格化されるかも知れませんね。もっとも沖縄はコブラの10倍猛毒とされる海蛇がいるから(大人しい様ですけど)、チョット判りませんけど。

それにしても、どこかの馬鹿が沖縄にコブラを放したと考えられますが、とんでもない事したもんです。ハブラの噂が広がると観光に響くから秘密にされている様ですが、私なんかはハブがいるから沖縄に行かないのです(嘘です。金欠が正解です)。ハブを越える恐ろしさのハブラがいると知ったら、沖縄のイメージも暴落するでしょうね。

過去、沖縄にはハブ退治を目的に外来種のマングースを放していますが、マングースはハブを襲わず、貴重なヤンバルクイナ等々の小動物を襲っているようです。やっぱり外来種の日本への持込は規制すべきだと思います。オーストラリアみたいにしっかりと。

まっ、桧原湖でスモールマウスバスを釣りに行っていた私が言える立場ではございませんけど・・・・・。

さて話を龍に戻します。西洋にも龍はいます。ドラゴンと言う奴です。その姿は永井豪原作のデビルマンの背中に生えている蝙蝠の様な翼を持つ恐竜と言って良いでしょう。東洋の龍とは全然違いますね。

このドラゴンですが、キリスト教の考えが流れています。それは翼です。東洋の龍は基本、翼がなくても空を飛べますが(飛龍等、翼が有る東洋の龍もいますけど・・・・)、西洋のドラゴンは翼が有るから空を飛べるとの考えがあります。

例えばエンジェルやペガサスには白い鳥の翼が付いていますね。翼があるから飛べる、翼が無いと飛べないと考えるのです。

聖なる翼は白い鳥の翼。悪の翼は黒い蝙蝠の翼となります。白黒の違いは神と悪魔の違いですが、どちらも翼があるから飛べる。考え方は同じです。

西洋のエンジェルに対して東洋は天女となります。天女は翼か無くても羽衣があれば飛べます。そして東洋の龍も翼が無くても飛べる。くどくなりましたが、これが西洋と東洋の差です。

勿論、西洋の国々に東洋の龍はいません。伝説もありません。東洋の龍が本当に存在するのなら、何故西洋では見かけないのか。不思議ですよね。これは「東洋の龍は西洋にはいない」としか説明が付かないと思いますね。

そう言えば聖書の「ヨハネの黙示録」で、赤い龍が大天使ミカエルに踏み潰されて滅ぶとする記述があります。この赤い龍はサタンと言う事になっていますが、当時のその正体はローマ軍の様です。

もし現代なら赤い龍の正体は中国、そして大天使ミカエルはアメリカの様な気がしますが、どうでしょう。何か近々に結果が出ても可笑しくない時代になっていますけど。

さて、日本の神々の場合、龍とはどの様に関係するのでしょうか。

例えば日本の最高神と言える天照大神の場合、弘法大師・空海は天照大神と題して白蛇の絵を描いています。

また貴船神である高オカミ神、暗オカミ神のオカミですが(私のPCではオカミの漢字が出ず)、大蛇を意味します。つまり天照大神も貴船神も蛇神です。龍ではありません。

 

続く。

 

 

 

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本当に龍が見えるのか、再び考えてみた。その3

2015年08月05日 21時40分17秒 | 神道

続きます。

龍の存在で一番疑問なのは龍は地域限定と言う事です。これは不思議です。

先ずはエジプト。エジプトは蛇神信仰。コブラを信仰しています。龍なんていません。いた形跡もありません。コブラが怖くて龍が入ってこれない訳ではないでしょうが、龍が本当に存在しているならエジプトにも伝説位は残っている筈だと思います。

仏教発祥の国であるインドの場合はどうか。インドの神話には竜王ナーガ、竜女ナーギの伝説が伝わってます。ヒンドゥー教の神です。

竜王・竜女であるなら龍ではないとかお思いでしょうが、この神々は上半身が人間で下半身が大蛇です。実際はワニとの説もありますが、経典等に「コブラそのものの姿」と記述されています。つまり蛇神なのです。

仏教は日本でも神道と交わり日本独自の仏教解釈となっていますが、本家のインドでも仏教は衰退しヒンドゥー教と集合。これまた本来の解釈とは違ったものになってます。

釈迦が悟りを開く時にナーガが守護。それで仏教に竜王としてナーガが取り入れられ、仏教の守護神となった。そして法華経ではナーガは八大竜王とされ、天候を左右する力を持つとされます。

では何故ナーガが八大竜王になったのか。それは中国を通過して日本に伝わったからです。

ナーガはコブラを神格化した蛇神ですが中国にはコブラはいない。しかし、コブラはただの蛇ではない。それでインドのヒンディー語やサンスクリット語を中国語に訳した漢訳経典では、コブラと訳せず竜と翻訳された。そして竜・龍として日本に伝わったと言う事です。

こういう翻訳の間違いはキリスト教の聖書にも多々あります。ヘブライ語から英語等の外国語に訳されたのが違った意味合いで伝わってしまったのです。

例えは「十戒」や「処女受胎」です。本来の意味・解釈とはかなり違ってます。

その矛盾点を何故キリスト教関係者が正さないのか不思議です。こんな事書くとキリスト教関係者に怒られそうですが、今更正すと面倒な事になるからだと私は思いますね。

キリスト教は多くの宗派があって自分たちの解釈に拘り、ちょっとした事で争っていますから、今更解釈が変更したら大変な事となります。こんな事は考えないに越した事はないです。面倒なことになりますから。

話はそれちゃいましたが、日本に伝わっている八大竜王が龍ではなく、コブラをルーツとする蛇神だと言うことを知っている人はどれだけいるでしょうか。

龍が見えるヒーラーさん達は八大竜王を前にして「竜神様がいる。龍が見える」とか言うのでしょうけど、私が八大竜王だったら「ワシはコブラだ。誰が龍じゃ、この中国かぶれが。間違えるんじゃねぇー、カプッ」とヒーラーさんを一咬みしちゃいます。

やはり神は本来の姿で感じるべきだと私は思いますね。

ところで竜王ナーガ、竜女ナーギですが、日本の始祖神と言えるイザナギ尊・イザナミ尊と発音が似てますよね。兄弟で夫婦と言う点も同じです。もしかしたら日本神話のイザナギ尊・イザナミ尊は、ナーガ・ナーギがモデルではないかと思えてしまいます。

そう考えると神道は仏教から来ている事になります。古事記・日本書紀は仏教が伝来してから書かれている書物です。「ありえない」とは言い切れません。

うーん、これを考えると今までの神道の考えが全部御破算になりそうで怖いです。これは何れまた考えたいと思います。

 

続く。

 

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本当に龍が見えるのか、再び考えてみた。その2

2015年08月03日 02時13分46秒 | 神道

続きです。

竜の発現は世界が大きく変わる前兆と言われてますが、竜が初めて現れたのは今から3000年前、周の武王と商のチュウ王が戦っていた時代の四川文明遺跡から発掘されています。三本足の烏・ヤタガラスと共に。

古代中国では竜は大蛇に似ていて四本の足を持ち、二本の角と長い髭を持つ実在の生物とされています。顎下の逆さの鱗、つまり逆鱗に触れなければ大人しいそうです。

さて、ここで問題です。気が付きましたでしょうか。前回の「その1」で「龍」と書いていたのに、「竜」に変わった事を。

 「竜」の字は甲骨文字が源流です。頭に冠を被り胴体をくねらせた大蛇の姿を現した象形文字が「竜」です。「龍」は「竜」の字に模様をデコレーションした文字。同じ意味とされていますが、「竜」の方が古いのです。

中国の生薬に「竜骨」があります。消耗性の興奮や熱感に効果があるとされますが、この「竜骨」は化石の骨です。現在の「竜骨」は哺乳類の骨らしいのですが、古い「竜骨」には恐竜の骨も含まれていたそうです。

私、思うのですよ。昔の中国人が恐竜の化石を発見し、それが蛇・蜥蜴・ワニに似ている巨大な生物と考えた。それが「竜」だったのではないかと。

その「竜」が紀元前二世紀の後漢の時代に王符と言う学者によって、「駱駝の頭」、「鹿の角」、「鬼の目」、「牛の耳」、「蛇の額」、「虎の掌」、「鷹の爪」、「大蛇の腹」、「魚の鱗」の九つ特徴を「九似」として定義づけられたのが「龍」となります。つまり「龍」は人間が発案した姿なのです。

「龍」が架空の生物なのは誰もが知っています。発案国の中国人だって、昔の日本人だって。

私、ネットで調べたのですが、昔の日本人や中国人で「龍」を見た人は見つけられませんでした。私個人の調査では全て把握したとは言えませんけど。

勿論、日本に「龍」の伝説はあります。秋田県・田沢湖の「辰子姫伝説」は「大変美しい辰子が永遠の美しさを大蔵観音に祈願した。大蔵観音が現れ、北にある泉の水を飲めば願いが叶うと言った。辰子は言われた通り北の泉を探し出してがぶ飲みした。そして水鏡に自分の姿を映したら龍になっていた」と言うものです。でもこれは伝説です。

「西暦何年何月何日の正午頃、福島県磐梯町在住で朝寝、朝酒、朝湯が大好きで後に身上を潰した小原庄助さん(52才)が何気なく会津磐梯山を見ていた処、磐梯山上空100メートルで輪を描いて飛んでいる緑色の龍を見たとの事です」的な話があるのなら、「龍」を見た人がいた。「龍は存在している可能性が有る」と言えますが、この手の話が無い。これは「龍」を見た人はいない。架空の生物だから存在する訳が無いと言えるのではないでしょうか。

「龍」の写真も調べました。殆どが「雲」でした(炎や煙の場合もあります)。雲の形が龍に似ている。その雲が龍だとしているのです。これは変です。

私は幽霊を肉眼で見ています。昔から幽霊を見た人の話は伝わっています。海外でも幽霊の姿を見ている人は大勢いるし、写真・映像にも撮られています。

それなのに「龍」の写真が雲しか無いなんて、どう考えたっておかしい。幽霊でさえ姿を表せるのに、それ以上の存在である龍が雲や火でしか姿を現さない。雲や火では龍の形になっても不思議でも何でもありません。龍である証拠とは言えないと思います。

本当の姿を見せないのは何故か。それが不思議でなりません。

 

続く。

 

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本当に龍が見えるのか、再び考えてみた。その1

2015年08月01日 00時01分14秒 | 神道

以前、「日本に龍はいない」と言うお題でブログを書きました。

仙台で開催された瀬織津姫のY氏のトークショーで、ピアノを弾いているY氏の頭上に龍が現れたと言うので。

最初に気付いたのは主催者グループメンバーである女流画伯です。ファンタジーなパステル調の神様や龍神の絵を書いている山形の人です。身も心もメガネもDrスランプのアラレちゃんに似ています(50代の方ですが・・・・)。

このアラレ画伯が私の隣に座っていて急に「龍がいる」と叫び、Y氏の頭上を携帯でパチリ。その瞬間、数名の女性たちが「龍だ、龍だ」と叫び出し、こぞって携帯で写真を撮り出したのです。これには私、本当に唖然としました。

龍が見えている人は6~7人位でしょうか。全員女性です。彼女たちは歓喜をあげてY氏の頭上の写真を撮ってます。アラレ画伯は私に龍を撮った携帯の画像を見せてくれましたが、私には見えませんでした。チョット青紫色の靄??が薄く薄く映っている感じではありましたが、私にはとてもそれが龍だとは思えません。この靄みたいのが龍なのか?

私は画像から目を離し、Y氏の頭上を見ました。やっぱりどこにも龍はいません。でも「龍だ、龍だ」と声をあげている女性がいる。まだ龍は消えずに見えている様です。

私はY氏の頭上を見続けました。そして見えました。青紫の薄い靄が。目を瞑ったら瞼にその靄が残っている。うーん、この靄、Y氏の頭上を見続けた事で照明の残像が瞼に残っただけです。どう考えても。

私はUFOを見ています。そして幽霊も2メートルも無い距離で見合っています。睨み合いです。臨戦態勢でハッキリくっきりと見ました。間違いなく男の幽霊でした。その私に龍が見えない訳が無い。それなのに見えない。本当に龍はいたのだろうか。

アラレ画伯も以前「白龍がドロロロロンっと空中を泳いでいたのを見た」と言ってます。何度も見ているそうです。こんな無邪気なアラレ画伯が嘘をつく筈は無い(50代ですけど)。他のヒーラーは判りませんが・・・・・・。

それ以来、私はヒーラーと呼ばれている方のブログを見る様になりました。あの時、龍を見た人々は全員ヒーラーの様でしたので。

すると龍が見える人が大勢いました。「龍が見えなきゃヒーラーじゃない」。「龍が見える事がヒーラーの証明」と言っている感じで、竜神様、竜神様と言ってます。凄い世界です。

でも私には矛盾した発言をしているヒーラーが多いと思えました。例えば「龍には位があり、一番偉い龍は五本指。次いで四本指、三本指となる」と語るヒーラーさんです。

龍に四本指とか三本指なんてありません。それを決めたのは中国人です。龍を装飾する場合、皇帝は五本指。それ以外の中国庶民は四本指。そして日本等の他国は中国の属国だから三本指の龍じゃなきゃ装飾しちゃ駄目言う事です。実際に龍がいたとしても人間が決めた四本指、三本指の龍が居る訳ではありません。

何で人間が決めた龍が存在するのでしょう。中国の龍は五本指、四本指で日本の龍が三本指だって信じられますか。

龍に国境がある筈が無い。人間に決められる龍なんている筈が無い。私はこんな事も知らないヒーラーは偽物だと思いました。本物が居るかどうかは知りませんけど。

 

続く。

 

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