諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

桃太郎のモデルも坂上田村麻呂ではないのか!? その4

2017年02月13日 00時30分02秒 | 伝説

続きです。

田村三代記と桃太郎の本来??の御伽噺を重ねると、山に芝刈りに出たお爺さんは大獄丸。お婆さんは立烏帽子。そして桃太郎が田村麻呂となりますね。

何故、お婆さんは裏切ったのか。それは岩手県の舞根神社。亦の名を瀬織津姫神社で説明出来ると思います。瀬織津姫神社は約1300年近く前、蝦夷討伐の為に熊野から熊野本宮神の分霊を船で運びその地に勧誘。室根神社に祀った。その時、最初に上陸した仮宮として建立した瀬織津姫神社です。

つまり熊野本宮神は瀬織津姫と言う事になりますが、元々熊野の神は日本の地主神です。それを朝廷側の守り神として迎えた。瀬織津姫と呼んで自分達の神にしてしまった。蝦夷の神を田村麻呂の味方に付けた。

田村麻呂の蝦夷討伐は蝦夷対蝦夷の戦いでした。田村麻呂の朝廷軍の兵士は鹿島から集められた。鹿島もまた蝦夷の地です。そして投降した蝦夷も自分達の兵士とした。そして蝦夷どうして戦わせた。

神もまた蝦夷の神を自分達の神として向かえた。瀬織津姫として。

蝦夷の神は塩竃に祀られている志波彦神なのは間違いないと思います。モレが祀っていたのですから。その志波彦神に対抗するために志波姫神でもある瀬織津姫を立てたた。その話が田村三代記の立烏帽子なのだと思います。

悪玉姫伝説では坂上田村麻呂は蝦夷生まれとなってます。田村麻呂は悪玉姫の子とした。それは田村麻呂を神格化する為の聖婚です。リアル??桃太郎の御伽噺とピッタリ重なると思います。

以上、書いてまいりましたが、気が付きましたでしょうか。もう一人の神が桃太郎の御伽噺に重なる事が。

そのもう一人の神とは応神天皇です。応神天皇の親は仲哀天皇と神功皇后。しかし仲哀天皇は住吉大神、もしくは瀬織津姫と思われる神に祟り殺された。

リアル桃太郎のお爺さんは犬、猿、雉の呪術によって桃太郎とお婆さんに殺された。桃太郎は実の父親を殺した。それは神のお告げを語っていた神功皇后と重なります。つまりお婆さんが神功皇后。桃太郎が応神天皇となります。

神功皇后は5歳で妊娠。7歳で応神天皇を出産しています。そしてお婆さんも若返って桃太郎を産んだ。どちらも聖婚の考え方。神である事を証明しています。

神は生まれる前から神であり、人として生まれても神。死んで復活しても神です。つまり最初から神だから人間の父はいません。それが聖婚の考え方です。

歴代天皇で神武天皇、祟神天皇、応神天皇、そして神功皇后の四人だけがその名に「神」の字が付いていますが、神格化されたから神としているのだと考えます。

田村麻呂は蝦夷討伐。神功皇后は熊襲と三韓を応神天皇を宿して討伐している。どちらも大和朝廷側です。だからこそ桃太郎の御伽噺が重なったと考えられます。少なくてもエッセンスとして。

勿論、吉備津彦命を神格化する為に桃太郎の御伽噺が誕生したとする考えが本命です。桃太郎の御伽噺が多岐に渡って語られているのは、それぞれの神々を鑑み改良された。今の所、そう考えている次第であります。

 

ではでは。

 

 

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桃太郎のモデルも坂上田村麻呂ではないのか!? その3

2017年02月11日 13時10分07秒 | 伝説

続きです。桃太郎の御伽噺に戻します。

桃太郎のストーリーは全国にあると申し上げましたが、全部をお話しするのは大変です。物好きな方は自分でお調べ下さい。

そして現在のストーリーとなったのは明治時代に入ってからです。子供向けの話に改良されてしまったと言えます。オリジナルはかなり違います。

先ずお爺さんは山へ芝刈り。お婆さんは川に洗濯へ。そして川から桃が流れて来た。お婆さんはその桃を半分食べた。そしたら若返った。そして若くなったお婆さんは残り半分の桃を家に持ち帰り、山から帰って来たお爺さんに食べさせる。そしたらお爺さんも若返った。そんでもって二人は愛し合って桃太郎が産まれたのです。桃太郎はお爺さんとお婆さんの実の子なのです。

その後、桃太郎はマザコンと言うかハバコンと言うか、お婆さんが好きで好きでしょうがなくなった。お婆さんも実の息子の桃太郎を男として愛するようになっていた。そうなると邪魔になるのがお爺さん。そこで桃太郎とお婆さんはお爺さんの暗殺を企てます。

どうやってお爺さんを殺そうか。お爺さんは山に芝刈りに行っているだけあって、山神に守護されている。そう簡単にはいかない。呪術によって呪い殺すか。

桃太郎と若返ったお婆さんは犬と猿、雉を捕まえて来て、犬を殺し皮を剥がし供え、猿を殺し皮を剥いで太鼓を作り、雉を殺してその魂を猿の太鼓を鳴らしながらお爺さんのいる山に放った。そしてお爺さんは呪い殺され、桃太郎とお婆さんは夫婦となり幸せに暮らしたとさ。めでたし、めでたしっと言うストーリーです。

この話、本当でしょうかねぇー。お爺さん、お婆さんが桃を食べて若返って桃太郎を産んだと言うのは間違いないみたいですけど、この話は何パターンもあるからどれがオリジナルかは断定は出来ないです。

もともとは間引きのストーリーだと思います。ある夫婦が桃太郎を産んだが貧しくて育てられず川に流した。それを老夫婦が拾った。そんな悲しい話が元になっているのだと思います。

ネットで検索したら「桃太郎の怖い都市伝説」と言うタイトルで書いている人がいたのですが、「犬(居ぬ)、猿(去る)、雉(帰じ)」と言う事で間引きの話と書いてありましたが、昔は多かったと思います。イサナギ命・イザナミ命でさえ最初の子供の蛭子神をボートに乗せて海に流しているので。

話は父親を呪い殺した桃太郎とお婆さんに戻します。

この話も田村三代記の坂上田村麻呂と立烏帽子。そして田村麻呂の母親の悪玉姫伝説に重なります。そして聖婚で説明が付く。更にもう一人の桃太郎のモデルも浮かんできます。

 

続く。

 

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桃太郎のモデルも坂上田村麻呂ではないのか!? その2

2017年02月09日 20時38分27秒 | 伝説

続きます。

桃生郡霊峰旭山に鎮座する桃太郎神社には私、行った事ありません。ネット検索したら地元のブログ友のひーさんの「ひーさんの散歩道」で書かれています。どうも地図にも載っていないとか。しかも写真で見ると社が模型の様に小さい。これは誰か有志の人が「おらほの桃生郡こそが桃太郎伝説の地だぞ」と建立したのだと思います。

何故、この地に桃太郎伝説が根付いたのか。私、心当たりがあります。一つの書物を真に受けたんだと思います。

その書物の名は「田村三代記」。田村三兄弟ではなくて坂上田村麻呂の三世代の物語を記した書物です。御伽噺と言って良いと思います。

この「田村三代記」ですが、私も全部は読んでいません。それに長くなりそうです。詳しい説明は亦の機会に記しますが、簡単に言うと日高見国の王・大獄丸の情婦だった立烏帽子が田村麻呂の事が好きになり、田村麻呂側に付いて情夫だった大獄丸をやっつける話です。

どうも田村麻呂が死んで360年後の平安時代末期1170年頃に誕生し。鎌倉時代から剤の南北朝時代のに掛けて肉付けされ、1336年頃に現在のストーリーとなった模様です。

ストーリーでは日高見国は大獄丸と言う鬼が支配していたのですが、幹部クラスの鬼も存在します。その鬼の一人に高丸がいるのですが、田村麻呂と立烏帽子に割りと簡単にやっつけられるのであります。大獄丸の前にです。

その高丸ですがその正体を「温羅」と田村三代記には書かれているのです。

温羅って岡山県の古代吉備地方の統治者です。桃太郎のモデルである吉備津彦命に討たれたとされています。何で吉備の統治者である温羅が陸奥で田村麻呂と立烏帽子に討たれるのか。流石に私、信じられませんね。

では高丸と言う鬼は一体誰なのか。アテルイが大獄丸であるなら高丸はモレだと思います。

モレの本名は盛多賀嶋。私はモレ、もしくはモレの一族が最初の塩竃神社の有る一森山に最初の志波彦神社を建立したと考えていますが、塩竃に隣接する多賀城は元々は盛多賀嶋の城だった可能性も十分あると考えます。

盛多賀嶋と高丸。「多賀と高」。発音が似ている。モレが温羅の訳が無い。モレは精々静岡県まで攻めたと考えますが、岡山県までは行ってない。勿論、温羅が東北まで来る筈が無い。田村三代記の話は御伽噺故のフィクションだと思います。

しかし、800年以上の歴史がある田村三代記であります。誰かがそれを読んで高丸が温羅と信じ込み、この地の桃太郎の伝説が誕生した。そして桃生郡に桃太郎神社を建立されたのだと思います。

 

続く。

 

 

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桃太郎のモデルも坂上田村麻呂ではないのか!? その1

2017年02月08日 08時41分19秒 | 伝説

以前、「足柄山の金太郎は坂上田村麻呂で間違いないと思う」と題して記事を書きました。実は思っていたのですよ、桃太郎も坂上田村麻呂がモデルではないかと。

昔話に詳しい人なら桃太郎のモデルは吉備津彦命であることは知っていると思います。私もその説に異を唱える訳ではないのですが、少なからず坂上田村麻呂のエッセンスが混じっているのではないかと考えます。昔から引っかかる点があったのです。

その引っかかる点は話の出だし、「昔、昔、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山に柴刈に、お婆さんは川に洗濯に行きました」の部分です。

お婆さんが川に洗濯に行って桃太郎が入っている桃が流れて来たのですから、通常の人は疑問にも思わないでしょうけど、お爺さんが山に柴刈りに行っている。何で芝刈りなのだ。それがこの物語に何の関係が有るのかが疑問だったのです。

だっておかしいでしょ。あえて柴刈にしているところが。田植えに行っている。猟に行っている。大根を掘りに行っているなら疑問にも感じませんが、柴刈りってそんなに重要でもないと思うし。

否、山の木々を剪定するのは重要か。それに柴を燃料にして暖を取るのも重要か。うーん、難しいな。

否、否、柴刈りと洗濯のペアが不思議です。山で芝刈りとなると柴神・阿須波神(志波彦神とされる)、川で洗濯なら瀬織津姫(志波姫神とされる)をイメージするので。

鬼渡神社では阿須波神と波比岐神がペアで祀られているケースが多いですが、波比岐神はアラハバキ神の可能性が高い。つまり猿田彦命とアメリウズメ命、更に男女の道祖神、賽ノ神に繋がると考えられる。だから「山に芝刈り」と「川に洗濯へ」は引っかかるのです。

仮にお爺さんが阿須波神でお婆さんは瀬織津姫だとすると、桃太郎はその息子になるのか。

桃から産まれたならそれは違いますが、本来の桃太郎のストーリーから考えるとそうなるのですよ。そして坂上田村麻呂の母親である悪玉姫の伝説に被る点がある。そしてその証明は聖婚で解明出来ます。今回はその点を考察したいと思います。

それでは先ず知っているとは思いますが、現在の桃太郎のストーリーを念の為に説明します。

「川から大きな桃が流れて来て川で洗濯していたお婆さんが拾った。お婆さんはその桃を持ち帰り、お爺さんと一緒に食べようと桃を包丁で切ろうとしたら、中から赤ん坊が出てきた。桃から産まれたから桃太郎と名付けられた。すくすくと成長した桃太郎は悪さをしていた鬼が住む鬼ヶ島へ鬼退治に行く事を決意する。お婆さんは黍団子を桃太郎に持たせる。途中、猿、犬、雉と出会い、黍団子を餌に家来にする。そして鬼と対決。大勝利となり鬼が持っていた金銀財宝を奪って家に持ち帰る。そしてお爺さん、お婆さんと幸せに暮らしたとさ」って感じですかね。

実際、このストーリーは多岐に渡っていて、桃太郎が鬼退治で鬼ヶ島から金銀財宝を持ち帰ったが、その金で贅沢三昧、グウタラ三昧に暮らした。桃太郎は何時も酒を飲み酔っ払っていた。それを見た鬼達は「何であんな奴に負けたんだ、チクショー」と悔やみ、酔い潰れている桃太郎に逆襲。奪われた金銀財宝を桃太郎から奪い返し、鬼ヶ島に持ち帰ったと言うパターンもあります。

どこにそんな話があるのか気になるでしょ。実は桃太郎の伝説は日本中にあります。それに付随して桃太郎神社も全国にあります。

実は宮城県の石巻市旭山にも桃太郎神社が鎮座し、上記の桃太郎が負けた伝説が伝わっているのです。因みにこのあたりは桃生郡(ものうぐん)です。

桃生って桃から産まれた桃太郎の地っぽいでしょ。本当はこの「桃生」の「桃」ですが、「物の怪」の「モノ」。つまり魔物。強いては鬼の意味と取れます。鬼が生まれた地ともとれます。

また定説となっているのは、アイヌ語の「モムヌプカ(流域の丘)」が「桃生(ものう)」となった説です。そうかもしんないです。どっちにしても鬼の正体が蝦夷なのは間違いないと思います。

そしてこの伝説の鬼ヶ島なんですが、実は金華山の事です。つまり金華山に鬼(蝦夷)が住んでいた。桃太郎も来たと言う事になります。

金華山は昔は金が採れていた。その金を奪った桃太郎。石巻は蝦夷の拠点の土地だから桃太郎が鬼に仕返しされたストーリーになったのだと思われます。

 

続く。

 

 

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綱永井ランキングNO1の女性シンガー。【久野かおり】

2017年02月07日 07時39分47秒 | 綱永井ランキング

私、バリーマニロウが好きなのですが、結構、日本の女性シンガーの曲も聞きます。

最初に歌詞を全部覚えた曲はハッキリと覚えてはいないのですが、「松任谷由美」の「中央フリーウェイ」か「大橋純子」の「シンプル・ラブ」、もしくは「やまがたすみこ」の「ムーンライト・ジルバ」のどれかです。中一の時です。今でも歌えます。かなり歌詞が女の子女の子してて恥かしいし、歌う自分の姿も気持ち悪いですが。

その後、木之内みどり、秋本奈緒美、ニ名敦子、越美晴、松原みき、間宮貴子、早瀬優香子、大貫妙子 、SisterQ、飯島真理、そして久野かおりが好きで良く聞いています。結構、マイナー路線です。

上記の女性シンガーで一番歌が上手いのは大橋純子と飯島真理ですね。若い頃の時ですけど。多分、どちらも日本トップの水準だと思います。美空ひばりよりも上です。流石に今はあの声は出ないと思いますが。

特に飯島真理は凄い。声が良い。メロメロになる。山下達郎とか多くの大物シンガーソングライターが彼女をプロデュースしたかったと言うのも頷けます。

しかし飯島真理はただの可愛い娘じゃない。国立音大ピアノ科中退と言う才能が有ります。「宇宙要塞マクロス」と言うアニメの声優でデビューして大人気となった事から、イメージを押し付けられたのを嫌気し、結婚(アメリカ人と結婚し双子の男の子を産んだが現在は離婚)と共にロスに基盤を移したのは残念ですが、才能は有りました。今はチョット迷いが出ている見たいですが。

さて、上記の女性シンガーの中でトータルな音楽の才能を一番感じるのは久野かおりですね。

知っていますか、久野かおり。正確にはシンガーソングライター&ピアニスト&サックスプレーヤーです。自分で作詞作曲、編曲して、ピアノを弾き弾き歌いながら、合間にサックスをピィーヒャラーと吹くんです。凄い才能です。こんな人、彼女以外日本にはいないですよ。

彼女も国立音大のサックス科??を出ています。並半端な実力じゃない。でも知る人は少ない。

彼女はアメリカで勝負するべきだったと思いますねぇー。あれだけの才能があるのですから。日本では彼女の才能に気がつく人は少ないでしょうから。

曲は昔、番組のエンディングテーマやCMで流れていましたので聞いた事がある人も多いと思います。

仙台では仙台三越のCMで彼女の「THANK YOU FOR YOU」が流れていました。

「♪あぁ 離れてても 心は いつでも 寄り添っている~~  花のような 優しさで 愛してたい THANK YOU FOR YOU~」と言う歌詞です。どうです、聞いた事あるでしょ。仙台の人は。

私、彼女のコンサートに2度行った事があります。仙台と東京でです。どちらも無料でした。仙台ではCDにチケットが付いていました。東京では新聞広告で小さく載っていたのです。

あれだけ素晴らしいのに無料って、音楽の世界は厳しい。何であんまり売れなかったのだろ。ルックスが地味だからか。彼女の音楽は普通の日本人には理解出来ないのかなぁー。残念だ。

現在は東京で小さなライブをしたり歌を教えていると聞いていますが、また生で聞いてみたい。でも仙台には来ないだろうなぁー。人も集まらないだろうし・・・・・・・・。

まっ、そう言う事で綱永井ランキングナンバー1の女性シンガーを、久野かおりに認定したいと思います。ご静聴有難う御座いました(ブログだから当たり前だけど)。

 

ではでは。

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