安東伸昭ブログ

安東伸昭の行動日記

「まちづくり」とは?

2016年12月23日 | 情報
平成28年12月23日

森一貴さんの投稿を紹介させていただきます。
山形出身、東大卒。コンサル業界にて勤務し、退職後、福井県鯖江市ゆるい移住に参画。現在は考える力を伝える「CUE」代表として、講師・教育化として活動。また、新規事業の立案・実行支援も手がけています。


地方創生、地方活性化、移住支援、市民主役…。地方ブームと呼ばれて久しく、その中で地方行政が、新しい言葉を生み出しては「まちづくり」をしはじめるようになりました。
そんな「まちづくり」に対して僕が長い間抱いていた違和感を言語化してみました。


1.世の中の「まちづくり」って、何なんだろう。
みなさんは「まちづくり」と聞いて、どんなことを思い浮かべますか。
僕も少し考えてみると、こんな言葉が浮かんできます。
地域の特産物を活かした特産品づくり、古民家を再生した雑貨屋、カフェ、ゲストハウス、就農や起業、地元起業への就職を応援する移住促進施策、フューチャーセッションやまちづくり会議…。
どうでしょう。ああ、まちづくりだなあ、という字面になりましたね。
今、各地でこうしたまちづくりに関する活動が盛んです。
古民家をリノベーションした雑貨屋がうまれ、ものづくりに興味がある人向けのイベントが乱立し、行政は必死になって「まちづくり会議」をしている。


2.「まちづくり」という違和感
そして、まちづくりがブームを迎えるのと同時に、「まちづくり」に関わってしまった人の中に増えてきた人がいます。
それは、「まちづくりって、なんなんだ?」
という人たちです。
僕もそして、ずっとその一人でした。

「まちづくり」に興味があるなあ、と思いながら、同時に、「まちづくり」にずっと違和感を持ち続けていた。
だいぶ昔の話だけど、僕は学生時代、山形のまちづくりを事例に卒論を書きました。
蔵を生かしたカフェを作ったり、暗渠となった堰を復活させたりして、まちに、少しずつではあるけれど、昔ながらの景観が戻ったと。
書いていて、ずっと、なんだか言葉にできない、むずむずする違和感がありました。
なんだろうこれ、なんかおかしいなあ。
好き好んで自分でまちづくりを取り上げて卒論を書いてるのに、いやなかんじ、なんかしっくりこない。

その違和感ってなんなんだろうと、ずっと考えていました。
最近、それがわかってきたような気がします。

3.つくられるべき「まち」とは、そもそも何だったのか。
まちづくり、で誰もが想像する、特産品、ものづくり、古民家カフェ、リノベ、移住、企業、農業、その他いろいろ…。うん、わかります。
それによって、観光客や移住者は増え、外貨獲得や、人口の増加、税収増加など、
まちはうるおっていくんでしょう。寂れた古民家はカフェに生まれ変わり、特産品がおしゃれになって各地で売られるようになり、ものづくりの工房を見に、各地から人が集まるようになるのでしょう。
うんうん、まさに「まちづくり」。

あれ、とそこで僕は思ったんです。
ほんとうにそうだっけ。まちづくりって、誰のためにあるんだっけ。
そのまちづくりで、まちは幸せになるんだっけ。

「まち」って、なんなんでしょうか。
税収が減ったと叫ぶ行政のことでしょうか?それとも、移住者のことなんでしょうか、あるいは観光客のこと?

僕はちがうと思った。

まちに生きてるのは、「まちのひと」なんじゃないかと思った。
そして、まちづくりは、「まちのひと」のためのものなんじゃないかなあ、と思った。

まちのひととは、誰なんだろうと考える。
地元の中小工場で外回りの営業してるおじさん、キティちゃんのつっかけを履いたスウェットの金髪ねえちゃん、地元のやんちゃな子どもたちをあやす先生、地方銀行の事務員のお姉さん、家で内職をしている専業主婦のおかあさん、
まちのひとってたぶん、そういう人なんじゃないかなあ。

彼らは、彼らの生活は果たして、古民家がリノベされてシェアハウスになったら何かが変わるんだろうか。
オシャレな特産品が東京で売れるようになったら嬉しいんだろうか。
移住者が増えると、むかしのお城を再建すると、駅前にモニュメントができると、彼らは幸せになるんだろうか?

いま世間でいわれてる「まちづくり」のなかに、ふつうの、ふつうのひとは、どこにもいないような気がする。
まちづくりの施策、そのどこにも、「まちのひと」のためになるような施策はないように僕には見える。
それが僕の違和感の正体だったんだと気付いた。そして、そんな「まちづくり」はきらいだ、と僕は思った。

4.「あるべきまちづくり」とは。

いまはなんだか、外側にしか目が向いていないように僕には見える。
若い夫婦を増やせ、東京から労働力を呼べ、まちづくりに興味のある人を呼べ。
でも、外側から人を連れてくることは、本当の解決策なんだろうか?

日本自体が人口が減っていっているいま、その内側で奪い合って、他のまちから人を連れてきて、「人口が増えた」「観光客が増えた」なんて、詭弁以外のなんなのか。

そもそも、「勝手に人が減っていってしまう」ようないまの地方に、内側の人が住みたくないと思っているまちに外側から人を呼んで、その人たちは幸せになれるのか?

まちのひとたち自身が、子どもは産みたくない、と思うようなまちに。早くこのまちから出たい、東京にいきたい、と思ってしまうようなまちに。

どうやって移住者は定住するんだろうか?
どうやって移住者は幸せになることができるんだろうか?
だからもう少し、まちづくりが、まちのひとのためのものになったらなあと思う。まちのひとがここで子どもを産みたいなって、生きていて楽しいなって、そこら中で、そんなまちづくりがいっぱい起きたらいいなあ。

地銀の事務員のお姉さんをどうやったら幸せにしてあげられるのか、僕にはわからないけど。でも、まちのひとが幸せに生きられるまちになったら、人口なんて、外側から連れてこなくたって、勝手に内側で増えていくんじゃないのかなあ、と僕は思う。

5.上勝のいろどりの話こないだ、まちづくりってもしかしたらこんなものなのかな、って思うことがあったので、もう少し。
徳島県に、上勝町というまちがあります。本当に高齢者ばかりの、とても小さなまちです。その上勝に、株式会社「いろどり」という会社があります。
高級料亭などに、季節感を添える「葉っぱ」を提供する会社です。

そのメインの働き手は、おばあちゃんたち。おばあちゃんたちは、山をまわり、木に登り、すいすいと葉っぱを集めている(らしい)。

いろどりは、横石知二さんが上勝でおこした会社(正確には第3セクターが創設者)。
上勝にいくらでもある「葉っぱ」に価値を見出した結果、年金をもらうどころか、むしろ税金を納める側にまわっているおばあちゃんが、このまちにはたくさんいる。
高齢化がめちゃめちゃ進んでいるにも関わらず、かかっている医療費は県下一少ないらしい。
おばあちゃんの話を聞いてみたいと思って、上勝の農協にいってきました。すだちのにおいのする搾汁所の奥手に、いろどりの「はっぱ」の搬入場所がある。
すると、来るわ来るわ、車にいっぱいの葉っぱを積んで、おばあちゃんたちのバンが次々に農協にやってくる。
忙しそうなおばあちゃんの一人を捕まえて話を聞いてみたら、いろどりを始めてから、全然風邪をひかなくなった。毎日すごく充実してるよ、と破顔した。
87歳だって。信じられない。
まだ全然話してもいないのに、「忙しいから、そろそろいいかい?」と言って、おばあちゃんは笑って去っていった。
田舎の87歳のおばあちゃんに、忙しいから、そろそろいいかい?と言われるとは思わなかった。

6.「外側からは何もないまち」の「本当のまちづくり」
むちゃくちゃだ、とぼくは思った。むちゃくちゃすげえ。むちゃくちゃうらやましい。
上勝は、なんにもないまちでした。車で走っていても、なにもない。最近は移住者も増えて、cafe polestarやRISE&WINなど、おしゃれな店も増えてはきています。でも、なんにもない。車で走って、外側から見てみると、このまちにはなんにもない。

でも、何もないように見えるまちのその内側は、「まちのひと」の生活は、すごく盛り上がっている。
ほんとうは、このまちでなかったらゲートボールをしているかもしれなかったばあちゃんたちが、すごく充実そうな顔をして、稼いでいる。
きっと、それがまちづくりってことなんじゃないかなあ、と思った。

7.本当のまちづくりは、きっと外側には見えない。
だって、上勝のまちづくりは、外に見せるために、誰かから評価されるために、外側の人を呼ぶためにやっているんじゃないんだもの。
そして、それでいい。外側から、すごいね、いいね、って言われようが、言われなかろうが、住んでるひとには関係ない。褒められなくても、移住してくれなくても、遊びにきてくれなくても、まちのひとはそこに住んで、生きているんだもの。
その「まちに生きている人たち」がこうして笑顔でいられること、それを「まちづくり」って言うんじゃないんか?

道の駅には、僕には見えない内側にいるおばあちゃんたちの写真集が置いてあった。読みながら、なんかしらんけど泣いてしまった。この人たちは、なんていい顔をして笑うんだろう、と思った。

わかんないけど。「ゲートボールなんて、やる暇もないねえ」と笑ったおばあちゃんの顔、きっとこれがぼくが見たい「まちづくり」のひとつのカタチなんだろうなあ、と僕はなんとなく思ったのです。
 いろどりを創設した横石さんの著。


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津山朝日新聞の「今年の回顧」(1月から6月まで)

2016年12月23日 | 情報
平成28年12月23日

今年も残りわずかとなりました。
津山朝日新聞の「今年の回顧」(1月から6月まで)

2016年1月


2016年2月

 
2016年3月

 
2016年4月

 
2016年5月


2016年6月 



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鉄道ジオラマが鶴山幼稚園に出張訪問

2016年12月23日 | 情報
平成28年12月22日 津山朝日新聞

先本廣司さん(高野本郷)の鉄道ジオラマが鶴山幼稚園に出張訪問
園児の楽しんでいる様子が思い浮かびます。



先本さんの工房に伺い、鉄道ジオラマを見学させていただきました。(
平成28年3月30日)

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津山市議会 まちづくり基金条例可決

2016年12月23日 | 議会報告
平成28年12月22日 津山朝日新聞

津山市議会 まちづくり基金条例可決





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新潟・糸魚川市の大規模火災

2016年12月23日 | 災害
平成28年12月22日 10:30

新潟・糸魚川市の大規模火災、140棟焼き鎮圧
TBS系(JNN) 12/22(木) 21:30配信

 新潟県糸魚川市で起きた大規模な火災は、少なくとも140棟を焼き、消防によりますと、午後9時前に鎮圧したということです。

JR糸魚川駅のすぐ近くでは、雨が降りそして非常に風が強いですが、繁華街は白煙に覆われています。本来であれば、この煙の向こうに家々や商店が見えていますが、非常に見えにくくなっています。出火から11時間が経過しようとしていますが、今も懸命の消火活動が続いています。

 火事があったのは、JR糸魚川駅にほど近い商店街です。22日午前10時半ごろ、中華料理店から出火し、強い風にあおられ住宅や商店に次々と延焼し、午後8時現在、少なくとも140棟が焼け、現在も燃え広がっています。

 糸魚川市は、363世帯744人に対して避難勧告を出しました。新潟県からの要請を受け、自衛隊155人も加わり、今も消火活動が続いています。すぐ近くの北陸新幹線の糸魚川駅にもこの煙が届いています



新潟・糸魚川市の火災発生から、ちょうど半日、12時間がたったが、いまだに煙は色濃く立ち上っていた。
暗闇の中で続いていた消火活動。
新潟・糸魚川市で起きた大規模な火災は、22日午後9時前に、ようやく鎮圧状態になった。
発生からは、10時間半が経過していた。
およそ150棟が燃え、地震や津波によるものを除くと、過去20年で最悪の規模となった今回の火災。
火の手が上がったのは、午前10時半ごろ。

出火元は、商店街のラーメン店の厨房(ちゅうぼう)だった。
出火した直後の様子をとらえた写真には、2階の窓から噴き出す黒煙が映っていた。
一方で、すでに消火活動も行われていた。

写真を撮影した岩崎雅則さんは、「すぐ消えるだろうと思っていた」と話した。

しかし、火の勢いは瞬く間に拡大。


電線まで燃えているのがわかった。
FNNの複数のカメラは、炎が広範囲に広がっていく様子をとらえていた。
出火元の店から、80メートルほど北側の場所では、消防隊員がホースを移動したその時、ぱちぱちと音を立てながら、火は、その勢いを増していった。
そして、火災は、さらに北側へと拡大。
街を東西方向に横切る、2車線の大通りでも、火を食い止めることができなかった。
分単位で激しさを増す炎。


住民は、事態を見守ることしかできなかった。
飲食店が全焼した人は、「道で(炎が)止まってたから、うちの店には来ないなと思ってたんですけど、火が大きかったもんだから、ぐるっと回って」と話した。
さらに、北上を続けた炎は、日本海に面した一番北の地域まで到達。
大量の煙が、日本海へと流れ込んでいった。
救急車は、その煙の中へと突っ込んでいった。
一方、出火元の店より南側、火の手が回っていない地域では、周辺には、風向きが変わることをおそれ、避難する人たちの姿があった。
火元の南側に会社がある人は、「会社なので、会社関係の大事な物を(運んでいる)。まだ遠いんですけど、ここから北風になると、かなりおっかないので」、「何を出していいかわからない」、「とりあえずデータだけあれば...」、「風が、こっち来なきゃいいんだけどさ」などと話した。
カメラは、消火活動が難航する様子をとらえていた。
当初、消火活動にあたることができた消防車は、6台だけだったとの情報もある。
瓦屋根の上には、家庭用のホースで水をまく人の姿もあった。
午後3時ごろになると、近隣の自治体から次々と応援が入り、消火活動は加速。
一方で、水不足という問題が発生した。
消火栓からの水は、ストップ。
貯水槽にためられていた水を使い切ってしまった。
この事態を打開するため、午後5時ごろから、生コンクリートを運ぶために使われるタンクローリー車が次々と到着した。
関係者は、「今、生コン工場から、市の消防から要請があって、全社挙げて水を運んでいる」と話した。
マンホールのふたが開けられ、直接流し込まれる水。
水不足が解決に向かうと、ほぼ時を同じくして、新潟県の応援要請を受けた、自衛隊員150人も現場入り。
夜を徹しての作業を見越してか、現場に照明車も到着していた。
夕闇の中、激しく燃え上がる炎。
夜になっても、火の勢いは、衰えを見せなかった。
強風にあおられ、舞い散る火の粉、そして、もうもうと流れる煙。
炎は、どのように街をのみ込んだのか、取材班は、風下へとカメラを進めた。
道路を挟んで、明暗を分けた現場。
日本海を臨む海岸近くまで来てみると、黒く焼け焦げた木の柱、全焼したのは200年近い歴史を持つ、糸魚川有数の純日本料理店「鶴来家」。
糸魚川で起きた過去2回の大火にも、延焼を免れた建物が、無残にも炎にのまれた。
少し離れた公園から、ぼう然と見つめる鶴来家の店主・青木孝夫さん。
青木さんは、「全焼。全然出せなかった。お客さんから随分予約もらってますから、迷惑かかるなという気持ちでいっぱいです」と話した。
新潟県の最西端に位置する糸魚川市は、人口およそ4万5,000人。
ひすいの産地として古くから栄え、由緒ある木造建築も数多く残っていた。
午後1時半すぎ、火災現場をとらえた映像には、黒い煙が、海側に向かって流れていくのがわかる。
周りの建物と比較してみると、煙の高さは50メートルを超えるとみられ、上空から撮影した映像を見てみると、煙は海上まで届き、その長さは1km以上にも及んでいる。
糸魚川では、強い南風が吹いていて、火災が発生した午前10時半ごろには、風速10メートル以上を示し、正午すぎには、最大瞬間風速24.2メートルを記録。
糸魚川では、湿った空気が山を越える時に雨を降らせ、その後、山を吹き降りて乾燥し、気温が高くなる「フェーン現象」が起きていたと考えられる。
しかし、フェーン現象だけでは、ここまでの大規模火災には結びつかない。
なぜこれだけ広範囲に被害が広がったのか。
上空からの映像に、そのヒントはあった。
画面左下の炎、そして中央に見える炎。
火は、住宅の間を飛び越え、あちらこちらに飛び火しているのが見て取れた。
専門家に火災の映像を解析してもらうと、あるキーワードが浮かび上がってきた。
ベルアソシエィツの鈴木弘昭代表は、「これは明らかに飛んでますね」と話した。
鈴木代表が指さしたのは、屋根の一部が飛んでいる映像だった。
大きさは、およそ30cmぐらいに見えた。
鈴木代表は、「盛んに燃えているところから、火の塊がどんどん飛んでいって、落ちて、そこから燃え上がっている」と話した。
鈴木代表が挙げるキーワードは、火の粉ならぬ「火の塊」。
鈴木代表によると、この日、風が強かったため、火の粉だけではなく、「火の塊」が飛んだことが、これだけ大規模な火災になったとみている。
この「火の塊」、正体は何なのか。
鈴木代表は、「瓦の下に使われている木や板。部屋の中だと、障子やふすまの枠が小さくなって、火がついたまま飛ぶことがあると思う」と話した。
消火している現場の映像を見てみると、瓦が落ちたあとに残された木枠や、今にも風に吹き飛ばされそうな壁枠が見て取れた。
こうしたものが、火の塊となって、風にあおられ、火災が拡大したのか。
あまりにも想定外の延焼、多くの人は、あわただしく避難してきた。
避難してきた住民は、「急いでみんなに声をかけて」、「まさか、ここ(自分の家付近)まで火が来るとは思わなかったもんね」、「(自宅が無事かどうか?)近所がやられてるから」などと話した。
追われるように避難してきた住民は、被害の状況もわからぬまま、不安な一夜を過ごすことになる。
避難してきた住民は、「自宅はたぶん無事なんですけど、周りが燃えてしまって、立ち入り禁止になってしまったので」と話した。
火災は、午後8時50分ごろに、ほぼ消し止められたが、まだまだ予断を許さない状況だという。
対策本部長である糸魚川市の米田 徹市長は、「鎮圧状態ではあるが、普段と違い、風が強いので、いつ火がまた出てくるかわからないので、緊張して対応しないといけない」と述べた。
師走の糸魚川を襲った未曽有の大火災。
およそ150棟、7万5,000平方メートルが焼け、周辺の363世帯、744人に避難勧告が出されている。.

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勝北地区町内会長会忘年会

2016年12月23日 | 地域
平成28年12月22日 18:30~

毎年恒例となっています、勝北地区町内会長会忘年会が市場コミュニティハウスで開催され、獅子鍋をいただきました。

先日、大岩地区で捕獲されたイノシシが鍋になったとのお話しです。

御馳走様でした。






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