日々のパソコン案内板
【Excel関数】 No.1(A~I) No.2(J~S) No.3(T~Y)
【Excelの小技】 【HTMLタグ&小技】
【PDFの簡単セキュリティ】
【複数フォルダーを一括作成するんならExcelが超便利だよ!!】
【アップデートが終わらない!? Windowsの修復ツールを使ってみる方法】
【削除してしまったファイルやデータを復元する方法ー其の一(以前のバージョン)】
【削除ファイルやデータを復元する方法ー其の二(ファイル履歴)】
【Excel振替伝票の借方に入力したら貸方に対比する科目を自動記入】
【手書きで書くように分数表記する方法】
【Web上のリンクさせてある文字列を選択する方法】
【Excel2010以降は条件付き書式設定での文字色にも対応!】
【Windows10のWindows PowerShellでシステムスキャンの手順】
30歳の時、長男でもある私は家業を継ぐため、
5年間近く、京都でやっていた婦人服のカジュアルショップをたたみ、
私の生まれ故郷に子供たちも連れて帰りました・・・
しかし乍ら、既に店を手伝っていた姉との確執が・・・
生まれ育った街なのに・・・私は他所者といわれる始末・・・
とばっちりが、妻や子供にまで・・・
この時、何とかして生まれ育った家も私たち家族も守らなければ両方ともダメになる・・・と・・・
それには、私が家を出るしかない・・・との結論でしたが、
京都へ帰るにも、仕事がない・・・如何したらいい?・・・
この時、左官業をやっていた京都の友人の一言
「仕事が見つかるまで手伝ってくれへんか」・・・この言葉で決心がつき
結局のところ、わずか8カ月という短さで、京都へ舞い戻りました。
それからというもの、一月ほどその友人の左官業を手伝いながら、
私の本業の繊維関係の仕事を探し続け・・・
かつてのお得意先で商社マンをされていた人が起こした会社へ・・・
3年余りして、先輩の会社名を借りて仕事を始め・・・さらに、
平成元年から自宅で開業・・・
45歳でようやく現在の場所に仕事場兼マイホームを持てました。
この場所が、私達夫婦の「終 の棲 み処 」となりそうです。
私達が生き抜いてきた証がここにある・・・そう思っています。
故郷は遠きにありて思ふもの・・・
室生犀星の心情とは多分違うと思いますが、私の故郷は心の中だけでいいのだと・・・
今朝は、終の棲み処についてのコラムを紹介してみようと思います。
~以下、9月5日読売新聞朝刊より抜粋~
5年間近く、京都でやっていた婦人服のカジュアルショップをたたみ、
私の生まれ故郷に子供たちも連れて帰りました・・・
しかし乍ら、既に店を手伝っていた姉との確執が・・・
生まれ育った街なのに・・・私は他所者といわれる始末・・・
とばっちりが、妻や子供にまで・・・
この時、何とかして生まれ育った家も私たち家族も守らなければ両方ともダメになる・・・と・・・
それには、私が家を出るしかない・・・との結論でしたが、
京都へ帰るにも、仕事がない・・・如何したらいい?・・・
この時、左官業をやっていた京都の友人の一言
「仕事が見つかるまで手伝ってくれへんか」・・・この言葉で決心がつき
結局のところ、わずか8カ月という短さで、京都へ舞い戻りました。
それからというもの、一月ほどその友人の左官業を手伝いながら、
私の本業の繊維関係の仕事を探し続け・・・
かつてのお得意先で商社マンをされていた人が起こした会社へ・・・
3年余りして、先輩の会社名を借りて仕事を始め・・・さらに、
平成元年から自宅で開業・・・
45歳でようやく現在の場所に仕事場兼マイホームを持てました。
この場所が、私達夫婦の「
私達が生き抜いてきた証がここにある・・・そう思っています。
故郷は遠きにありて思ふもの・・・
室生犀星の心情とは多分違うと思いますが、私の故郷は心の中だけでいいのだと・・・
今朝は、終の棲み処についてのコラムを紹介してみようと思います。
~以下、9月5日読売新聞朝刊より抜粋~
徳島県に接する高知県北東部の物部村(現香美市)に、かつて公文包治 という村長がいた。
山あいの土地は農業には向かない。「やがて立ちゆかなくなる」と、住民に南米・パラグアイへの移住を呼びかけた。後に「いざなぎ」と呼ばれる好景気が兆していた頃、周りの反応は芳しくなかった。結局、自ら村長を辞め、ふた家族だけで1967年、海を越えた。
二十数年前、公文さんをイグアス移住地に訪ねた。そこでも村長のような立場で町づくりに力を注いでいたが、「日本が発展し、移住したことに後悔がないとは言えない」。複雑な表情で語ったのが忘れられない。
その公文さんも7年前、かの地で逝った。86歳。自身の決断をどう思ったか。改めて聞きたいが、もうかなわない。
今、都会から地方への移住が話題となる。10年後には、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者に。民間の有識者会議「日本創生会議」の試算では全国約43万人の介護が立ちゆかなくなる。好況の兆しも見えない。今のうちに医療・福祉に余裕のある地方へという呼びかけである。
団塊の世代といえば、集団就職で故郷を後にした人も少なくない。都会で額に汗してニッポンの高度経済成長を支え、マイホームの夢をかなえた。そこを終 の棲 み処 と定め、悠々自適にと思った人もいるだろう。
なのに、「もう一度、田舎へどうぞ」では、やるせない。
山あいの土地は農業には向かない。「やがて立ちゆかなくなる」と、住民に南米・パラグアイへの移住を呼びかけた。後に「いざなぎ」と呼ばれる好景気が兆していた頃、周りの反応は芳しくなかった。結局、自ら村長を辞め、ふた家族だけで1967年、海を越えた。
二十数年前、公文さんをイグアス移住地に訪ねた。そこでも村長のような立場で町づくりに力を注いでいたが、「日本が発展し、移住したことに後悔がないとは言えない」。複雑な表情で語ったのが忘れられない。
今日
のノート
終の棲み処
その公文さんも7年前、かの地で逝った。86歳。自身の決断をどう思ったか。改めて聞きたいが、もうかなわない。
今、都会から地方への移住が話題となる。10年後には、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者に。民間の有識者会議「日本創生会議」の試算では全国約43万人の介護が立ちゆかなくなる。好況の兆しも見えない。今のうちに医療・福祉に余裕のある地方へという呼びかけである。
団塊の世代といえば、集団就職で故郷を後にした人も少なくない。都会で額に汗してニッポンの高度経済成長を支え、マイホームの夢をかなえた。そこを
なのに、「もう一度、田舎へどうぞ」では、やるせない。
地方部長 青野達哉