ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「僕ってなに」 三田誠広

2008-02-19 12:12:33 | 
情熱が途絶えると、虚脱状態に陥ることがある。

70年安保闘争は失敗に終わり、浅間山荘事件と内ゲバの頻発は、学生運動に止めを刺した。社会正義の実現に向けて、政治的情熱を燃やした若者たちは、いきなり目標を失くし、ほっぽり出された。

私が学生運動に関ったのは、中学生の頃、おそらく70年代中盤だった。当時はすぐには気づけなかったが、既にある種の虚脱状態に陥りだしていた。

空虚な議論と、重箱の隅をつつくだけの論争。周囲を慮って情熱があるふりをするが、惰性で動いているのが、私にすら見え見えだった。

頭の良い奴らや、要領のいい奴らは、さっさと次のステージに向かって頭を切り替えた。ある者は弁護士を目指し、ある者はビジネスの世界に身を投げた。多少とも情熱を維持し続けるものは、ジャーナリストや教職を目指した。

残った真面目なだけが取柄の若者たちは、何をしたらイイのか?

後遺症の残るような傷があるわけではないが、過去を肯定的に考えられない。未来への希望は喪失したが、さりとて新しい方向性も見出せない。具体的な損害があったわけでもないのに、今の自分が不安で仕方ない。

仕方がないから、皆にならって髪を短く切り、授業にも出席してみるが、やりたいことがあるわけでもない。安定しているから、公務員がいいが試験があるんだよねと愚痴る青年たちに、私は失望を隠せなかった。

ほんの少し前まで、はるかに年下の私に対して熱く語ってくれた理想の政治、理想の社会はどこへ行った。就職への不安を高校生の私にこぼす情けなさに、ほとほと愛想が尽きた。

私は登山に目覚め、もやもやを吹っ切るために、週末の大半を山で過ごすようになった。重いリュックにあえぎつつ、一歩ずつ汗にまみれて登っていけば、そこには必ずピークがあった。広大な自然の姿に驚き、矮小な自分の存在を認識して、自らの至らなさを実感できることに喜びを感じた。

そんな矢先に出会ったのが表題の本だった。たしか芥川賞を受賞していると思う。この本ほど、当時の若者たちを素直に描き出したものを私は知らない。

村上龍にせよ、田中康夫にせよ、当時の若者たちの一部を取り上げたに過ぎず、三田誠広のように、大半の声無き若者の姿を捉えたものではなかった。実に情けない若者たちだとは思うが、その事実を見事に描き出した。いや、三田自身の姿、想いを描き出したと評するべきなのだろう。

団塊の世代が大量に退職しつつある今、これからの社会の主力となるのが、この「僕って何」の世代となる。バブルに舞い上がり、思いっきりこけた世代でもある。この先、いかなる社会となるのか、いささか不安に思う。

多分、何も積極的にせず、周囲に流されるのを好むのではないか?嫌な予想だなあ~
コメント
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