ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

プロレスってさ ビック・バン・ベイダー

2008-02-13 12:33:02 | スポーツ
厄介なことに、世の中には素で喧嘩に強い奴がいる。

分厚い胸板、がっしりとした肩、頑丈そうな顎。そしてなによりも他人を威嚇する、その強烈な目線。若いときから、殴り合いには負けたことがないって顔をしている。

このタイプとの喧嘩は、出来るなら避けたい。だが、やむを得ずやり合う時は、負け方に注意して戦う。この手の輩は力のぶつかり合いを好む一方、テクニカルな戦い方を厭う。どうせ勝てないのなら、相手に好まれる負け方をしたほうが、後々が楽だ。

力負けすることを承知の上で、真正面からぶつかる。当然、あっという間に殴り倒される。力一杯殴りつけて、それが当たれば結構気持ちいいものだ。逆に当たらないと、イライラするのが人間の性。勝てる技術を持っているならともかく、下手に逃げ回り、不興を買うと、それこそ大怪我しかねない。

気合で相手の拳を額か、肩や胸といった肉の厚い部分で受ける。倒れても、可能な限り立ち上がり、それなりの根性をみせておく。おでこは腫れ上がり、殴られた箇所はギシギシと痛む。そこまで頑張れば、後は負けをどう宣するかどうかだけだ。

十代の頃、この手の負け喧嘩を二度ほどしているが、いずれも負けた後はすっきりと終わっている。むしろ「あいつは根性ある」と好まれたかもしれない。少なくとも、後々まで尾をひくことはなかった。友達になったとは言わないが、認められたとは思っていた。たいして喧嘩の強くない私の、ささやかな処世術でもある。

プロレスラーにも、時々このタイプがいる。その一人がビック・バン・ベイダーだ。80年代後半、お笑い倹lのビートたけしがプロレス業界に片足突っ込んだことがある。その時アメリカから連れてきたのが、このベイダーだった。

スターウォーズを意識したかのようなコスチュームが、真面目なプロレス・ファンから反感を買ったが、その実力は本物だった。本名はレオン・ホワイト。アメリカンプロフットボールの選手で、サンフランシスコのプロチームでレギュラーだった巨漢選手だ。当然に運動選手として際立った身体能力を持っていたが、膝の故障からアメフトを諦めてのプロレス入りだった。

しかし、私の観たベイダーは、アメフト出身というより、喧嘩好きの大男であった。アメリカ人らしく、ボクシングやアマレスの素養はあったと思うが、なによりも殴り合いが得意だった。なにせ身長190センチ、体重160キロの巨漢だ。腹がボンと突き出た肥満型の巨漢だが、ぶっとい腕、分厚い胸板、鋭い眼光が目に焼きついた。

正直言って、プロレスは下手だった。なにより手加減が下手。桁外れの怪力だけに、対戦相手を怪我させたことも少なくない。新日本プロレスの看板選手であった藤波などは、このベイダーに大怪我を負わされ一年ちかくリタイアを余儀なくされている。藤波といえば、受身の名人だが、たまたましくじったらしい。

もっとも小柄ながら正面からぶつかってきた藤波を、ベイダーは高く評価していたことが引退後のインタビューで分った。だったら、もう少し手加減してやれよと言いたくなる。それが出来ないから、アメリカではけっこう干されていたはずだ。

このプロレスは下手だが、喧嘩は強かったベイダーが、日本で見せた最高の試合、いや殴り合いが東京ドームでのスタン・ハンセン戦だった。外人選手同士の試合ではあったが、互いに遠慮はなかった。いや、むしろ自分こそがNo1だとのプライドがぶつかり合ったため、凄まじい殴り合いになってしまった。

試合中にドームのオーロラビジョンに映し出されたベイダーの顔に、満員の観客がどよめいた。片目がつぶれていた。頭蓋骨骨折による眼底陥没だった。それなのに、延々とハンセンと殴り合っている。背筋が凍りついたかのような衝撃だった。たしか、この試合は無効試合だったと思う。レフリーはもちろん、他の選手も必死に止めに入る凄まじい試合だった。

嗚呼、間違ってもこんな奴と喧嘩なんざ、したくないものだと痛感したものです。観ているだけなら、大興奮で歓迎なのですがね。
コメント (2)
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