今ではトンデモ本扱いされている表題の本だが、読んだ当初はそのポジティブな姿勢に感心したものだ。
実際ベストセラーになったぐらいだから、多くの人が賛同したのだろう。科学的誤りや、思い込みからくる過ちに気づいたのは、反証本などの批判が公になってからだった。つまり、私もあっさり騙された口だ。
ただ、それほど悔いていない。書いてあることに、それなりに納得できたからだ。科学的根拠には乏しいのかもしれないが、実体験から「なるほど」と思わされたのは確かだ。ただ、春山氏の主張に盲信する気にはならなかった。
納得できると思いながらも、その実、かなり反発を感じた部分も確かにあった。だから、読んだ後も人に勧める気にはなれなかった。
私は物事を明るい、暗いといった二分法で分けることが好きではない。もっと言えば、暗くて何が悪いと思っている。
人生ってやつは、並木道を歩くようなもので、日向と日陰が交互に繰り返すものだと思う。明るい時もあれば、暗い時もある。明るい時に人生を楽しみ、暗い時に人生を反省する。暗い憂鬱さがあるからこそ、明るい喜びはいや増すものだ。
おかしなことに、人生の明るい局面において、人は深く思考することは少ない。暗い時にこそ、深く深く思慮を高める。自分自身の人生を振り返っても、重大な局面における判断の元は、悩み苦しみ考えて、考え込んだ上にある。
今の自分のあり方の基礎となる部分には、明るい前向きな姿勢から生まれたものと、暗く深い苦労から生まれたものの両方から構成されている。
誰だって落ち込むことはある。その状態を決して明るいとは思わない。思わないが、暗くて何が悪い。暗い気持ちの時にこそ、分ること、出来ることってあるものだ。
体調が悪い時は、暗い寝室で横たわるのが一番だ。無理に明るく振舞うことは、時として有害でさえある。落ち込む時は、素直に落ち込んでしまったほうがイイ。落ちるところまで落ち込めば、後は這い上がるだけなのだから。
明るい事が良いことで、暗いことが悪いといった固定概念こそ、改める必要があると思う。
実際ベストセラーになったぐらいだから、多くの人が賛同したのだろう。科学的誤りや、思い込みからくる過ちに気づいたのは、反証本などの批判が公になってからだった。つまり、私もあっさり騙された口だ。
ただ、それほど悔いていない。書いてあることに、それなりに納得できたからだ。科学的根拠には乏しいのかもしれないが、実体験から「なるほど」と思わされたのは確かだ。ただ、春山氏の主張に盲信する気にはならなかった。
納得できると思いながらも、その実、かなり反発を感じた部分も確かにあった。だから、読んだ後も人に勧める気にはなれなかった。
私は物事を明るい、暗いといった二分法で分けることが好きではない。もっと言えば、暗くて何が悪いと思っている。
人生ってやつは、並木道を歩くようなもので、日向と日陰が交互に繰り返すものだと思う。明るい時もあれば、暗い時もある。明るい時に人生を楽しみ、暗い時に人生を反省する。暗い憂鬱さがあるからこそ、明るい喜びはいや増すものだ。
おかしなことに、人生の明るい局面において、人は深く思考することは少ない。暗い時にこそ、深く深く思慮を高める。自分自身の人生を振り返っても、重大な局面における判断の元は、悩み苦しみ考えて、考え込んだ上にある。
今の自分のあり方の基礎となる部分には、明るい前向きな姿勢から生まれたものと、暗く深い苦労から生まれたものの両方から構成されている。
誰だって落ち込むことはある。その状態を決して明るいとは思わない。思わないが、暗くて何が悪い。暗い気持ちの時にこそ、分ること、出来ることってあるものだ。
体調が悪い時は、暗い寝室で横たわるのが一番だ。無理に明るく振舞うことは、時として有害でさえある。落ち込む時は、素直に落ち込んでしまったほうがイイ。落ちるところまで落ち込めば、後は這い上がるだけなのだから。
明るい事が良いことで、暗いことが悪いといった固定概念こそ、改める必要があると思う。